第48話 妖刀村正
縛られた義元を前に信長は刀を下ろして胸襟を開く。宿敵同士が恵を挟んで手を握り、今川の全軍に「戦わずに退け」と最後の命令が下る。――だが信長の完璧な作戦にただ一つの誤算があった。「闇の魔導士」松平元康!
「サル、合図じゃ!」
信長が声をあげる。
「竹千代を止めねばならぬ」
藤吉郎は奥座敷の障子を開け放つと縁側から庭へ飛び降りた。腰の袋から取り出したのは竹筒を三つ束ねた奇妙な筒である。
「サル特製の秘密兵器『雷斗忍具婦等主』じゃ。夜を一瞬だけ昼にしてご覧に入れまする」
筒を構えると、懐からあの細長い金属の棒を出す。カチッ。指一本で灯った炎を筒の口へ。
三つの竹筒の中から、しゅるると炎と光が夜空へ向かって、甲高い音とともに伸びていく。
ぱあんっ――。
沓掛城の真上で三つの白い光が同時に弾けた。月明かりなど比べものにならない目の眩むような白。土塁の影も逃げ惑う兵の顔も一瞬、真昼のように浮かび上がる。
恵が縁側で手をかざして空を見上げた。
「……閃光弾。藤吉郎さん、こんなものまで」
「恵どのの首輪の光を見てから、サルはずっと考えておりました。筒の強度が課題でしたが、昨晩、四郎どのに見せていただいた『へるめっと』の構造が参考になりもうした」
藤吉郎は得意げに鼻をこすったが、その笑みを消して、
「じゃが、元康さまを止められるのはもはや我らではありません」
◆
南の城門の外。
前田利家は馬上で白い光を見上げていた。
「……来やがった」
殿の合図だ。事を成した。ならば次は俺の番。元康さまを羽交い締めにしてでも止める、だったな。
利家は開け放たれた城門を睨んだ。
門の向こうは火と煙と怒号の渦だった。
(城には一歩も入るな)
(竹千代を止めよ)
殿の二つの命令が頭の中でぶつかり合う。
「……入るなって言われて、入らなきゃ止められねぇ相手を止めろって。殿、どっちなんすか」
槍の石突で地面をごんと叩く。
一瞬の迷い。その瞬間に門の中からそれはあふれ出してきた。
「――厭離穢土ォォッ!」
「闇の戦士」こと三河軍団の兵たちだった。
丸腰の亡者の群れは、落ちている槍や刀に見向きもせず、包帯から血を滲ませ、足を引きずり、それでも目だけは爛々と光らせて、土橋を渡り二千騎の列へわらわらと押し寄せてくる。
「うわっ、なんだこいつら!」
「斬れ、斬り捨てろ!」
精鋭の赤母衣衆の若武者たちが刀の柄に手をかけた。
「斬るなァッ!!」
利家の声が荒野を割った。
「絶対に斬るな! こいつらは松平様の兵だ! 殿の同盟の大事な兵だ! 一人でも殺したら俺がそいつを殴り殺すぞ!」
利家は槍をくるりと回し、穂先を地に、石突を天に向けた。
「石突だけ使え! 馬で押し返せ! 取っ組み合って気絶させるのは構わん!」
赤母衣衆は一瞬戸惑うが、信長の命令を遵守する鉄の掟が身に染みている。次々に刀を鞘に戻すと、「うぉーーー!」と雄たけびをあげて、押し寄せる亡者に対して肉弾戦で騎馬を当てる。肉体と馬がかちあってぶわっと空中に浮かぶ。落馬した若武者に何人もの闇の戦士が折り重なるように覆いかぶさってくる。
利家は足元に飛びかかってきた一人を蹴り上げると、若武者にかぶさる「人間布団」を槍の柄で薙ぎ払って弾き飛ばした。目をぱちくりした若武者が「た、隊長、ありがとうございます」。
「おう、お互いに身を守れ。絶対に殺しちゃならねえぞ」
利家は門の中、土煙の向こうに、小さな影が小走りで駆けていく姿を捉えた。
紫のツインテール。
「まつだいらッ!元康ッ!」
利家は馬の腹を蹴ろうとした。だが、目の前には、また五人、六人と、闇の戦士が組みついてくる。
「くそっ、放しやがれ! 斬らねぇって言ってんだから、少しは遠慮しろってんだ!」
小さな影はそのまま闇の中へ消えていった。
◆
時計をまた、信長が城内に侵入する直前まで戻す。
本丸御殿、大広間の縁側。
鈴木四郎は黄色い安全ヘルメットを膝に置いて闇の中で結跏趺坐していた。しかし四郎には珍しく、膝の貧乏ゆすりと歯ぎしりが止まらない。奥座敷への立ち入りは許されていない。だからここで待つ。何かあればすぐに駆けつけられるように。
奥から音が届いた。
ヒュン。
「……ひぃっ」
四郎の肩がぴくりと動いた。
口がきけない代わりに四郎の耳はよく聞こえた。井伊谷の山で、鹿の足音と猪の足音を藪の向こうから聞き分けて育った耳だ。
ヒュン。
「……ひぃっ」
四郎の膝の揺れが止まる。”獲物”を感知すればその集中力は四つ子で随一だった。目を閉じてその音を聞く。
中低音ーーその周波数は男の喉から発せられた範囲内。ふだんのメグミ姫もこの範囲の中。だが四郎は音をもっと細かく聞き分けられる。共鳴特性「フォルマント」。 共鳴の癖は人の顔と同じくらい、一人ひとり違う。
(これはメグミ姫の声ではない。姫の声は軽い、しかしちょっと鼻につまった感じだ)
――この悲鳴はさっきの軍議で聴いた扇を鳴らしていた主、今川義元の声だ。
四郎は目をぱちりとあける。
(……姫は無事だ)
何が起きているのかは分からないが、鞭を振るっているのは姫だ。助けに飛び込むような状況ではない。
その時、南の方角から、地の底を這うような咆哮が届いた。
続いて、唱和。
「ミカワ・バンザイ!!」
四郎は立ち上がって南を見た。
(……南の城門……姫が泣きながら飛び出した方向)
直虎姫は昔からそうだ。泣いたときは誰にも見られない一番高くて、自分を罰するために一番寒い場所に上る。昔からそういう奴、そういうおなごだった。
四郎は奥座敷と南の闇を一度ずつ見た。
どちらの姫のそばにもいてやりたい。
どっちだ? 四郎はヘルメットをかぶりなおすと、あごひもをきゅっと締め、また縁側に座り込んで、禅僧のように足を組み、耳に集中しようとする。しかし集中できず、腿がまたがくがくと貧乏ゆすりをはじめてしまう。
不気味な唱和は本丸をのぞく城中のあちこちで巻き起こる。四郎は爪が手のひらに刺さる力で拳をにぎると、震えを抑えようと腿を叩く。しかし、座っていられたのはほんのわずかな時間だった。立ち上がった四郎は奥座敷へ振り返り深々と腰を曲げて頭を下げる。顔をあげると、あとは迷いなく南門へ駆け出した。
これが少し前に起こっていたことだ。
◆
どおおおおんっ――!
城の南側の曲輪で炎の柱が夜空を突き上げた。
土塁が震え、板屋根を抑えていた人頭大の河原石が雨のように降り、爆風に煽られた兵たちが木の葉のように地面を転がる。
焔硝蔵だった。火縄銃のための火薬を納めた城の命綱の蔵。
どおんっ。
どおんっ。
蔵の中の樽から樽へ火が移るたびに、爆発が続く。城の南半分が、赤と黒に塗り潰されていく。
その炎の中をひとりの少女が歩いていた。
いや少女ではない。黒と紫のゴスロリ。煤で汚れたフリル。紫のツインテールの先端はチリチリと熱で溶けている。右目の茶色と左目の青灰色――炎を映して爛々と光るオッドアイ。
松平元康は爆風にスカートを煽られながら、両目を見開き、引き裂かれんばかりに口角をあげた、狂気染みた微笑みのまま、松明を片手に悠々と歩く。
その後ろには百人規模にふくれあがったゾンビのような「闇の戦士」たち、三河軍団が足を引きずりながらついてくる。
彼らは飛んでくる火の粉を払いもしない。たまに飛んでくる石が当たると、スイッチが切れたようにパタリと倒れ込む。その亡骸を後ろから別の亡者が踏み越えていく。
東の城門へ。
「……楽しいなぁ……」
元康は呟いた。両目の焦点があってない。
「……全部、燃えちゃえばいいのに……」
元康は右手の松明をぽいと捨てると、懐から細長い包みを取り出した。
「……村正……」
元康はその包みの中身の名を愛おしそうに呼んだ。
「……おじいさまとお父さまを殺した刀。やっと会えたね……」
熱田の湊を発つ前。加藤図書助からこっそりと元康に差し出されたものだ。
◇
「竹千代さま。あなた様を当家でお預かりしている間にお父上が亡くなられました。その時、岡崎から預けられた刀です。なんでも松平清康さまが殺された脇差とのこと」
「……守山崩れで部下に殺されたおじいさま……」
「はい、さらに広忠さまもこの刀で部下に刺された傷がもとで亡くなられたとか。もちろんそんな偶然はありえませんので、でっち上げの話でしょうが」
「……お父さまが……今川を裏切ったと噂を流された……あの暗殺未遂……」
◇
元康は歩きながら包みの紐を解いた。
古びた錦の布がはらりと炎の中に落ちる。
現れたのは模様のない黒漆の鞘に納められた一振りの脇差だった。
元康は柄を握った。抜く。
しゃらり――。
刀身が炎の光を浴びてぬらりと光った。
刃文があやしく乱れ、波打っている。
「……妖刀……村正」
元康はその名をもう一度呼んだ。
「……さぁ……一緒に……すべてを壊そう……」
元康の周りの闇の戦士たちが炎に照らされたその刀を見た瞬間、目の色を変えた。
「魔導士さまの……剣……」
「闇の剣だ……」
元康は村正を真っ暗な闇夜に突き上げて命じた。
「……滅せ……滅せ。この世を、滅せ……」
静かな声だった。だが、その一言は爆発の轟音をすり抜けてすべての三河軍団の耳に届いた。
「「「「滅せ、滅せ! この世を滅せ!」」」
闇の戦士たちが唱和する。
「「「厭離穢土ォォッ!」」」
百が、二百になり、二百が五百になる。
どおん、どおんと、焔硝蔵の爆発が太鼓のようにその唱和を打ち鳴らす。
「「「滅せ、滅せ! この世を滅せ!」」」
燃え盛る城の中を、村正を掲げた小柄のゴスロリを先頭にした、亡者の軍勢が東の門に向かって進撃を始めた。
◆
本丸御殿の奥座敷。
城全体を揺らす爆発音に、恵は縁側から身を乗り出した。
南半分の空が真っ赤だった。
「……うそだ。誰も死なせないって、みんなに伝えたのに」
恵の声が震えた。
きのうの夕方、大高城で恵は遠江軍団と三河軍団の七千の兵に約束したのだ。神や仏や未来の定めを裏切ってでも、あなたたちの命を護る、と。
「元康さまを……止めなきゃ」
恵が縁側から飛び降りようとした。その腕を信長がつかんだ。
「待て」
「放してください!」
「お前が行って、何ができる。そもそもどこに行くつもりじゃ」
「分かんないです! でも――」
信長は恵の腕をつかんだまま永徳を振り返った。
永徳は縁側の端に立って、燃える城内をじっと観察している。泥だらけの顔に炎の色が映っている。
「永徳。絵で読めそうか」
「自信はありません……でも絶対に僕の『ぱーす』で読み解きます」
永徳は震える指で、燃え盛る遠景の炎をなぞり始めた。
「燃えている曲輪と、燃えていない曲輪。炎が意志を持って広がっています……元康さまの進む先は……」
指が止まった。
「……南門じゃない。東門へ移動しています!」
信長がこれ以上ないほど顔をしかめて、「竹千代……あやつ……」とうなる。
義元が着物の前をかき合わせながら縁側に出てきた。
「東門には……朝比奈と井伊直盛が撤退用にすでに兵を集めておるはずじゃ。ワシの最後の命令が間に合えば良いが」
◆
東門。
開け放たれた門の向こうに、駿河へ続く真っ暗な荒野が伸びている。
門の内側では、朝比奈と井伊直盛が声を嗄らしていた。
「明日早朝に出発する。準備の出来た駿河の者から先に出て門前で野営。遠江の者は門内で夜を過ごせ!」
「城内の様子がおかしい。遠江軍団は周囲を警戒せよ!」
駿河の兵たちが列をなして門をくぐっていく。
その時ーー
どおおおおんっ――!
南門付近で焔硝蔵が爆発する。
びりびりと朝比奈の老いた頬を揺らす。
「いったい何が起きているんじゃ? 直盛!」
「朝比奈どの、門前で野営などと悠長な場合ではなさそうです。すぐに駿河軍団を率いて東へ」
その時、白髪交じりの庵原が二人の前に走って来て、手にした書状を渡す。
「義元さまからの急ぎの命令書じゃと?」
「太守さまは何と?」と髭づらの直盛も書状を読む。
「織田と刃を交えるな。三河の者を斬るなーーとある」
「命令自体は軍議から変更は無い。朝比奈どの、早く駿河軍団の撤収を!」
「おぬしは?」
「あの女軍師曰く、ワシはきのう死んでいるはずの身。しんがりを務めましょうぞ」
直盛は馬に乗ると横腹を蹴って東門前をぐるっと回って、呼びかける。
「浜名の兵よ、集合せい!」
◆
駿河軍団を率いようとする朝比奈の腕を庵原が掴む。
「なんじゃ、今忙しい」
「……朝比奈どの。その書状、まことに義元さまの御筆か」
「花押も義元さまのものじゃ。お主も確認しただろう」
「……あの義元さまがこんなものを書かれるはずがない!」
庵原の目が燃える空を映していた。
「あの女が妖術で書かせたんじゃ!そうか、これは三河と遠江の裏切りじゃな! 図っておるな、松平元康と井伊直盛ッ! 小幡は騙せてもこのワシは騙されんぞ」
◆
東門。
撤退する列のいちばん最後、門に背を向けて、ひとりの大男が槍を地面に突き立て仁王立ちしていた。
髭だらけの顔。岩のような肩。
今川軍の遠江軍団長、井伊直盛。
「駿河の者はだいたい出たか。遠江の者も一隊ずつ引けぇ!ワシが最後じゃ」
直盛はだんだんと迫る炎と大きくなる唱和の声に焦りの色を隠せない。
(直虎は脱出したであろうか)
唱和が近づいてくる。
「「「滅せ、滅せ! この世を滅せ!」」」
その時、背中から声がかかる。
「直盛どの」
直盛はゆっくりと振り返ろうとした。
「おう、庵原どの。駿河軍団はぶじ……なにをッ……ぐぼぅッ」
直盛ががくっと片膝をつく。
「この遠江の裏切りものめが!」
狂気をたたえる庵原の手には血に染まった脇差があった。庵原は馬に乗ると門の外へ走っていった。
◆
東門の内側の曲輪を亡者の軍勢が埋め尽くそうとしていた。その先頭に立つ元康の右手にはぬらりと光る抜き身の刀。
元康は門の前に仁王立ちする直盛を見つけた。オッドアイがゆっくりと細くなる。
「……見ぃつけた……」
紫に塗られた唇が弧を描いた。
「トラ姐の……大事なもの」
村正の妖刀伝説は、江戸時代に広まったものですが、松平家とこの刀の因縁はもっと古くからあったようですが果たして。
本章の最終話(51話)まであと3話!次回49話は9月30日夕方公開します。




