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第45話 立てよ国民!

軍議は終わり恵(めぐみ)は義元の奥座敷へ。静まりかえった沓掛(くつかけ)城の城門で、直虎は膝を抱えてうずくまっていた。姫をぶった、その手を抱えて。――だが夜は静かなままではいなかった。城壁の上に闇の魔導士が舞い降りる。

  ヒュン。

 「……ひぃっ」

 一定のテンポで繰り返される鞭(むち)の音と、女か男かわからない中低音の悲鳴。


 城門の物見台で直虎は、両手で耳を塞ぎ、膝を抱えてうずくまっていた。あの音の意味を知りたくない。あの奥座敷へ姫を行かせてしまったのは、守ると誓ったのにこの手で誓いを破った私のせいだ――。


 その時だ。


 「――うおおおおおおおおッ!!!」


 月と直虎の間に現れた人物が、夜の底を裂くような咆哮(ほうこう)を轟(とどろ)かせた。


 直虎は、弾かれたように顔を上げて声の主に振り向く。見上げた直虎の目にそれが映った。

 城壁の天辺にすっくと立つ小さな影。半円に膨らんだゴスロリのスカート。夜風に揺れる紫色のツインテール。そして、右目の茶色と、左目の青灰色――篝火(かがりび)を反射して爛々(らんらん)と光るオッドアイ。


 松平元康。


 月の光を背にしたゴスロリ元康は、城内を睥睨(へいげい)し、口の端を吊り上げた。

 「……闇の魔導士……見参……」


 

       ◆


 元康の咆哮をスイッチに、城内で寝転がり、呻いていた三河の負傷兵たちがずるずるっと動き出す。

 傷ついた兵たちの落ちくぼんだ目に、あやしい光が灯(とも)しだす。飢えと絶望で亡者(もうじゃ)のようだった男たちが、のろのろと、しかし確実に、立ち上がっていく。

 それは、元康にだけ異様な忠誠を捧げるあの一団――みずからを「闇の戦士」と呼ぶ、狂信の集団だった。

 三河兵は足を引きずりながら、足のないものは腕で這いながら、城門の近くに集まってくる。武具を装備した駿河軍団や遠江軍団の兵たちはその異様さに圧倒されて、固まっている。


 元康は両腕をゆっくりと天へ広げて、いつもの気だるげな囁(ささや)きで物騒な言葉を吐く。

 「……さぁ、惨劇の……始まりだ……」

 この言葉を耳にしたのは、隣に偶然いた直虎だけだった。


 元康は城内側の土塁の高まりに足をかけると、いつもとまるで違う城の隅々まで届く、朗々たる大音声で演説を始めた。


 「……我々は、ひとつの城を失った! これは、敗北なのか!? ……否(いな)。始まりだ!」

 城内がざわめく。瀕死の三河の兵たちの生気の無い瞳に妖しい火が次々に着火する。


 「三河の兵よ! 悲しみを怒りに変えて――いまこそ、立てッ!」

 元康はゴスロリのレースで包まれた右腕を夜空に突き上げる。


 「……立てるぞ」

 「まだ俺たちは立てる……立てるぞ……」


 地獄の亡者のような男たちが城門の前に固まってくる。


 元康はオッドアイでそれを舐めるように見回すと、


 「我ら三河の民こそ、選ばれし民であることを、忘れてはならないのだ! 優良種(ゆうりょうしゅ)たる我らこそ――人類を滅(・)し得るのである!!」


 元康が両の拳を天に突き上げて絶叫する。

 「ミカワ・バンザイ!!」

 「厭離穢土(おんりえど)ォ――ッ!」


 「「「ミカワ・バンザイ!!」」」

 「「「厭離穢土(おんりえど)ォ――ッ!」」」

 地の底から湧くような唱和が城を揺るがした。


         ◆


 闇の戦士たちが城門にゆっくりと這いながら押し寄せる。

 武器はない。甲冑も着ていない。完全な丸腰だが――丸腰の手に握るべきものが目の前にあった。

 城門の閂(かんぬき)だ。


 元康が上から指令を出す。

 「さぁ闇の戦士たちよ、いまこそ開けろッ! 地獄の門を! 闇の眷属(けんぞく)を迎え入れよ!」


 数十、いや百を超える丸腰の亡者たちが、内側から城門にわらわらと群がった。素手で閂に取りつき、しがみつき、体重をかけて、こじ開けにかかる。


 「な、なんだ、こいつら!」

 沓掛城にもともといた駿河軍団の兵たちは突然の狂乱に右往左往している。武装を解いた三河兵など脅威ではない――そう高をくくっていた。だが、刀がなくとも門は内側からなら開けられるのだ。


 「や、やめさせろ! 門を開けさせるな!」

 城門担当の隊長が叫ぶ。しかし混乱が混乱を呼ぶ。城内は一瞬にして、蜂(はち)の巣を突いたような騒ぎになった。


         ◆


 直虎もまた、ほかの城兵と同じく混乱し、繰り広げられる地獄絵図を茫然と見下ろすしかなかった。

 

 「……あれ?……」

 声がすぐ近くで、した。

 元康が顔を少しだけ横に傾けて直虎を見下ろしている。爛々と光っていたオッドアイはいつもの気だるげな光に戻っている。


 「……トラ姐(ねえ)、そこにいたの?」

 元康は心底、意外そうだった。


 「……トラ姐と四郎のことはちょっと警戒してたんだけどね……こんなとこにいるとは意外だった……でも覇気(はき)がなさすぎて……全然、気づかなかったよ……」


 その一言は、刃(やいば)よりも直虎を深く抉(えぐ)った。守るべき人を守れず、敵に認知すらされなかった無様(ぶざま)な自分。


 「……これじゃあ張り合いがないな……じゃあちょっと教えてあげる……闇の眷属(けんぞく)ってわかる?……」

  直虎は力なく首を横に振る。

 「……闇に魂を売りし眷属。前田利家率いる赤母衣衆2000騎……」

 「む、無傷の最精鋭が二千も!?」

 「……そう……これからすごい惨劇が起きるよ……トラ姐の大切なものがぐっちゃぐっちゃに……楽しみだなぁ……じゃあね」

 と言うと、元康は城門の上からひらりと飛び降りる。

 「……闇の魔導士が降りるよ!」

 そう言うと、亡者のような男たちが「はひぃ!」「よろこんでぇ」と次々に重なって「人間クッション」となって元康を受け止める。元康はやがて亡者と混乱する城兵が巻きあげる砂煙の中に消えていった。

 ぎぃと重い音が響く。城門が内側から全開になる音だ。直虎は我に返り、はしご階段を急いで降りると、乗り手を失い興奮する馬をなだめて、槍を拾い、狩衣の裾を翻して、馬にまたがり、「ハイヤー」と叫んで城門に向かう。

         ◆


 開いた門の向こう――暮れきった荒野に、その男がいた。

 馬上に槍(やり)を立てた大柄な武者。その背後には、整然と居並ぶ騎馬の群れ。百、二百――いや二千を下らない。

 先頭の武者が馬をゆっくりと進める。


 「ほお。お出迎えとは助かるぜ。井伊どの」

 前田利家、通称「槍の又左(またざ)」。


 城門の前の土橋で、鎧をつけずに馬にまたがって正対する直虎の背筋が凍った。


 (竹千代さまが言った二千騎は本当だ。あれが城内に雪崩(なだ)れ込めば……終わりだ。混乱の極みになる。でも時間を稼げば四郎が姫をなんとかしてくれるはず)


 「前田利家どの!」

 声を張り上げた。

 「井伊直虎、一騎打ちを、所望する!」


         ◆


 利家は馬上でひょいと片眉を上げた。

 「鎧も着てないやつと一騎打ち、ねぇ」

 槍の石突(いしづき)でとんとんと鐙(あぶみ)を叩く。

 「見え見えの時間稼ぎだな。……まあ、いいぜ。付き合ってやる」


 利家は後ろの二千騎を顎(あご)でしゃくった。

 「どうせ俺は"城には入るな"って殿から言いつかってる、しみったれた役目の一日だけの隊長様よ。手柄なし、殺すな、荒らすな。……門の外で暇を潰すにはちょうどいい」


 (入るなと命じられている? どういうこと?)


 直虎の胸に微(かす)かな違和感が走る。だが、それを吟味(ぎんみ)している余裕はなかった。


 利家は兜を脱ぎ捨てると槍を構えた。

 「来いよ、井伊のあんちゃん。松(まつ)の土産話にしてやろう」


         ◆


 二頭の馬が荒野を蹴った。

 直虎の体術は華麗だった。利家の槍が突き出される刹那(せつな)、鞍を蹴って宙に舞い、穂先(ほさき)を躱(かわ)す。着地しざま馬体の陰に沈み、死角から斬り上げる。柔(じゅう)の極みだった。後ろの二千騎からも「おぉすごい」と感嘆の声があがる。


 だが何度か馬の接近を繰り返したあとーー


 「心ここにあらずってか……俺を舐めてんじゃねぇ!」


 利家の槍の石突が、空中に舞った直虎をまるで蠅(はえ)でも払うように下から掬(すく)い上げた。

 どっと鈍い衝撃。直虎の身体が宙で「く」の字に折れて、地面に背中から叩きつけられる。

 「ぐはっ」息が詰まった。かろうじて起き上がろうとした肩を、利家の槍の穂先がぴたりと押さえた。


 完敗だ。

 直虎は槍を見上げたまま静かに目を閉じた。

 「前田どの……介錯(かいしゃく)をお願いできますか」

 声は不思議なほど凪(な)いでいた。

 「串刺しでかまいません」


 利家はしばらくその顔を見下ろしていた。

 目を閉じ、すべてを受け入れたような澄んだきれいな顔。まるで悟りきった仏のよう。

 利家は槍を引いた。そして馬を降りるとつかつかと歩み寄り、胸倉を掴んで立たせると、直虎の顔面に思い切り拳(こぶし)を叩き込んだ。

 「ぐおっ……!?」

 直虎の身体がふたたび宙を舞い、土の上で仰向けに転がった。閉じていた目が驚きで見開かれる。頬がじんと熱く痺れた。

 「な……なぜ槍でなく、拳で殴る……」

 「殴るに決まってんだろ、こんなもん」

 利家は拳をぶらぶらと振りながら吐き捨てた。

 「あのなァ。俺は今朝、家に帰ってな。教わった通り、松(まつ)をだまって抱きしめてやったんだ。そしたらあいつ、何日ぶりかににっこり笑いやがってよ。……久しぶりに朝からグフフなんだよ」

 「いったい、なにを……言ってる?」

 「松の愛をたっぷり充電してきた俺に勝てるやつなんざ、この世にいねぇんだよ」

 利家は地面に転がる直虎を冷たく見下ろした。

 「……つまんねぇ」

 「え……」

 「お前さん、馬も槍も達者だ。俺の本気の突きも何度か舞うみてぇにして避けやがった。なのに、なんで負けたと思う? てめぇ最初っから勝つ気がねぇ、死ぬ気だったろ」

 直虎は答えられなかった。

 「殺してくれって顔しやがって。菩薩(ぼさつ)みてぇにきれいな顔で。……それをな」

 利家はぺっと土に唾(つば)を吐いた。

 

 「世間じゃ、自慰(オナニー)って言うんだよ」


 直虎の目が見開かれる。


 「てめぇが気持ちよくなって、勝手に満足して、あとは死ぬだけ。守るだの、命を捨てるだの――ぜんぶ、てめぇのためだ」


 言葉が直虎のいちばん深いところに突き刺さった。


 利家は興味を失ったように背を向ける。

 「松の件でちぃっとばかり借りがある。殿から『なるべく殺すな』とも言われてる。だがな、今のてめぇは――殺す価値もねぇ、ただのゴミだ」


 姫のあの寂しそうな笑顔が浮かんだ。膝の上であんなに軽口を叩いていた、あの人。自分を好きになってくれる者などいないと笑っていた、あの人。

 ――うちは、あの人を守りたかったんじゃない。

 守る自分に酔っていただけなのか。


 直虎の指が土を掻(か)いた。

 その指先が槍に触れた。直虎はそれを掴んだ。

 のろのろと、立ち上がり、傍(かたわ)らに落ちていた足軽の胴巻きを見つけて身体に装着する。刃こぼれをした刀を拾い腰に差す。さらに地に転がる弓と矢筒(やづつ)を拾い背に負う。折れた薙刀(なぎなた)の柄(え)まで拾い上げる。

 両手に、背に、腰に。あらゆる武具をその身に纏(まと)っていく。


 利家がその姿を見て口笛を吹いた。

 「……さっきは足を組んだ弥勒菩薩みてぇだったが」

 利家はにやりと笑った。

 「戦う千手観音になったか」


 直虎は答えなかった。

 一騎打ちでほどけた肩まで垂れていた黒髪を、後ろできつく高く結い直す。武具を纏った長身が篝火(かがりび)に照らされ、荒野に屹立(きつりつ)する。

 その目はもう死に場所を探してはいなかった。

 直虎は利家に向かって深く一礼した。

 「……ありがとう、前田どの」

 利家は無言で照れたように顔を少ししかめる。


 しかし、直虎はすぐに顔を上ると、

 「次、会うときは――絶対にぶっ殺すからな、槍の又左!」

 言うが早いか、直虎は身を翻した。二千騎に背を向け、開いた城門を逆に駆け抜ける。姫のいる本丸御殿へ。


 利家はその背中をながめて、ふーっと息を吐く。

 「まったく、殿も無茶苦茶な命令をするよな。『武功をあげるな』『成功しても武功がないから赤母衣衆には戻さん』って。そんな命令聞くやつ、天下広しといえども、どこにいるっつうんだよ。あーっ、また帰ったら松に怒られるじゃねぇか!」

 と大きく伸びをしてあくびをする。


44話で姫の顔をぶってしまった直虎。その罪の意識は、いつしか「討たれて死ぬこと」=自分への罰へと、直虎を追い詰めていました。それを、まるで見当違いの拳で、めちゃくちゃに殴って救ってしまうのが、前田利家という男です。合コンの夜、直虎に「女心」を教わった借りを、彼なりのやり方で、返したのかもしれません。

元康の大演説はもちろん「ジークジオン」のオマージュです。

次回、第46話。時を少し戻して「夜伽」の現場へ。

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