第36話 悪魔的裏切り
桶狭間の戦いに今川義元の陣に転生した女装の男の娘・恵は義元を救ってしまう。今川軍を東の沓掛城に脱出させるため、恵は井伊直虎(女)、その配下の鈴木四郎、そして松平元康(のちの徳川家康)と単身、囮として熱田神宮のある熱田へと船団で急襲する。そのあとを織田信長が追う。
三騎の馬蹄音が、夜の闇を切り裂いて近づいてくる。
恵は振り返り、炎に照らされた砂浜の向こうに、三つの影を見た。
「あの時の三騎が来るのね」
セーラー服学級委員長風の直虎が腰の刀の柄に手をかける。だが、刀はない。船に乗る前に、全員が武器を置いてきた。四郎が「お手上げ」とでも言うように困ったように両腕をあげる。
「……どうする?」
元康の声が、静かに響いた。
「どうするのは家康、いえ元康さまでしょ!」
恵は思わず口走ってしまった。元康が不思議そうに首をかしげる。
「どうする?……家康?」
「あ、いや、なんでもない! とにかく、元康さまは熱田に詳しいんでしょ? 逃げ道とか、隠れる場所とか!」
馬蹄音がさらに近づいてくる。
元康は燃え盛る百隻の船を背に、オッドアイの瞳を細めた。右目の茶色が炎を映し、左目の青灰色が夜空を映している。
「そうだね……じゃあ僕に任せて」
ゴスロリメイク用のリップで紫色に染まった唇が、ゆっくりと弧を描いた。この危機に似合わない満面の笑み。
恵は背筋がぞくりとするのを感じた。
(え? なに、その笑い方……冷たい脇差を首に当てられたみたいな感じ)
「……こっちだよ」
元康は踵を返し、砂浜から町の方へと走り出した。ゴスロリのスカートが夜風にはためく。
「姫、参りましょう」
直虎に促され、恵も走り出す。四郎が最後尾で、黄色い安全ヘルメットを被り直しながらついてくる。
熱田の町は、浜辺の百隻の大炎上に騒然としていた。
「火事だ!」「港が燃えている!」「神宮は大丈夫か!」
人々が右往左往する中、元康は迷いなく路地を抜けていく。
やがて、一軒の大きな商家の前で足を止めた。
「……ここ」
元康が戸を叩くと中から声がした。
「どなたですかな、こんな夜更けに」
「……加藤どの。僕だよ、松平の竹千代だよ」
しばしの沈黙。そして戸が開いた。
五十がらみの恰幅の良い男が目を丸くして、女もののゴスロリをまとった元康を上から足まで見つめる。
「おぉ、たしかに、竹千代様!いや、今は元康様でしたな。その……お召し物は?」
「……後で説明する。とりあえず中に入れて」
加藤と呼ばれた男は元康の背後にいる恵たちを見て、さらに目を丸くした。セーラー服を着た直虎、ボディコンスーツに熊のファーの恵、そして「安全第一」のヘルメットを被った四郎。
「な、なんとも奇妙な一行で……」
「……急いで」
元康の声に加藤は慌てて一行を中に招き入れた。
◆
加藤家の座敷。
恵たちはようやく一息ついた。
「ここは人質時代に預けられていた家なんだ」
元康がポツポツと説明しだす。
「……つまり僕にとっては親みたいなものだよ。ねえ? 加藤殿」
加藤は深々と頭を下げた。
「はっ。当家は信長様に熱田の交易を任されておりますが、元康様は我が子同然であります」
恵は加藤の言葉に、少し安堵した。元康の人質時代の縁を頼ったのは、正しい判断だった、はずだ。
恵は心の中で思う。「家康は幼少期から天才でとても良い子だったと伝わるわ。でも、それはのちの東照宮伝説かもしれない。実際のこの子を見ると……」とまで考えて首を振ってそれより先の懸念を振り払う。「危うくても家康のゆかりに頼るしかチャンスは無いわ」と思う。
「あの、着替えさせてもらっていい?」
恵が切り出した。
「昭和バブルのボディコンは動きにくくてだめだわ。やっぱり着慣れたセーラー服がいいの。直虎くんも女ものの服をいつまでも着てるのいやでしょ?妙に似合ってるけど」
直虎が少し驚いた顔をする。
「しかし、信長が狙っているのはこのセーラー服とやらの小袖を纏う人物。俺は姫の囮になる覚悟で、この珍妙な、あっ失礼、素敵な着物を着ています」
「ここから先は一人ひとりの動きが大事になるわ。直虎くんも大立ち回りしてもらわなきゃ」
「……加藤どの……動きやすい狩衣を用意してもらえますか?」
加藤が女中に指示を出し、着替えの準備が整った。加藤が奥の部屋に一行を案内しようとすると、恵がモジモジしだす。
「あの、か、かわや」
加藤が恵を案内しようとすると、元康がそれを制して、
「……かつて知ったる我が家。僕が厠に連れて行くよ。『連れション』だっけ?」
「そ、そう、連れションでも、何でもいいから早く!漏れそう!」
直虎は連れションに誘われずにホッとして「では、俺は先に着替えてますんで」と加藤のあとを四郎とともについていく。
奥の部屋には大きな屏風があった。
「良かったぁ」と肩の力を抜いた直虎は四郎に「二人が来ないか見張っていてくれ。すぐに着替えるけど早く来たらなんとか止めて」と頼む。四郎は黙って頷き、屏風に背を向ける。
◆
恵と元康はまもなく奥座敷に入ってきた。直虎はすでに脱いで丁寧に畳んだセーラー服を畳に置き、正座している。
恵は「ありがとう」とセーラー服を受け取ると、屏風の裏に行く。屏風の裏で恵がファスナーを下ろすジーッという音がして、セーラー服をパサッと纏う音がする。
「えっ?あれ?なんかめっちゃいいニオイするんだけど」と恵の声がすると、なぜか直虎は顔を真っ赤にする。
やがて、着替えが終わった。
恵はセーラー服に。直虎は普通の武士の姿に。四郎は引き続き「安全第一」のヘルメットをかぶり作務衣のままだ。元康もゴスロリのままだった。
「元康さまは着替えないのですか?」と直虎が聞く。
「……僕はこれ、気に入ってる。特にこの『ウィッグ』というやつが……」
元康は紫色のツインテールを揺らしながら、無表情に答えた。
(この状況で気に入ってるって……追われてるのに……やっぱり大物なのか……変わり者なのか)
恵が呆れていると、元康が加藤に向き直った。
「……じゃあ、加藤どの、お願い……」
その言葉を合図にしたように——
襖が一斉に開いた。
屈強な商人の男たちが縄を持って並んでいる。十人、いや十五人はいるだろうか。全員が恵たちを取り囲むように立っている。
「……え?」
「……なっ、なんだと!?」
「……!」
一斉に顔を歪める恵、直虎、四郎の3人に、ゆっくりと振り返った元康が刀のような青白い微笑を向ける。
「……加藤どの、3人を縛り上げて。信長への手土産にちょうどいい……」
その声は氷のように冷たかった。
「元康さま、いえ、竹千代ちゃん!うちを裏切るの?」
直虎の声が震えている。
「トラ姐、それはどうかな」
元康のオッドアイが冷たく光った。
「僕は最初から、トラ姐の視線がこの女、いや男の娘に注がれているのが……」
元康は言葉を区切り、恵を見下ろした。
「……気に食わなかったんだよね……」
恵は全身の毛が逆立つのを感じた。
「そ、そんな、うちの、いや、俺の視線なんて関係ないでしょう!」
(嘘……でしょ……?)
元康のオッドアイが冷たく恵の目を見据える。
(や、やばい!でも、これよ! これ! 松平元康、いや徳川家康はやっぱり『狸おやじ』じゃないと!)
元康は恵の後ろに回ると腕を後ろにきつく絞り上げた。
「っ……!」
痛みに恵は小さく悲鳴を上げた。
加藤が進み出る。
「元康様、この妙な女、いえ男の娘を信長様にお渡しすると、信長様はお喜びになると?」
「……そう。間違いなく良い取引になる。信長はたった3騎でこの男の娘を追いかけてきている。本当だよ……」
加藤は右手と左手を掲げた。
「当家は信長様に熱田の交易を任されておりますが、元康様は我が子同然であります」と先ほどの言葉を繰り返し、右手を見て、左手を見る。
「どちらにも利をもたらすのが商人というもの。高く売れる商品があれば、なおさらのこと」
加藤の目が妖しく光った。
「どうやら良い商いができそうです」
「姫を商売道具にするなんて絶対に許さん!」
直虎が激高し、加藤に掴みかかろうとした。だが、商人の男たちがすぐさま直虎を取り押さえる。
「トラ姐は少し黙っててもらわないと……」
元康が冷たく言い放った。
「……大商いが台無しになる」
元康が男たちに指示を出すと直虎は猿轡をかまされた。
「んんっ……! んんんっ……!」
直虎が抗議の声を上げるがもう言葉にならない。
「……加藤家のみなさん、特にこの二人は相当な使い手だから気を付けて……ただ怪我はさせないよう……丁重に土蔵に入れておいて」
元康の声は淡々としていた。
「……この男の娘は僕が、特製のえすえむ道具とやらの縄で縛っておく……」
男たちが直虎と四郎を連行しようとする。
四郎は抵抗せず、ただ元康を睨みつけていた。
「……この男は口がきけない。縛るだけでいい」
元康と四郎の視線が真正面からぶつかり合った。
しばし、沈黙の時間が流れる。
やがて元康は気圧されたのか、四郎から目を外し、オッドアイの目線を床に下げ、捨て台詞のように「……ちっ……恵姫はあとで合流させてやる……だから……おとなしく土蔵へ行きな……」と吐き捨てる。
直虎と四郎が土蔵へと連れて行かれる。直虎は最後まで猿轡越しに抗議の声を上げていたが、やがてその声も遠ざかっていった。
◆
奥座敷には、恵と元康そして加藤の三人が残された。
元康は恵のキャリーバッグを開け、SM道具の縄を取り出した。赤い縄。恵が義元に見せた、あのパラフィン製のロウソクと一緒に入っていたものだ。
「……この縄で縛る……のか………」
元康は恵の両手を後ろに回し、縄を巻き始めギチギチに締め上げる。
「……なかなか難しいな……これは………」
ぶつぶつ言いながら元康は恵のセーラー服を赤縄で締め上げていった。
「い、痛い、ちょっと痛い!骨に当たってる。それ、SMの縛りのタブー!痛いって、本当に!このへたくそ!」
「……気に入ったかい……僕の悪魔的謀略……」
恵の目が大きく見開かれた。
「このペテン師! ペテンじゃわからないか。この特殊詐欺師!」
恵は元康をなじった。
加藤が首をかしげる。「ぺてん?とくしゅさぎ?」
「……黙って……縛られてて……」
元康が冷たくささやくと、恵のキャリーバッグからボールギャグを取り出し、恵の口にはめた。
「ふがふがふがっ」
「これはまた妙な道具ですな。猿轡よりも息はしやすい、しかし涎が垂れて、なんとも恥ずかしい様じゃ」と加藤が感心したようなおかしなものを見たような、哀れみの視線で、涎を垂らす恵を見下ろす。
「……この人は………辱められることが喜び………らしい………」
「なんとも摩訶不思議。こやつ、頭がおかしいのですか?」
「……さあ。僕にもよくわからない……でも……こうやって人を嬲るのはちょっと面白いかも……ずっと嬲られてばかりだったから……」
元康は無表情のまま恵の縄をさらにきつく締め上げた。
(いたたたっ!加減を知らないのか!このサイコパスゴスロリ狸おやじ……!)
恵はボールギャグを噛みしめながら元康を睨みつけた。
その時だった。外から馬蹄の音が聞こえてきた。三騎。
そして、男の声が響く。
「加藤! おるか! 開けよ!」
その声を聞いた瞬間、加藤の顔色が変わった。
「の、信長様だ!」
加藤は慌てて玄関へと走っていく。
元康は恵を見下ろし小声で言った。
「……いい子にしてて……すぐ終わるから……」
(ちょっと、紐を結び直しなさいよ……!?)
恵は抗議しようとしたが、ボールギャグのせいで「ふがふが」としか言えない。
玄関から複数の足音が近づいてくる。
襖が開いた。
そこに立っていたのは——4人の男。
黒いマントを翻した鋭い目つきの織田信長。
その後ろには、猿のような顔の男と、槍を持った大柄な若い男、そして——色白で繊細な顔立ちの、十代後半の少年。
信長の目がセーラー服の恵を捉えると、魔王は瞳孔を開き気味に口を開いた。
「おお、これが……白き妖女か! 近くでみると白というよりも青き衣じゃな」
信長の後ろにいた少年——狩野永徳が幻を見るかのように恵をじっと見つめ、ぽつりとつぶやいた。
「そのもの、青き衣をまといて、金色の野に降り立つべし」
槍を持った大柄な男、前田利家が尋ねる。
「永徳、なんだ、その予言めいた言葉は?」
「我が狩野家に伝わる予言です。僕も『大ババ』から聞かされました」
「ふがふがふがふがふが!」(この子……永徳?……狩野?……もしかして狩野永徳?!)
恵は自分が敬愛する絵師の若き姿を初めて間近に見た。推しに会った歓びを伝えたい。しかし、今はボールギャグで口に出せないし、そもそもそれどころではない。
信長が跪いた元康に目を向けた。
「竹千代か。久しいな」
「……お久しぶりです、吉法師兄様」
元康は無表情のまま頭を下げた。ゴスロリ姿で。
信長の眉がピクリと動いた。
「吉法師……餓鬼の頃の通り名で呼ばれるのは久しぶりだ。それにしてもお主の格好は何だ?」
「……この男の娘の着物です。気に入ってるんです……かわいいでしょう?」
「くくく……面白い。相変わらず、変わった小僧よ」と言って、信長は、はっとする。
「竹千代、いや松平元康。今、『男の娘』と言ったな?」
元康は黙ってうなずく。
「狩野永徳の目は確かじゃったな。そうか、やはり男か」と信長は笑いながら恵に近づいた。
「それで、この男の娘はなぜ縛られておるんじゃ?」
「……はい。信長様への、手土産です」
元康の声は淡々としていた。
「……僕は今川の人質でした……ずっと今川から離れることを……望んできました。これからは……信長様にお仕えしたいと……思っています……」
「ほう。今川を見限ったか」
「……はい。勝ち馬に乗るのが、生き残る道です……」
元康のオッドアイが冷たく光っている。
信長は元康をしばらく見つめ——
「……嘘だな」と静かに言った。
「………えっ?」
元康の表情が一瞬明らかに揺らぐ。
「覚えているか、竹千代よ? 織田家の人質だった頃、お前は自分に嘘をついて、自分を抑えていた。きっと今川でもそうしてきたんだろう?」
信長は元康に近づき顎を掴んだ。
「ワシはお前を熱田にいた頃からよーく知っておる。お前がどんな顔して嘘をつくかは正直分からんよ。だがな、お前はな、心から大切にしたいものを見る時、片目の色が明るい藍色に変わるんじゃ、よく覚えておるわ」
元康は平静を装いながら、信長に抗議するように言った。
「……僕に……大切にしたいものなんて……ない………」
「おい、加藤。あれ、持ってこい。ワシが竹千代にあげた紙の人形じゃ。まだあるだろ?」
「は、はい。すぐにお持ちします」
元康の身体が小刻みに震える。
加藤は紙で作った着せ替え遊びができる人形を持ってくる。かなり古いものでぼろぼろになっているが、大切に保管されていたことがわかる。それを受け取ると、信長は元康の目の前に人形を差し出す。
「……どうして……なぜまだ熱田に……」
「織田家から今川家へ人質交換で送られるとき、ワシが加藤に『これだけは保管しておけ』と命じたからじゃ」
元康の震えが大きくなる。信長は元康の顎を離して恵に向き直った。
「まあ、そういうわけじゃ、竹千代。お主が嘘をついているかは預かり知らん。じゃが、この男の娘が『本物』であることはお主の眼で確信したぞ」
信長の手が恵の顎を掴んだ。
「義元だけでなく、あの竹千代すら夢中にさせる妖女とは、どんな妖術を使いおるのか。頭蓋骨の中までじっくり見たいものよのぉ」
恵は瞬時に、信長が浅井長政親子の髑髏で酒を飲んだ伝説的なエピソードを思い出し、さーっと血の気が引くのを感じた。
「ふがふがっ!」(は、離せ、第六天魔王!私の頭蓋骨で乾杯させられてたまるか!)
「くくく、男の娘、か。頭の中だけでなく身体も調べないといかんな」
信長は縛られた恵が暴れるのを見て愉快そうに笑った。
「ふがふがっ!」(普通は頭の中より先に身体のほうに興味持つものだろう!)
恵は信長の瞳に映る自分が完全にロックオンされているのを感じた。
元康渾身の演技も信長にはばれてしまう。恵ピンチ!




