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ちくわ探偵 第2部 ハードボイルド編【連載版】  作者: 堀吉 蔵人
第五話 幼馴染婚約者断罪編

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【ちくわ探偵】初恋の空洞と裏切りの花束

 

 幼い頃、共に探偵ごっこをして遊んだあの日、彼女は確かに笑っていた。庭園の泥に残った靴跡を二人で追い、盗まれた焼き菓子の行方を突き止めた時、セシリアは私の胸の空洞へ花冠を掛けて言ったものだ。いつか本物の事件を、二人で解こう、と。


 歳月は約束を保存しない。保存するのは、約束が破られた瞬間に残る、冷たい輪郭だけだ。


 だが、侯爵家の応接室で私を冷酷に見下ろす幼馴染の令嬢セシリアの瞳には、かつての面影など微塵も残っていなかった。


「ちくわ。貴様との幼馴染という生ぬるい関係も、この婚約も、すべて今日限りで断罪し、破棄させてもらうわ。私は新しく現れた、公爵家の上級魔導騎士様と添い遂げる」


 彼女の隣には、高価な魔導衣を纏った男が不敵な笑みを浮かべて立っている。セシリアは私の煤けた外套と、胸の空洞を忌々しげに睨みつけた。


「貴様は昔からそう。私が華やかなドレスを選んでいる時も、一人で地味な足跡や土の成分ばかりを調べていた。そんな無能、私の輝かしい未来のディテールには不要なのよ。さあ、今すぐ私の前から消えなさい」


 私は何も答えず、ただ外套の襟を立て、静かに自らの胸の空洞に右手を当てた。

 この空洞は、彼女が変わってしまったその瞬間から開いた、哀しみの深淵。だが、目先の権力に目が眩んだ彼女には、それがただの虚無に見えるのだろう。


「分かった。……お前たちの選んだ新しい恋路に、大いなる星の導きがあらんことを」


 私は一言だけ残し、静かに屋敷を去った。背後で、ゆで卵刑事が無言で私の後に続いた。


「いいのか、ちくわ。あの娘は、お前が屋敷の裏壁を毎朝点検していた理由すら知らない」


「構わないさ、刑事。初恋というものは、思い出の中でだけ完全な形を保つ。現実へ持ち出せば、いつか必ず綻びるものだ」


 冬の風が、胸の空洞を通り抜けた。そこに残っていた幼い日の笑い声を、少しずつ遠くへ運び去っていった。


 屋敷を出る時、庭の古い日時計の傍らにナルトがいた。奴は何も言わない。壁際の苔から落ちた白い粉と、日時計の影を交互に見つめていた。影が石の目盛りを一つ越えても、奴だけは動かなかった。


 それから、わずか一日後のことだった。

 セシリアの侯爵家が他国から仕入れた、家宝となるはずの『最高級の魔導シルクのドレス』が、夜会の直前に突如としてドロドロに溶け出し、悪臭を放ち始めた。セシリアと新婚約者は、醜く汚れたドレスを前に、夜会の会場で悲鳴を上げていた。淡い月光を織り込んだはずの布地は黒ずみ、薔薇の刺繍は溶けた蝋のように床へ垂れている。招待客たちは扇の陰で囁き合い、祝いの楽団だけが、止める命令を失ったまま華やかな曲を奏で続けていた。


「な、なぜだ……! なぜ我が家宝のドレスが! 呪いか、魔王の呪いなのか……!」


 混乱する会場に、私は静かに歩み戻った。私の外套をすり抜ける夜風が、冷徹なロジックを研ぎ澄ましていく。


「答えは単純だ、セシリア。お前がそのドレスを保管していた、クローゼットの『裏側』を見な」


 私は一歩近付き、壁の隙間に付着した、微細な「乾燥した苔の破片」を指差した。


「それは呪いではない。クローゼットの裏壁に生えた『吸魔苔』だ。苔は屋敷の魔力を吸い、満ちきると酸性の胞子を吐く」


 私は壁紙の継ぎ目を爪先で示した。白い粉が、糸のように細く床へ落ちていた。


「ただの布なら、色が褪せる程度で済んだだろう。だが、そのドレスは魔力を通す銀糸を織り込んだ最高級品だ。胞子は銀糸を触媒にして酸を生み、縫い目から内側だけを溶かした。だから同じ部屋の木箱も、壁紙も無事だった」


 セシリアは崩れた裾を掴んだ。指の間で、銀糸だけが黒く泡立った。


「私は毎朝、苔が胞子を持つ前に一列ずつ刈っていた。お前が『無能の這いずり回り』と呼んだ鋏の音こそが、お前の晴れ舞台を守る唯一の盾だったのさ」


 セシリアは愕然とし、自らの傲慢が招いた結末に絶叫した。新婚約者の魔導騎士は、吸魔苔を違法な魔力増幅材として密輸していた事実まで暴かれ、ゆで卵刑事が差し出した冷たい手錠――王宮管理法に定められた拘束具を見て、その場に崩れ落ちた。カチャリという音が、かつて交わされた婚約の言葉よりも、遥かに明瞭に室内へ響いた。


 すべてが終わった会場の片隅で、ナルトが一人、無言で佇んでいた。奴は何も言わない。ただ、この因果応報の美学を讃えるように、私の背中に向けて、ゆっくりと、深い敬意を込めた拍手を送っていた。その視線は、溶けた銀糸ではなく、窓の外の日時計へ向いていた。


「行くのか、ちくわ」と、刑事が静かに問いかけてきた。


「ああ。冷えちまった初恋には、熱いコーヒーでも苦すぎる」


 私は背を向け、一人、侯爵家の長い回廊を歩き出した。花束は枯れ、誓いは溶ける。だが、壁の裏に残った苔の一片だけは、裏切りの理由を黙って語り続ける。


 私の名は、ちくわ探偵。

 初恋の残滓を胸の空洞に受け流し、地味な真実を追い続ける、孤独なハードボイルドだ。


(幼馴染婚約者断罪編・完)

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