【ちくわ探偵】破棄の空洞と奢れる薔薇
きらびやかなシャンデリアの光が、王都の最高級ホテルの晩餐会会場を隈なく照らし出していた。
磨き上げられた銀器、季節外れの薔薇、王宮楽団の弦楽。今宵のためだけに積み上げられた華美な虚飾は、一枚の領収書よりも雄弁に公爵家の浪費を語っていた。だが、誰も数字を見ようとはしなかった。人は破滅の額面より、薔薇の色を先に見る。
溢れんばかりの貴族たちの視線が集まるその中心で、公爵家の令嬢エレノアは、自らに寄り添う美貌の若き魔導騎士の腕に手を絡め、扇で私を指し示した。
「ちくわ! 貴様のような不細工で、魔力も持たぬ無能な男、我が公爵家の婿養子には相応しくない。今ここで、貴様との婚約を破棄させてもらうわ!」
その高慢な宣言に、周囲の貴族たちは一斉に冷笑を浮かべ、私に侮蔑の眼差しを投げかけた。
エレノアは、私が身に纏う煤けた外套を汚いものでも見つめるかのように一瞥し、さらに言葉を重ねる。
「貴様は我が家が没落の危機にあった時、何やら地味な書類仕事で貢献した気になっているようだが、そんなものはただの職人の小細工。これからは、この輝かしい魔導騎士様が我が家の盾となる。胸にぽっかりと無駄な空洞を開けた、言葉も持たぬような日陰者は、我が公爵家のディテールには不要ですのよ」
私はエレノアの嘲笑には答えず、ただ琥珀色の外套の襟を立て、静かに自らの胸の空洞に右手を当てた。
この空洞は、人の心の醜い歪みを見通すための深淵。だが、目先の華やかさに目が眩んだこの女には、それがただの虚無にしか見えないのだろう。
「ディテールの意味も知らずに、その言葉を飾りへ使うな。……もっとも、今夜の帳簿にはよく似合っている」
私は一拍置いた。
「分かった。お前たちの選んだ華やかな舞台に、大いなる星の導きがあらんことを」
私はそれだけを告げ、静かに夜会の扉を押し開けて去った。
背後で、ゆで卵刑事が無言で私の後に続いた。トレンチコートを纏ったその寡黙な男は、長年、貴族街の裏で財政犯罪を取り締まってきた法の番人だ。
「いいのか、ちくわ。奴らは公爵家の帳簿の真実を知らない。お前がこれまで、奴らの知らないところでどれほど精密に他家からの横領を暴き、隠された負債を執拗な監査で平らげ、公爵家を裏から支えてきたか、何一つ分かっちゃいない」
「数字は拍手をしない。だが、嘘にも迎合しない。今夜の華やかさがどちらに属するか、帳簿がじきに答えるさ」
ホテルの玄関脇には、ナルトが一人立っていた。奴は何も言わない。馬車の到着時刻を記した札と、会計係が捨てた細長い紙片を見比べていた。風に飛ばされた紙片を拾うでもなく、ただ落ちた場所だけを覚えるように見つめていた。
それから、わずか数十分後のことだった。
私が会場を後にして間もなく、晩餐会のステージで『新婚約者のお披露目』を行っていたエレノアの前に、突然、数人の王宮警護兵が乱入した。楽団の音は半端な和音で途切れ、給仕が掲げていた銀盆からグラスが一つ、長い時間をかけるように床へ落ちた。砕けた音に、会場中の笑みが一斉に凍りついた。
「エレノア公爵令嬢! および、そこにいる魔導騎士! 貴様たち両名に、公金横領、および王宮監査令違反の容疑で逮捕状が出ている!」
「な、なんですって!? 何かの間違いよ! 我が公爵家がそのような罪を犯すはずが……!」
絶望と混乱に顔を歪めるエレノアの前に、私はゆったりと歩み戻り、静かにその姿を見つめた。
騒然とする会場の中、私の外套をすり抜ける夜風が、冷徹なロジックを研ぎ澄ましていく。
「間違いではないさ、エレノア。お前が絶対の信頼を置いていたその魔導騎士の『懐』を見な」
私は一歩近付き、顔を青ざめさせた魔導騎士のポケットから覗く、一枚の「羊皮紙の領収書」を指差した。
「それは他国との裏取引の証拠ではない。お前たちが婚約破棄の夜会を華々しく演出するために、公爵家の公金を流用して買い漁った、特級魔石の『購入履歴』だ。お前たちは気づいていなかった。その魔石の流通経路を裏で監査し、すべての違法な金の流れを記録していたのが、私だということを。私はこれまで、旧来の負債を一件ずつ合法的に整理しながら、不正支出だけが王宮監査局へ届く照合表を組んでいた。お前たちは私を追い出した夜、最後の警告印が付いた特級魔石へ公金を注ぎ込んだ。結果、監査局の封印術式が作動したのさ。お前たちが『無能の小細工』として切り捨てた日々の地味な数字の保全、それこそが、お前の家を破滅から守っていた唯一の盾だったのだよ」
「そんな……そんな地味な数字の理由で、我が家が、私が……!?」
エレノアは愕然とし、自らの傲慢が招いた結末に絶叫した。美貌の魔導騎士は、ゆで卵刑事が差し出した冷たい手錠――王宮監査局の拘束具を見て、その場に崩れ落ちた。栄華を極めたはずの公爵家は、今、完全に墜ちた。
すべてが終わった夜会会場の片隅で、ナルトが一人、無言で佇んでいた。
奴は何も言わない。ただ、この因果応報の美学を讃えるように、シャンデリアの光をその身に浴びながら、私の背中に向けて、ゆっくりと、深い敬意を込めた拍手を送っていた。会計係が捨てた紙片は、いつの間にか奴の足元へ戻っていた。風向きが変わる前から、そこに落ちると知っていたように。
「行くのか、ちくわ」と、刑事が静かに問いかけてきた。
「ああ。冷えちまったこの夜には、まだ淹れたての熱いコーヒーが必要だ」
私は背を向け、一人、再び闇に包まれた街へと歩みを進めた。
どれほど世界が華やかな虚飾に満ちていようとも、地味な真実を、ただひたすらに美しく撃ち抜く者がいなければ、栄華など砂の城に過ぎない。
私の名は、ちくわ探偵。
婚約破棄の烙印を胸の空洞に受け流し、真実を追い続ける、孤独なハードボイルドだ。
(婚約破棄編・完)




