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ちくわ探偵 第2部 ハードボイルド編【連載版】  作者: 堀吉 蔵人
第三話 離縁・婿追放編

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【ちくわ探偵】離縁の空洞と冷え切った家令

 凍てつくような冬の朝だった。

 窓の外では、領地を覆う雪が音を呑み込み、庭園の噴水まで白く凍りついていた。暖炉には火が入っていたが、部屋を満たす冷気は薪ではどうにもならない種類のものだった。

 格式高き侯爵家の執務室に、一通の冷淡な書類が置かれた。私を冷酷な眼差しで見下ろしているのは、かつて愛を誓ったはずの侯爵家当主の令嬢、ベアトリスだった。


「ちくわ。今日限りで貴様とは離縁する。この離縁届に判を押し、今すぐ我が家から出て行くがいい」


 その傍らには、彼女が新たに迎えたという、きらびやかな勲章を胸に飾った若き新進気鋭の宮廷魔導師が、勝ち誇ったような薄笑いを浮かべて立っていた。ベアトリスは、私の煤けた外套を一瞥し、冷たく言い放つ。


「貴様を我が家に婿養子として迎えてから数年、我が家は平穏だったが、それだけだ。貴様には、この御方のような派手な人脈も、宮廷での輝かしい功績もない。毎日毎日、家の裏手で点検ばかりを繰り返す無能な男など、我が侯爵家のディテールには相応しくない。胸の空洞と同じく、貴様の存在そのものが我が家の虚無なのだよ」


 私は何も答えず、ただ琥珀色(こはくいろ)外套(コート)の襟を立て、静かに自らの胸の空洞に右手を当てた。

 この空洞は、崩壊へと向かう一族の足音を聴くための深淵。だが、目先の華やかさに目が眩んだこの女には、それがただの空虚にしか見えないのだろう。


「分かった。……お前たちの選んだ新しい血脈に、大いなる星の導きがあらんことを」


 私は一言だけ残し、静かに侯爵家の門をくぐった。

 背後で、ゆで卵刑事が無言で私の後に続いた。トレンチコートを纏ったその寡黙な男は、長年、貴族街の裏で家庭内の紛争と隠された真実を取り締まってきた法の番人だ。


「いいのか、ちくわ。奴らはこの領地を維持していた本当の力を知らない。お前がこれまで、屋敷の地下で魔力炉の排熱と基礎石の歪みをどれほど精密に見張り、領地を支える動力を毎日調整してきたか、何一つ分かっちゃいない」


「家というものは、愛だけで暖まるわけじゃない。誰かが夜ごと煤を払い、熱の逃げ道を残しているから、朝まで家でいられるのさ」


 門前の雪の中に、ナルトが一人立っていた。奴は何も言わない。屋敷の煙突から上がる煙と、門柱に取り付けられた温度計を交互に見つめていた。針はゆっくりと下がっていたが、地下から伝わる振動だけは、少しずつ速くなっていた。


 それから、わずか一日後のことだった。

 私が去った翌日の夜、侯爵家が誇る至高の魔力炉が、突如として制御不能の暴走を起こした。

 家中が怪しい赤光に包まれ、窓という窓が内側から脈打つように明滅した。宮廷魔導師がどれほどド派手な大魔法で抑え込もうとしても、炉の暴走は止まらない。術式を重ねるほど熱は行き場を失い、地下から響く轟音が屋敷の柱を一本ずつ震わせた。崩落の恐怖に怯え、ベアトリスと一族の者たちは、寝間着のまま庭園へ逃げ惑っていた。


「な、なぜだ……! 宮廷最高の魔導師の術式が、なぜ炉の暴走を止められない……!」


 絶望に顔を歪めるベアトリスの前に、私は静かに歩み出た。

 赤く染まる闇の中、私の外套をすり抜ける夜風が、冷徹なロジックを研ぎ澄ましていく。


「答えは単純だ、ベアトリス。お前が全幅の信頼を置いていたその宮廷魔導師の『足元』を見な」


 私は一歩近付き、暴走する魔力炉の基盤、そこにある一枚の「石材のズレ」を指差した。


「それは魔王の呪いでも、炉の寿命でもない。お前たちが私を追い出した後、炉の底部にある『排熱用の通気口』の、地味な煤払いを怠った結果だ。魔力炉の稼働によって生じる微量な熱の偏りが、この基盤の石材を寸分で膨張させ、全体の術式バランスを僅かに狂わせた。ほんの僅かな隙間が、魔力の逆流を許したのさ。お前たちが『無能の地味な這いずり回り』として切り捨てた日々の点検と微調整、それこそが、この屋敷を爆発から守っていた唯一の盾だったのだよ」


「そんな……そんな地味な掃除の理由で、我が家が、私の人生が……!?」


 ベアトリスは愕然とし、自らの傲慢が招いた結末に絶叫した。新進気鋭の宮廷魔導師は、ゆで卵刑事が差し出した冷たい手錠――領地管理法に定められた拘束具を見て、その場に崩れ落ちた。領地を崩壊の危機に陥れた大罪として、彼らの栄光は今、完全に墜ちた。


 すべてが終わった庭園の片隅で、ナルトが一人、無言で佇んでいた。

 奴は何も言わない。ただ、この因果応報の美学を讃えるように、燃え盛る炉の光をその身に浴びながら、私の背中に向けて、ゆっくりと、深い敬意を込めた拍手スタンディングオベーションを送っていた。地下の振動が止まった瞬間、門柱の温度計へ静かに顔を向けた。針が戻り始めるより、ほんの少し早く。


「行くのか、ちくわ」と、刑事が静かに問いかけてきた。


「ああ。冷えちまったこの夜には、まだ淹れたての熱いコーヒーが必要だ」


 私は背を向け、一人、再び闇に包まれた街へと歩みを進めた。

 どれほど世界が華やかな功績に満ちていようとも、地味な真実を、ただひたすらに美しく撃ち抜く者がいなければ、栄華など砂の城に過ぎない。


 私の名は、ちくわ探偵。

 離縁の烙印を胸の空洞に受け流し、真実を追い続ける、孤独なハードボイルドだ。


(離縁編・完)

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