【ちくわ探偵】受難の空洞と汚れなき告発
大聖堂に、厳かなパイプオルガンの音が冷たく響き渡っていた。
祭壇には白百合が幾重にも積まれ、香炉から立つ薄紫の煙が、天井画に描かれた神々の足元へ静かに昇っていた。誰もが奇跡の到来を信じていた。ただ、聖水盤の底に沈んだ黒い粉だけが、その信仰から取り残されていた。
神聖なる光がステンドグラスを通して降り注ぐその中心で、王太子エドワードは、自らの隣に寄り添う一人の純潔そうな令嬢の肩を抱き寄せ、私を指差した。
「ちくわ! 貴様の不条理な悪行の数々、もはや見過ごせぬ。神の奇跡を騙り、人々を欺いてきた『偽聖女』として、今ここで貴様との婚約を破棄し、国外追放を言い渡す!」
その声に、周囲の貴族たちは一斉に嘲笑を浮かべ、私に冷たい視線を浴びせた。
王太子に抱き寄せられた令嬢――この国に新しく現れたという『真の聖女』は、勝ち誇ったような歪んだ笑みをその仮面の下に隠している。
「神に捧げる聖女でありながら、その胸に邪悪な空洞を開け、煤けた外套を纏って地味な土の汚ればかりを追いかけるなど、不浄の極み。これからは、この神聖なる本物の聖女が、我が国の出汁……いや、神の恵みを満たす。貴様のような無能な偽物は、我が王国のディテールには不要だ」
私は何も答えず、ただ琥珀色の外套の襟を立て、静かに自らの胸の空洞に右手を当てた。
この空洞は、邪悪な陰謀を見通すための深淵。だが、偽りの奇跡に目が眩んだこの男には、それがただの虚無にしか見えないのだろう。
「分かった。……お前たちの選んだ未来に、大いなる星の導きがあらんことを」
私は一言だけ残し、静かに大聖堂を後にした。
背後で、ゆで卵刑事が無言で私の後に続いた。トレンチコートを纏ったその寡黙な男は、長年、教会の裏で異端審問官を務めてきた法の番人だ。
「いいのか、ちくわ。奴らは罠に嵌められたことに気づいていない。お前がこれまで、国の水源の汚染を地味に調査し、疫病の本当の原因を突き止め、どれほど多くの民を救ってきたか、何一つ分かっちゃいない」
「奇跡は、人の目がある場所でしか輝かない。真実は違う。誰も見ていない水底で、黒い粉一粒ぶんの重さを増し続ける」
大聖堂の門を出る時、ナルトが聖水盤の傍らに立っていた。奴は何も言わない。水面に浮かぶ黒い粒を見つめ、それから鐘楼の時計へ視線を移した。鐘は正午を告げたはずなのに、奴の顔には、もっと遠い時刻を聞いているような静けさがあった。
それから、わずか三日後のことだった。
王宮の広場で、新聖女が執り行う『降雨の儀式』は、最悪の結末を迎えていた。祭壇の水を天へ汲み上げ、雲へ変えて国土へ還す――古来より伝わる循環の術式である。
聖女が祈りを捧げた瞬間、天から降ってきたのは恵みの雨ではなく、大地を腐らせる漆黒の毒雨だった。白い石畳は瞬く間に煤け、祝福のために放たれた鳩は羽を濡らして軒下へ逃げ込んだ。作物は枯れ果て、王太子も貴族たちも、恐怖に震えながら広場で逃げ惑っていた。祈りの言葉だけが、誰にも届かぬまま毒雲へ吸い込まれていった。
「な、なぜだ……! なぜ聖女の祈りが届かない! 神がお怒りなのか……!」
絶望に顔を歪める王太子の前に、私は静かに歩み出た。
どしゃ降りの毒雨の中、私の外套をすり抜ける夜風が、冷徹なロジックを研ぎ澄ましていく。
「答えは単純だ、王太子。お前が隣に囲っているその『真の聖女』の指先を見な」
私は一歩近付き、震える新聖女の爪の隙間、そこにある微細な「黒い煤」を指差した。
「それは神の天罰ではない。この女が儀式の直前、水源の祭壇へ仕込んだ『黒硫黄の毒粉』だ。爪の煤は、その袋を素手で裂いた証拠になる」
新聖女の顔から、血の気が引いた。
「この女は、ごく薄い毒を混ぜた後、自分だけが知る中和剤を投じるつもりだった。濁った水を一瞬で澄ませ、奇跡を演じるためにな。だが、祭壇の地下には三日前から沈殿槽の泥が溜まり、黒硫黄と反応する鉄塩が残っていた。私が毎朝、濾材を交換し、泥を掻き出していた場所だ」
私は毒雨に濡れた石畳を見下ろした。黒い泡が、目地に沿って細く走っている。
「毒粉は中和されるどころか、沈殿槽で増幅され、循環術式によって雲へ汲み上げられた。お前たちが『偽聖女の無駄な這いずり回り』として切り捨てた一日の保全。それだけで十分だった。この国の空を毒へ変えるにはな」
「そんな……そんな地味な理由で、我が国が……!?」
王太子は愕然とし、自らの傲慢が招いた結末に絶叫した。新聖女と呼ばれた悪女は、ゆで卵刑事が差し出した冷たい手錠――異端審問局の聖別拘束具を見て、その場に崩れ落ちた。国家を危機に陥れた大罪人として、彼女の栄光は今、完全に墜ちた。
すべてが終わった広場の片隅で、ナルトが一人、無言で佇んでいた。
奴は何も言わない。ただ、この因果応報の美学を讃えるように、雨の雫をその顔に伝わせながら、私の背中に向けて、ゆっくりと、深い敬意を込めた拍手を送っていた。拍手の合間、奴の視線は一度だけ、毒雨に沈んだ聖水盤へ戻った。黒い粒が最初に落ちた時刻を確かめるように。
「行くのか、ちくわ」と、刑事が静かに問いかけてきた。
「ああ。冷えちまったこの世界には、まだ淹れたての熱いコーヒーが必要だ」
私は背を向け、一人、再び混沌の街へと歩みを進めた。
どれほど世界が輝かしい奇跡に満ちていようとも、地味な真実を、ただひたすらに美しく撃ち抜く者がいなければ、平和など砂の城に過ぎない。
私の名は、ちくわ探偵。
偽聖女の烙印を胸の空洞に受け流し、真実を追い続ける、孤独なハードボイルドだ。
(偽聖女断罪編・完)




