【ちくわ探偵】神話の空洞と覚醒の鐘
「ちくわ。貴様のような、神の神託も受け取れぬ無能な下級神官は、この聖域から追放だ」
千年の祈りを吸い込んだ大聖堂には、白い香煙が幾重にも漂っていた。黄金の祭壇、宝石を嵌め込んだ聖具、天井一面に描かれた創世神話。そのどこにも、床下を走る補強術式の名は刻まれていない。
大公爵家にして大司教の男が、神殿の祭壇の前で私に宣告した。
周囲の聖職者たちは一斉に冷笑を浮かべ、私の胸の空洞を指差した。
「その胸の空洞は、神に拒絶された呪われた印。貴様が毎日毎日、神殿の床の『ひび割れ』に地味な漆喰を塗り、祈りの時間を正確に測るだけの無駄な仕事を繰り返す姿には反吐が出る。我が神殿のディテールに、貴様のような出来損ないは不要だ」
私は何も答えず、ただ外套の襟を立て、静かに自らの胸の空洞に右手を当てた。
この空洞は、前世において私がこの世界を創造した際、自らの神核を削って穿った【世界の中心】。だが、自らの記憶を封印し、一人の人間の探偵として生きてきた私を、彼らはただの練り物と笑う。
「分かった。……お前たちの祈りが、天に届くことを願うよ」
私は静かに神殿を去った。背後で、ゆで卵刑事が無言で続いた。
「創世神を追放する神殿か。ずいぶん思い切った教義だ」
「神という肩書きも、床のひびには効かないさ、刑事」
巨大な扉が閉じる寸前、祭壇の鐘が一度だけ濁った音を立てた。聖職者たちは奇跡の前触れだと跪いた。私には、それが術式の歪みが上げた最後の悲鳴に聞こえた。
私が神殿の門を出た瞬間、私の脳内で、永きにわたる前世の記憶の封印が静かに解除された。神々の王としての記憶。しかし、私のやるべきことは変わらない。
神殿の門前には、ナルトがいた。奴は何も言わない。漆喰の剥がれた一条の亀裂と、祈祷時刻を示す水盤の波紋を見つめていた。鐘が鳴るたび、亀裂の粉が一粒ずつ落ちた。
それから、わずか数時間後のことだった。
神殿の最奥にある『神の心臓』と呼ばれる巨大な魔力結晶が、突如として粉々に砕け散り、神殿全体が崩壊を始めた。天井画には稲妻のような亀裂が走り、聖像の翼は根元から折れ、巨大な鐘楼が祈りを嘲笑うような轟音を立てて傾いた。信徒たちは神の名を呼び続けたが、返事をしたのは崩れ落ちる石材だけだった。大司教たちは、神の加護が完全に消失したことにパニックを起こし、大理石の床に這いつくばっていた。
「な、なぜだ……! 神が我らをお見捨てになったのか!? 祈りは捧げているはずなのに……!」
崩れ落ちる神殿の柱の影から、私は静かに歩み出た。
「答えは単純だ、大司教。お前たちが踏みつけている、その床の『ひび割れ』を見な」
私は一歩近付き、砕け散った祭壇の底を指差した。
「神は最初からお前たちなど見ていない。あの『神の心臓』は、神殿全体の術式の歪みが一箇所に集中することで砕ける構造になっていた。私は毎日、床のひび割れに黙々と漆喰を塗り、術式の歪みを寸分で補修し、祈りの秒針の隙間を完璧に調整していた。私が前世でこの世界を作った時の、名もなき安全弁さ。お前たちがそれを『無能の無駄な仕事』として私を追い出した結果、世界の中心のバランスが崩れ、神殿ごと自滅したのさ」
大司教は愕然とし、自らの傲慢さに絶叫した。神殿の資産を完全破壊した大罪で、彼は寄進金の横領と補修記録の隠蔽まで暴かれ、ゆで卵刑事に神界建造物管理法の冷たい手錠をかけられた。創世神である私の前で、彼は最後まで『神の御心』を言い訳に使った。
すべてが終わった瓦礫の片隅で、ナルトが一人、無言で佇んでいた。奴は何も言わない。ただ、覚醒せし創世の神の、あまりにも地味で完璧なロジックに、ゆっくりと、深い敬意を込めた拍手を送っていた。世界を創った私より先に、奴は最後の漆喰片が落ちる時刻を知っていたように見えた。
「行くのか、ちくわ」と、刑事が静かに問いかけてきた。
「ああ。世界を創った者にも、補修の続きがある」
私は背を向け、砕けた神像の影を抜けた。神話は壮大であるほど美しい。だが、世界を明日まで保たせるのは、漆喰を塗る一本の指なのだ。
神であったことは、真実を見抜く理由にはならない。世界を保つ仕事を知っていたことだけが、私をここへ立たせている。
私の名は、ちくわ探偵。
神々の賛美を胸の空洞に受け流し、真実を追い続ける、孤独なハードボイルドだ。
(前世が神だった編・完)




