異界における生態系の一例
呆気に取られていた巫咲だったが、すぐに般若の如き形相になり、詰め寄る。
「ど、どういう事よ。さっきは可及的速やかに撤退するって言ってたじゃない」
「ええ、その通りです。ただ、その過程で問題が見つかりまして、今日の撤退は断念しました」
「だ、断念……」
ふらりと倒れそうになりながらも踏み止まると、絞り出すような声で問いかける。
「り、理由は何かしら?」
「先程の戦闘で、車両が数台大破した上に、燃料タンクが石化してしまい、帰るまでの足に問題が生じてしまいました。無事なのをかき集めて、一部が先行して帰還するという手段もある事はあるのですが、分散は、帰還組、待機組、双方にとってリスクありと見なし、断念したんです」
「無理して今帰還するぐらいなら、明日の後発組と合流してからの方がいいだろうとなったそうですよ。そりゃあコカトリスが暴れまくるようだったら、強行軍を選びますが、この大人しさなら、ひとまず大丈夫だろうって。新手が来ても、私達より草摘みに夢中になりそうですからねえ」
「何てことなの……」
信護の後を引き取った恭子が、のほほんとした口調で補足する。
だが、巫咲は絶望するかのように、片手で顔を覆ってしまう。
その巫咲の様子に嫌な予感を募らせ、信護が問い質す。
「何か不味い事、起こりそうなんですね……」
だが、巫咲はその問いかけには応えず、自分に言い聞かせるように、ぶつぶつ独り言を繰り返す。
「いえ、冷静になるのよ私。考えてみれば、これは憶測じゃないの。不安通りになるとは限らない。うん。考え過ぎ。たぶん、いえ絶対、そうはならない、はず…………。うん。大丈夫な気がしてきた」
長々と呟いたかと思うと、のっぺりとした笑顔を張り付け、気を取り直した様子で信護達を振り向く。
「ごめん。心配かけちゃって。そう、明日に帰るのね。よくよくよくよく考えてみたら、心配し過ぎちゃった気がするの。あはは」
「いえ、そこまできたら、不安は払拭出来ませんので、考えた事をそのままゲロって下さい。その是非は、聞いてから判断します」
「そうそう。素直に吐いた方が、楽になれますよ」
その説得に、不承不承といった様子ながらも、話す事にした。
誰かに聞いてもらい、否定してほしいと考えたのかもしれない。
「あー、最初に前置きするけど、これは私の想像力による部分がちらほらあるから、そんな大事に思わないでね」
「はい。そこは理解していますので、大丈夫ですよ。だから、安心して話して下さい」
信護の理解を示す言葉に安心したのか、幾分気を取り直して、巫咲は話し始めた。
「まず、コカトリス達は、人間側が積極的にちょっかいかけさえしなければ、ここにいる間は、危害を加えないと思うの。だって、ここには私達より美味しく、栄養がある食材がいっぱいあるもの」
「目の前には、あいつらが食べていた植物が、たくさんありますからねえ」
「あれかー。あの植物はね、あの鶏達にとって美味しい食べ物じゃないよ」
「え!」
信護が何気なく言うと、巫咲が訂正してくる。
驚く皆を可笑しそうに見渡しながら、手品の種明かしをするように話すのだった。
「あんなにゆっくり味わうように食べていれば、意外に思うだろうけど、ヘンルーダには、捕食した相手の味覚に優しい成分なんて、存在しないわ。ていうか、あんなの、他の生物だったら毒認定してるわよ」
「そんなにですか……」
「コカトリスちゃんは平気そうですね。ゆっくり味わうように食べていま……あっ、もしかして」
恭子は何かに気付き、言いかけると、巫咲は同意するように頷く。
「コカトリスにとって、これは薬のようなものね。良薬口に苦しって言葉があるでしょ。コカトリスにとっては、それがヘンルーダなの。だから、別に好き好んで食べてないと思う。美味しくないし、急激に摂取してしまうと本当に毒になってしまうから、仕方なくゆっくり食べてるだけね」
「ははあ。一見すると、何でもないような表情だけど、あれがもし人間の顔だったら、すっごく嫌そうな顔で食べてるんですね。そう考えると、なんだか可愛いです」
目をキラキラさせながら、そんな感想を述べる恭子だった。
一方の信護は、巫咲の説明を受けて生じた疑問を口にする。
「何故、コカトリスはそこまでしてヘンルーダを食べるのでしょうか?」
「私の想像が入ってくるけど、たぶん、そうしなければ、何も口に出来ず、いずれ餓死してしまうからじゃないかと思う。それぐらい、石化をもたらす嘴の力が強すぎるのよ」
巫咲の視線の先には、燃料ごと石になってしまった燃料タンク等があった。
「ヘンルーダに秘められた効果には、その石化と相克する力がある。でもそれは、身体も同時に蝕む力でもあるから、コカトリスは少しずつ取り込み、体内で必要な成分だけ吸収したら、すぐに排出する。だから、糞の中には、ほとんど消化されてない状態のヘンルーダが発見されるんだと思う。後ね、コカトリスってヘンルーダを食べる傍らで、"準アイテム"に該当する栄養一杯の植物も、取り込んでいるようなの。そっちはちゃんと最後まで消化して出してるから、余計扱いに差が出てるわね」
「すると、今寝そべっているコカトリス達は、満足して寝ているのではなく……」
「たぶん、具合が悪いから、寝てるだけじゃないかな」
器用なものだと関心する一方、勘違いしていたらしい事に苦笑いしてしまう。
「そうやって石化を中和する力を蓄える事で、ようやく日々を好きに過ごせてるんじゃないかしら。食事の時は、石化の力を中和しつつ、敵と戦う時は、中和を止めて、石化の力を解放する。そうやって、オンオフを器用に切り替える事が出来てるんだと、私は考えてる」
「なるほど。その説が正しければ、コカトリスは定期的にヘンルーダを採集するために、今日みたいな振る舞いをしていることになりますね。その裏付けをするために、今後は要観察事項となっていくでしょう」
「その観察が大変なんだけどね」
日頃からやりたくても出来ない事なため、恭子は思わず愚痴り混じりにこぼす。
だが、すぐに不思議そうにすると、恭子の先程の言動を掘り返した。
「それで、さっきの春野さんは何に焦っていたんですか?」
「……あのね、ふと思っちゃったのよ。こうなるとコカトリスって、普段何を食べているのかなって」
「何って……何をでしょうね?」
「その点は、まだはっきりわかっていないんですよね。戦争中では、死体をついばんでたって証言がありますけど。あと、植物もいけるクチですね」
信護の疑問に、恭子が過去の記録を持ち出しつつ、見解を示す。
それに巫咲も頷くが、更に踏み込んだ。
「その話は私も知っているわ。強靭な胃袋を持っているようだし、雑食なんだとは思う。ただ、普段、何を食べているのかと考えた場合、こう考えるべきよね。周辺に生息している現地の生物と。……さて、あの巨体を誇るコカトリスが必要な食事の量ってどのくらいの規模かしら。そして、ここで遭遇した生物ってサイズはどのくらいだったっけ?」
その巫咲の言葉に、皆ピタリと動きを止める。
そして、しばし沈黙が流れるが、その静寂は、やはり人の言葉で破られる。
「そういえば、巨大な芋虫に遭遇しましたっけ……」
「あー、巨大と言えば、他には鼠っぽいのや、蟻や蜘蛛っぽいのも確認されてますね。あと、これはまだ未確認なんですが、Gを目撃したという証言があります。ただ、そいつは酔っぱらっていましたので、どこまで信用できるかは疑問ですけど」
「ああ、そんな話を私も研究所にいる時に聞きました。あの人、ノリと勢いで喋っていましたが、普段からあんな調子なんですか?」
「あの人はお酒が入ってなければ、とても真面目で信頼できるんだけどねえ。っと、話が逸れましたね。うん、あんな巨大な生物達を捕食してるなら、お腹一杯になって、胃袋を賄えそうですね」
話の軌道修正を図りつつ、結論に納得気にうんうんと頷く恭子だったが、そこに信護は補足の声を上げた。
「"準アイテム"に分類できる栄養豊富な薬草があり、それを摂取する有益性をコカトリスは理解していますから、実際はそんなには食べなくて済むのかもしれません。でも、巫咲さんには、不安になってしまう事があると。それは一体?」
「急にここら一帯の植物は、巨大化していたでしょ。どうやらここの植物には、そういった周期があるみたいなの。なら、それらの特異な変態を遂げた植物を、コカトリス以外の周囲の生物も放っておくかしら」
巫咲のその疑問は最もだが、ある点で焦っている巫咲とシンクロ出来ていなかった。
「これらの植物と縁ある生物は、他にももちろんいるでしょうから、決して無視はされないでしょう。しかし、今すぐ動かなければならない事を意味するわけではないかと。確かに今動かれるかもしれませんが、明日か明後日かもしれない。また、動かれても少数かもしれません」
「……うん。そうであって欲しいの。ただね、こう思って。コカトリスはヘンルーダの効力を取り込んだわけだけど、その効果はいつぐらいまで持つのかなって。それに、嫌な思いをしてまで飲み込んだ以上、その見返りは早く欲しいと思わないのかなって。そして、ここでコカトリス達がくつろいでいるのは、待っているからじゃないかって。もうじき人間よりもずっとエネルギーになる目当ての獲物が来る事を知っているからじゃないかって」
「「…………」」
考え過ぎだと言いたい気持ちがあったが、段々巫咲の不安が伝播したのか、そう言いたくても言えなくなってきた。
それでも、この重苦しい空気を変えたくて何かを言おうとしたその時だった。
ガサッ。ガサガサッ。
離れた場所で、音が響いたような期がした。
聞き違いであって欲しいと思ったが、お互いの顔が、今のは聞き違いではない事を柔弁に物語っていた。
そして、止めをさすかのように、いつの間にか近くまで寄って来ていた河本隊員がポツリと一言述べる。
「あれ?今何か、物音がしなかったっすかね」
その言葉が合図になったわけではないだろうが、その発言の直後、それは一斉に起こった。
ガサガサガサガサッ。
ブーン。
バキバキバキッ。
どんどん騒々しい音が迫り、遂に決壊したのだった。
「うわあああ。何か出たーーー!!!」
河本隊員の悲鳴がこの場の心境をわかりやすく語っていた。
まるで図ったかのように、大量の現地の生物が湧き上がり、現場はあっという間にパニックになりつつあった。
何しろ巨大なため、威圧感が凄まじいのだ
そんな中、待ってましたと言わんばかりにコカトリス達が立ち上がったと思うと、近くにいる芋虫をついばみ、石化しない状態のまま、一気に捕食していく。
「うわあ。踊り食いねえ。素敵!」
場違いな感想が皆の耳に届くが、それに突っ込みを入れる時間も惜しいとばかりに一同慌ただしく動く。
まるでコカトリス達が人間を救うヒーローのようになっているが、そんな事はただの結果論に過ぎないため、余計な幻想を抱く事はなかった。
それぞれが自分の役目を務めようとする最中、巫咲は観念した様に、語り出した。
「も、もう駄目」
「!何弱気になってるんですか!!巫咲さんらしくありませんよ。こういう危機の時だろうと、強気に不敵になって、乗り越えてきたじゃありませんか!!」
「そうなんだけどね。……なの」
「はい?」
「だから、……てなの」
「???」
「だから、苦手なの!!」
巫咲の絶叫に?マークを顔一杯に映してしまう信護だった。
そんな信護を余所に、我慢できないとばかりにマシンガンの如く、巫咲はまくし立てる。
「今まで言いたくなかったんだけどね。あの中に、私の天敵がいるの!」
「天敵、ですか」
「そう。私、その巨大バージョンがいるんじゃないかと思うと、内心気が気でなかったのよ。それで、もしかしたらもうじき、大挙して押し寄せて来るかもしれないと思ったら、気が気でなくなっちゃって……。ああ、何で悪い予感は当たるのよ。こんちくしょうめ!!」
「巫咲さん。レディの言うセリフではありませんよ」
思わず突っ込みを入れてしまう信護だったが、巫咲の天敵の方に関心を抱いた。
「それで、何が苦手なんですか?」
「うっ。それは……、言いたくない!」
「ええ!何でですか?」
「何か弱みを晒すみたいでやっぱり嫌。別に生理的に駄目というだけで、いざとなれば対処出来ないわけではないしぃ」
「何子供みたいな事を言ってるんですか……」
「悪かったわね。私は精神子供よ」
「威張って言う事ではないですね」
「知りたかったら、私の言動で当ててみなさい。当てられえたら、ご褒美をあげちゃう」
何か変な話になって来たなと思いながら、この災厄のパレードを乗り切る事に全力を挙げる事にする信護だった。
そうして、何時間も続く修羅場を経て、何やら大変な休暇となりつつも、何とか乗り切ってみせた信護達だった。
研究所に戻った時には皆、精も根も尽き果て、死んだように眠った。
こんなにもぐっすり眠ったのは、子供の頃以来かもねとは、巫咲談。
ちなみに、巫咲の天敵についてはなんとなくわかったが、それはまたの話。
読んで下さりありがとうございました。