6.贅沢
遠征に出ていた皆さまがお戻りになったのは、夕食の仕込みが半ばまで進んだ頃でした。
前庭では、門番がすでに門扉をいっぱいに開いております。そこへ馬が一頭ずつ入ってきて、その後ろから騎士さまたちが続きました。
「お帰りなさいませ」
声を掛けると、先頭にいらしたアルノーさまが顔を上げました。
「ただいま、マーガレット」
その声を聞いて、ようやく本当にお帰りになったのだな、と安堵いたします。もっとも、悠長にそう思っていられたのは、ほんの一瞬でした。
「隊長! 荷はこっちでいいですか」
「それは裏に回してくれ」
「お嬢さま!」
門番に呼ばれ、わたしはその場から下がりました。
厨房から料理人のテレーザが顔を出し、人数を尋ねてきました。アルノーさまが振り返って、
「食う奴?」
全員の手が上がりました。
「はいよ! 十四ね!」
テレーザは返事をするなり、また厨房へ引っ込みました。
夕食どきには、食堂は久しぶりに騒がしくなりました。
長く空いていた席はあっという間に埋まり、皿と匙の触れ合う音と話し声が重なっています。
わたしは厨房と食堂を何度か往復したあと、遅れて戻った方がいないことを改めて確認し、ようやく一息つきました。
*
翌朝、わたしは事務室の机に紙を広げておりました。夜番に入れる者の名を並べ、昼仕事との兼ね合いを考えておりますと、扉を叩く音がします。
「どうぞ」
扉が開き、アルノーさまが顔を覗かせます。
「朝から難しい顔してるねえ」
「あら。おはようございます、アルノーさま」
「もう仕事してるの?」
窓の外はすっかり明るくなっています。
「仕事を始めるには遅すぎるくらいですわ。何かご用ですか?」
「特にないけど、今日は君と一緒にいられるかなと思って」
「まあ、お上手ですこと」
わざわざ、そのためにいらしたのですか。なんとも律儀な方ですね。
「忙しい?」
「お付き合いしたいのですが、あいにく午前中は使用人との面談がありまして」
「そうなんだ。新しく雇うの?」
「ええ。夜番を一人増やそうと思っています。ご紹介くださった方によれば、宿屋で夜のお仕事をなさっていたそうです。条件には合っていますね。主に夜勤へ入っていただく予定ですから、できれば男性がよいのですが」
「夜勤だから男性? どうして?」
訳がわからないと言いたげな表情をアルノーさまがされたので、わたしは思わず笑ってしまいました。アルノーさまは、ご自分が思っているよりずっと立派な騎士さまでいらっしゃいます。
しかし、困りました。このお方に、いったいどこまで事情をお伝えしてよいものか……。
「若い方を一人にできない、そういう仕事もございますでしょう」
「……うん?」
やはり、よくわかっていらっしゃらないお顔です。
わたしは笑って、勤務表に視線を戻しました。
「興味がおありでしたら、面接に同席されますか?」
「いいの?」
「もちろんです。夜のお仕事についても、ご説明するお約束でしたでしょう」
「じゃあ、お願いしようかな」
「ちょうどよろしいですから、夜番のお仕事も一緒にご説明しましょう」
「よろしくお願いします、管理人さん」
妙にかしこまって頭を下げられたので、笑ってしまいました。
使用人候補の方がやってきたのは、それから二時間ほどあとでした。
玄関から案内されてきた男性は、四十を少し越えたくらいに見えます。上着は着込まれていましたが、きちんとした居住まいで、片手に柔らかな帽子を持っていらっしゃいました。
「はじめまして。ミラン・コヴァチと申します」
「マーガレット・バルタです。どうぞお掛けください」
腰を下ろしたあと、帽子を膝の上へ置き、その上に両手を重ねられました。
アルノーさまは、わたしの後ろにある椅子に座っていらっしゃいました。
「こちらはアルノー・グランヴェルさまです。白樫の寮生で、騎士隊長をなさっています」
「どうも」
アルノーさまが軽く片手を上げられました。
「本日は、夜間の対応を確認していただくため同席なさいます。採用については、わたしがお話ししますね」
「承知しました」
ミランは特に気負う様子もなく、わたしのほうを見ました。
まず、以前の勤め先について伺いました。
町の宿で、七年ほど夜の帳場に入っていたそうです。遅れて到着した客を迎え、必要なら湯や食事を手配し、夜更けには裏口の施錠も任されていたとのことでした。
「夜番はお一人でしたか?」
「帳場は一人でしたが、何かあれば、宿の主人や泊まり番を起こしておりました」
「では、実際のお仕事に近いことをお聞きしますね」
「はい」
「白樫の寮生が夜中に知人を連れて帰り、『空いている部屋を一晩貸してくれ』と頼まれたら、どうされますか?」
「そうですね……。空き部屋があるかどうかは確認しますが、使わせてよいかは決めません。管理人へ確認します」
「ありがとうございます。そうしてくださいませ」
「宿では、夜番でも空き部屋を使わせるくらいの決定権があるのか?」
アルノーさまが、ミランに尋ねました。
「宿にもよりますかね。客室を替えるとか、特別に金を受け取るとかは、主人しか決められないでしょうな」
「なるほど」
アルノーさまは腕を組み、それ以上は口を挟まれませんでした。
わたしはミランに、もう一つ尋ねることにしました。
「酒の入った騎士さまお二人が口論を始めた場合は、どうされますか?」
ミランは少し苦い顔をしました。
「え……。騎士を押さえ込めとおっしゃるなら、無理ですよ」
ほとんど愚痴のような口調に、アルノーさまが吹き出されました。ミランもつられて少し笑います。
「止まりそうにないなら、ほかの騎士さまを呼びますかね……」
「それで結構です。身体を張って止める必要はありません。管理人――わたしにも連絡をくださいな」
「助かります」
ミランは心からそう思っているようでした。
条件の確認を終えてから、わたしは「こちらの条件でよろしければ、お願いしたいと思います」とミランへお伝えしました。
ミランは膝の上に置いていた帽子を握って、深く頭を下げました。
「ありがとうございます。どうぞよろしく願います」
「こちらこそ」
雇用条件をもう一度確認してから、わたしはミランに騎士寮内を案内しました。後ろからアルノーさまもついてきてくださいます。
「最初は、長く勤めている者についてもらいます。明日の夜から、お願いできますか?」
「問題ありません」
そのとき、階上で扉の閉まる音がしました。続いて、階段を下りてくる足音がします。
姿を見せたのは、リュカさまでした。室内着に身を包んでおられて、片手には木剣を持っています。
「お疲れさまです、隊長」と軽く会釈して、思い出したように続けられました。
「そういえば、明日の朝の稽古っていつもの時間で大丈夫ですか? ガスパールが気にしてて」
「いつも通りだ。今度、二日酔いで来たらぶん殴るぞって言っておけ」
「はい。でも、その前におれが蹴り起こしますけどね」
アルノーさまもリュカさまも本気ではないようで、いたずらっぽい笑みを浮かべていて、そこで会話は途切れました。
リュカさまはミランとわたし、その横に立つアルノーさまを順に見て、何やら考えるようなお顔をされました。
「ご用件がありましたら、お伺いいたします」
「いえ、何も。ありがとうございます。失礼します」
リュカさまは、そのまま玄関のほうへ歩いていかれました。
アルノーさまが、あらためてリュカさまが降りてきた二階に目を向けられました。
「きみたちが二階へ行くこともあるのか?」
「ございますよ。呼びに行ったり、用のある方へお届けものをしたり。夜番が一人でしたら、翌日まで待っていただくことが多いですね」
「一人では行かせないのか。どうして?」
「どうして、と申されましても……」
わたしは少し考えました。
人の自制心を試すような配置を、わざわざ組むものではないでしょう。
「使用人と寮生を、必要もないのに私室で一対一にする意味がございませんもの。昼にできるなら昼に回しますわ」
ミランも、階段の上を見てうなずいています。
「宿でも、女の子を客の部屋へ一人で行かせないようにはしてましたよ」
「似たようなものですね。何も起こらないのが一番ですもの」
わたしたちは事務室へ戻りました。
ミランには雇用に必要な書類をお渡ししました。アルノーさまには、夜番の仕事についてまとめた紙をお渡しします。
「この『判断できない場合は、管理人へ』っていうのは、きみを呼ぶってことか?」
「はい。わたしが参ります」
「二階にも?」
「必要でしたら」
「……夜に何かあったら、きみはどう対処するんだ?」
「ミランと同じですわ。危険があれば、その晩に白樫へいらっしゃる騎士さまへお力を借ります」
「じゃあ、俺がいるときは呼んで」
わたしは少し考えました。
遠征へ出られることもあるアルノーさまを夜番の頭数へ入れるわけにはまいりませんが、白樫にいらっしゃる夜まで遠慮することもありませんね。不都合が生じたら、そのときにまた考えればよろしいでしょう。
「そうですね。アルノーさまの手をお借りできれば助かります」
「じゃあ、そういうことで。よろしくね、管理人さん」
かしこまって「管理人さん」と呼ばれるのは、これで二度目です。思わず笑っておりますと、ミランが不思議そうにわたしたちを見ていました。
*
騎士団長であるオーギュストさまが白樫へいらしたのは、昼食の片づけが一段落した頃でした。玄関先でお迎えしますと、団長はいつものように簡単な挨拶をなさってから、食堂のほうへ目を向けられました。
「アルノーはいるかね」
「はい。先ほどまで食堂にいらっしゃいました」
ちょうどそこへ、アルノーさまが食堂から出てきました。
オーギュストさまのお顔を見る限り、何か急な任務が入ったという様子ではございません。アルノーさまも同じように思われたのでしょう。気軽な調子で尋ねられます。
「俺ですか?」
「お前以外にアルノー・グランヴェルがいるなら、そちらでも構わんがね」
「あいにくと、会ったことはないですねえ」
「では、お前で我慢しよう」
お二人は気楽に掛け合いをなさいます。
わざわざ周りに聞かせる話でもないでしょうから、お二人を事務室に案内することにいたしました。
いちど厨房へ下がり、料理人のテレーゼに、薬草茶と珈琲を淹れてもらいました。オーギュストさまは珈琲を飲まれないのです。
茶器と受け菓子を盆に載せて事務室へ戻りますと、オーギュストさまとアルノーさまは向かい合っておられました。ちょうど話が弾んでいたらしく、わたしが入室してもオーギュストさまは言葉を切らず、アルノーさまもこちらへ小さく目礼しただけでした。
「先の話だが、お前は退役後どうするつもりだね」
オーギュストさまのお言葉に、アルノーさまは意外そうに眉を上げます。
「申し渡しですか?」
「雑談だよ。十年先でも十五年先でもいいが」
「そうですねえ」少し考えるそぶりをなさって、「白樫でのんびりさせてもらおうかと」
オーギュストさまは、しばらくアルノーさまの顔を見ておられました。
「呆れた男だ。働かんつもりか?」
「そこまで言ってないでしょう。まったく、ご老体はひとこと漏らすと三つ先まで決めようとするからいけない」
「三つ先まで考えるのが私の仕事だ。お前にも見習わせたいものだな」
「団長に成り代わる気はありませんのでね」
「二心ないのは結構だが、せめて一つ先くらい考えたらどうだね。お前、騎士を辞めたら騎士団にも来なくなりそうだからな」
「どうでしょうねえ」
お二人のお話を聞くつもりはございませんでしたが、ここで急いで出ていくのも不自然でしょう。 わたしは盆を抱え直し、扉へ向かいました。
「まあ、隊を持たなくなっても、できることはいくらでもあるがね。若い者の稽古を見るとか」
アルノーさまは、困ったように笑われました。
「そうはいっても、俺はバルタ家へ婿に入りますから」
あら。
扉を半分開けたところでしたが、思わず振り返ってしまいました。
オーギュストさまも、ちらとわたしのほうを見て、それからアルノーさまに視線を戻されます。
「婿入りは知っておるよ。だが、それが今の話と何の関係がある。バルタ嬢から、騎士団を辞めて寮を手伝ってくれとでも言われたのかね?」
「いえ。ですが……」
オーギュストさまはそれを最後まで聞かず、開いた扉のそばに立っているわたしへ顔を向けられました。
「バルタ嬢。少しいいかね」
「はい」
扉を閉め直し、お二人に向き直ります。
まさかお話に加わることになるとは思っておらず、どこへ座ったものか迷っていると、オーギュストさまが壁際の椅子を引き寄せて、わたしに勧めてくださいました。
わたしが腰を下ろすのを待ってから、オーギュストさまは尋ねられました。
「アルノーが結婚後にも騎士団に在籍していると、バルタ家として何か差し支えはあるかね」
「いいえ」
あるはずがございません。
確かに、人手はいくらあっても困りません。アルノーさまは長くここで暮らしていらっしゃいますし、白樫の勝手も、そこらの使用人よりよほどご存じでしょう。
しかし、だからといって、それ以外のお仕事をしてはいけないという話にはなりません。
「わたしとしては、これ以上の贅沢を申し上げる気はございません」
「贅沢とは?」
「白樫騎士寮に愛着のある方を旦那さまとして迎えられる時点で、願ってもないお話だったのです。寮のお仕事を手伝っていただければ助かりますが、そのためにアルノーさまのなさりたいお仕事を制限するのは、本意ではございません」
オーギュストさまが、わたしとアルノーさまを交互に見ます。
「つまり、騎士団で働くなとは言っていない、と」
「もちろんです」
「だそうだぞ、グランヴェル。婿入りは断る理由にはならんな」
アルノーさまは弱ったと言いたげな表情で、視線を落としました。
「そうみたいですねえ」
オーギュストさまは長椅子の背へ軽く身体を預け、茶器に口をつけました。
遠くのほうで、食器の触れ合うカチャカチャという音が聞こえてきます。食堂の片づけをしているのでしょう。アルノーさまはしばらくその音に耳を傾けるかのように窓を見つめていらっしゃいましたが、視線を戻されました。
オーギュストさまは、片手に茶器を持ったままで口を開きました。
「まだまだ先の話になるだろう。若い連中の稽古はこれまで通り頼むぞ」
「結局やらせるんじゃないですか」
「嫌なら断ってもらっても構わんがね」
「嫌とは言ってないでしょう。まったく、せっかちなお方だ」
オーギュストさまは笑って、残っていた茶を飲み干されました。
団長を玄関までお見送りしてから事務室へ戻ると、アルノーさまはまだ椅子に座って、窓の外をぼんやり眺めていらっしゃいました。
わたしが二つの茶器を盆へ戻したところで、アルノーさまがこちらに気づきました。
「あ、そうか。それ飲むよ」
「もう冷めておりますよ。新しいものをお淹れします」
「なら、二人分お願いしようかな」
「二人分?」
「君の分もね」
盆を持って厨房へ戻り、テレーゼに再び珈琲を二人分お願いしました。アルノーさまに誘われまして、と伝えるやいなや、テレーゼはわたしの手から盆を取り上げてしまいました。
「お嬢さまは先に戻っていてくださいな。さあ!」
そうやって半ば強引に、厨房から追い出されてしまいます。
仕方なく事務室へ戻りますと、アルノーさまは先ほどと同じ椅子に座って待っていらっしゃいました。
ほどなく、テレーゼが二人分の珈琲を運んできました。わたしたちの前へ手早く茶器を並べると、何も言わずに下がっていきます。
アルノーさまはさっそく、新しい珈琲に口をつけました。
「君は、何を望んだら贅沢になると思っているんだい」
何を、と言われますと、案外難しいものです。すぐには答えられませんでした。
「そうですね……。いま以上のものは、なんでも」
「なんでも?」アルノーさまは目を丸くして繰り返されました。「欲がないねえ」
そうでしょうか。
わたしには、毎日するべきことがございます。
白樫のお仕事もございますし、両親も健在です。使用人の皆もよく働いてくださいますし、寮生の皆さまにも恵まれております。そこへ、アルノーさまが旦那さまになってくださるというのです。これ以上、いったい何を望めばよいのでしょう。
「わたしは、十分よくしていただいておりますから」
アルノーさまは珈琲へ目を落として、しばらく黙っていらっしゃいました。
「欲しいものはないの?」
欲しいものなら、まあ、いくらでもございます。
白樫は年中人手不足ですし、修繕の必要なところも山ほどあります。食費は年ごとに上がっておりますし、もう少し懐に余裕があればよいのですが。先日雇ったミランにも、長く勤めていただけるに越したことはございません。
「食堂の椅子を、あと四脚ほど揃えたいところですが」
「君の欲しいものって椅子なのかい。それも寮の?」
アルノーさまは、呆れたようにおっしゃいました。
「それなら俺だって、若い連中に新しい手袋を買ってやりたいよ」
「お揃いですね」
おかしくなって、わたしは小さく笑いました。それから、ふと思い立って尋ねました。
「アルノーさまはどうなのですか。何かをお望みですか?」
アルノーさまは、椅子の背にもたれて、「そうだなあ」とおっしゃいました。
「明日の朝、ガスパールが一番に起きてくることかな」
「手袋のほうになさいませ。まだしも望みがございます」
アルノーさまは声を立てて笑いました。




