5.戻る理由
遠征五日目の夕方、アルノーとロベールが翌日の巡回について話していたところ、ロベール宛てに白樫から知らせが届いた。
使いから伝書を受け取ると、ロベールはその場で封を切った。
「何かあったのか?」
「庭の木の根が、隣との塀を持ち上げてるらしい。床の下にも回ってるそうだ」
ロベールは紙面へ目を落としたまま答えた。
「それはまずいな」
「バルタ嬢が、わざわざ家まで見に行ってくれたらしい」
アルノーは思わずロベールの手元を見た。
「うちの掃除婦の話を聞いて、職人まで呼んでくれたそうだ。根を切らないと、塀も床もまだ動くだろうってさ。……迷惑をかけたね」
「ん? お前の家のことだろう。なんで俺に迷惑がかかるんだ」
本気でわからなくて聞いたのに、ロベールは苦笑しただけだった。
「木って、例の木か」
「そうだよ」
ロベールが結婚して白樫を出たあと、アルノーは何度か家を訪ねたことがあったから、庭に大きな木があることは知っていた。それをロベールの妻がいたく気に入っているということも、よく聞かされていた。
だが、それももう八年ほど前になるだろうか。奥方がまだ生きていた頃の話だ。
卓に身を屈めて返事をしたため始めたロベールに、アルノーは言った。
「残すんだろ?」
「そうしたいけどね。根を切ってもらうから、そのまま枯れてしまうかもしれないな」
アルノーは、思わずまじまじとロベールの横顔を見つめた。奥方があれほど気に入っていた木なのだから、ロベールにとっても特別なものだと思っていた。そんな木を失うかもしれないというのに、ロベールは顔色ひとつ変えない。
アルノーには、それがよくわからなかった。
亡き妻との思い出があるから、あの家に住み続けているのではなかったのか。
それなら、なぜあの木が枯れることを、こんなにすんなりと受け入れられるのだろう。
ロベールが伝書を折り畳むのを見ながら、アルノーは思わず口にしていた。
「……お前は、白樫へ戻ろうとは思わなかったのか」
ロベールはしばらく黙っていた。その表情には相変わらず疲れが滲んでいたが、気を悪くした様子はなかった。アルノーの質問についてどう答えるか、ただ真面目に考えているようだった。
「戻るったって、理由がないだろう? あそこはもう僕の家なんだから。あの家を引き払ってここに越してくるほうが手間じゃないか」
そうだろうか。
一人では不便も多いはずだ。ロベールは現役の騎士なのだから、白樫に戻れば部屋があてがわれる。食事も出るし、困ったことがあれば、誰かしら捕まえて助けを求められる。
それは、戻る理由にはならないのだろうか。ましてロベールは隊長格の騎士なのだから、部下連中が放っておくわけもないのに。
「一人で不便じゃないのか?」
「今さらだな。まあ、見合いの場には何度も引っ張り出されたよ」
「見合い?」
「再婚しないのかってさ」
「無遠慮だな」
「そう邪険にするものではないよ。世話焼きが近くにいるのはありがたいことだ」
ロベールは少し考えてから続けた。
「でも、あれこれ説明するのが面倒でね。相手が若いほどそうなんだ。断ると、どうも妻のことを気にしているんだと思われることが多くてね」
思っていた答えとずいぶん違った。
「思われるって。奥方が忘れられないんじゃないのか?」
「そりゃあ忘れないよ。だが、それとこれとは話が別だろう」
「別か?」
「そもそもね。僕は若い娘をもうそういう目では見られないんだ。それだけの話なのに、何でもかんでも妻のせいにされたら困ってしまうよ。僕は……」
そこまで言うと、ロベールは、仕方がないとでもいうように笑みを浮かべた。その表情には、諦めと寂しさが混じっていた。
「だが、どうもそういう風には見えないらしい」
周囲はきっと、ロベール・マルコヴィッチが若い女になびかない理由を、亡き妻に求めてしまうのだろう。
そして、アルノーもまた、そう思い込んでいた。
亡き妻の影響は確かにあるのだろう。だが、それですべての説明がつけられるわけがない。妻を亡くしてから今日まで、ロベールにも仕事があり、責任があり、生活があるのだから。
ロベールは、少し間を置いて付け加えた。
「どうせ紹介してくれるなら、年上がよかったな」
「もう四十過ぎてるだろ」
ロベールは呆れたように言った。
「お前ね。結婚を何だと思ってるんだ?」
アルノーは答えられなかった。
ロベールの考える結婚というものは、アルノーにはよくわからなかった。




