第86話 フィルムのノイズと、五年の距離(2)
カラカラカラ……というフィルムを巻き取る機械音だけが、狭い空間に響いている。
息が詰まりそうだった。千歳さんが動くたびに、衣服の擦れる微かな音や、彼女の体温までもが直接伝わってくるような気がして、僕は不自然なほど身体を強張らせていた。
「はい、これで終わり」
千歳さんが巻き取り終えたフィルムの大きなリールを取り外そうと背伸びをした時、ふとバランスを崩した。重い金属の塊が、彼女の手から滑り落ちそうになる。
「あっ……」
「危ない!」
僕は咄嗟に身を乗り出し、落ちそうになったリールを下から両手で支えた。
その瞬間。僕の手の甲に、千歳さんの少しひんやりとした指先が重なった。
ピタリと、映写室の中の時間が止まったような気がした。
機械が発する熱気とは違う、火傷しそうなほどの熱が、触れ合った皮膚から急激に全身へと広がっていく。
「……ありがとう、冬也くん。助かっちゃった」
ほんの数秒の空白の後。千歳さんはハッとしたように手を引っ込めると、いつもの「落ち着いた年上の女性」の仮面を被り直し、クスッと困ったように笑った。
「やっぱり、男の子ね。私なんかよりずっと力があるわ」
男の子。
その何気ない単語が、僕の胸の奥で燻っていた感情の導火線に、決定的な火を点けた。
彼女の目には、僕はいつまでたっても「就活に悩む迷子の学生」でしかないのだ。優しく庇護する対象であって、決して対等な男としては見られていない。それがどうしようもなく悔しくて、歯痒かった。
「……男の子じゃありません」
気がつけば、僕は振り返ろうとした千歳さんの腕を、思わず強く掴んでいた。
「え……冬也、くん?」
驚いて目を丸くする千歳さんを、逃げないように真っ直ぐに見つめ返す。心臓がうるさいくらいに鳴っている。でも、もう止まることはできなかった。
「俺を、ただの学生扱いしないでください。慰めてもらうためにここに来てるんじゃないんです。俺は……」
喉がカラカラに乾いていた。それでも、不器用に背伸びをした僕の言葉は、熱を帯びたまま一直線に彼女へと向かっていった。
「俺は、千歳さんのことが……好きです」
映写機の冷却ファンの低い音が、やけに大きく聞こえる。
僕の突然の告白に、千歳さんは目を見開いたまま、完全に言葉を失っていた。
しかし、数秒後。
彼女の瞳に浮かんだのは、驚きでも、喜びでもなかった。
それは、どこか遠くを見るような、ひどく哀しそうで、諦めに似た静かな光だった。




