第79話 線香花火と、動き出す時間(1)
夏休みも残り数日となった、八月最後の週末。
地元にある神社の境内は、数日前に僕と結衣が二人でラムネを飲んでいた静寂が嘘のように、夏祭りの強烈な熱気と喧騒に包まれていた。
ドンドン、と腹の底に響く太鼓の音。ソースの焦げる匂いと、甘ったるい綿菓子の匂いが混ざり合った、祭りの夜特有のむせ返るような空気。
色とりどりの浴衣を着たカップルや、はしゃぎ回る小学生のグループが次々と僕の横をすり抜けていく中、僕は一人、首から古いフィルムカメラを下げたまま、あてもなく人混みを歩いていた。
あの一瞬の夕立で決定的な溝ができて以来、僕は結衣と一度も連絡を取っていなかった。
「……バカだよな、俺」
提灯の赤い明かりに照らされた夜空を見上げ、自嘲気味に呟く。
あの日、僕が不器用にぶつけた「走れなくてもお前はお前だ」という言葉。それは、陸上に青春の全てを懸けてきた彼女のプライドと絶望を、根底から否定する残酷な刃だったのだ。
彼女がどれだけ傷つき、どんな思いで一人で雨上がりを帰っていったのか。それを考えると、メッセージアプリを開く指先はどうしても動かなくなってしまった。
『目標がないのに、どうやって笑えばいいのよ!』
泣き叫ぶ結衣の声が、祭りの囃子の音に混じって耳の奥でフラッシュバックする。
このまま新学期が始まれば、隣の席に座る僕たちの間には、きっと取り返しのつかない決定的な壁ができてしまう。それだけは絶対に嫌だった。
だからこそ、せめて今日だけは彼女を見つけて、ちゃんと謝りたかった。
ヨーヨー釣りや射的の屋台が並ぶ賑やかな参道を抜け、僕はふと、人気のない神社の裏手へと足を向けた。
表の喧騒がまるで嘘のように遠ざかり、代わりに秋の気配を感じさせる虫の音が響く、薄暗い空間。
そこは、小さい頃に僕と結衣がよくかくれんぼをして遊んでいた、古い御神木の裏側だった。
「……結衣?」
暗がりの中、拝殿の縁側に腰掛ける小さな影を見つけて、僕は思わず立ち止まった。
藍色に白い朝顔が描かれた浴衣姿。
綺麗に結い上げられたうなじと、そこから覗く華奢な背中。
彼女は表の祭りの賑わいから逃げるように、一人ぽつんと膝を抱えて座っていた。
ザッ、と僕が不用意に砂利を踏む音を立ててしまうと、結衣がビクッと肩を揺らして振り返った。
暗がりの中でもわかる。その目はうっすらと赤く腫れていて、きっと僕が来る直前まで、ここで一人で泣いていたのだ。
「……蒼太」
「お前……こんなとこで何してんだよ。せっかく浴衣着てんのに」
「……勝手でしょ。ちょっと、うるさいのが疲れただけ」
結衣はプイッとそっぽを向き、再び膝に顔を埋めてしまった。
その声はひどく硬く、拒絶の意思がはっきりと滲んでいた。数日前の夕立の中で刻まれた溝は、まだ生々しく彼女の心に口を開けている。
逃げ出したいような気まずさが足元に絡みつく。
でも、今日だけは逃げるわけにはいかなかった。
僕はゆっくりと深呼吸をして、首から提げていたカメラの重みを確かめるように一度だけギュッと握りしめると、彼女が座る縁側へと真っ直ぐに歩み寄った。




