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ラムネ瓶の向こう側、君と目が合った季節。―青春恋愛オムニバス―  作者: ぽてと
茜色の縁側と、ポラリスの灯り

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第57話 すれ違いの夜と、移動式喫茶の灯り(3)

持っていた缶コーヒーの冷たさが、完全に指先の感覚を奪い去った頃。

ようやく僕は足を止め、小さく息を吐き出した。吐き出された白息が、街灯の黄色い光の中でぼんやりと消えていく。


これ以上、この冷たい夜道を歩き続けても、何か答えが見つかるわけではない。

逃げるように飛び出したあの家に、もう戻らなければならない。彼女とちゃんと向き合い、さっきのひどい言葉を謝罪しなければ、僕たちの関係は本当に修復不可能なところまで壊れてしまう。そう予感させるだけの冷えた空気が、深夜の街には満ちていた。


家に近づくにつれ、心臓の鼓動が嫌な音を立てて早くなっていく。

曲がり角を曲がると、古い木造の平屋建てのシルエットが、街灯の影にぼんやりと浮かび上がった。


リビングの窓からは、電気がついていることを示すオレンジ色の明かりが漏れていた。

外まで聞こえるような大きな物音や、激しい気配はない。ただ、静まり返った住宅街の中に、その小さな窓の明かりだけがぽつんと灯っている。


(起きて、待っているんだろうか……それとも)


僕は恐る恐る玄関の引き戸に手をかけ、音を立てないように慎重に、ゆっくりと鍵を開けた。

ガチャリ、という小さな金属音が静寂に響く。引き戸を数センチだけ開けると、古い木特有の匂いと一緒に、どこか懐かしい生活の気配が鼻腔をくすぐった。


靴を脱ぎ、忍び足で廊下を進む。

リビングのドアは少しだけ開いており、そこから室内の様子が伺えた。


リビングのソファには誰もいない。

代わりに、ダイニングの小さなテーブルの上に、ポツンとマグカップが二つ置かれていた。一つは、僕が夕食の時に使っていたもので、もう一つは彼女が愛用しているお揃いのマグカップだ。どちらも中身は空っぽで、ほんのりと湯気の痕跡が残っている。


「……遅かったね」


不意に背後からかけられた声に、心臓が跳ね上がった。

ビクッと肩を揺らしながら振り返ると、そこには薄手のカーディガンを羽織った彼女が立っていた。

その目は少し赤く腫れており、泣いた後の名残がありありと残っていた。けれど、その表情に怒気はなく、ただ静かな疲労と、言いようのない寂しさが漂っていた。


「……ごめん」


喉まで出かかっていた言葉は、その顔を見た瞬間にすべてかき消され、ただその一言が掠れた声でこぼれ落ちるだけだった。


「どこをフラフラしてたの。携帯も持って出ないで」

彼女の声は震えていたけれど、責めるようなトーンではなかった。ただ、心配した焦りと、絶望の淵から引き戻されたような安堵が入り混じっていた。


「寒かったでしょ。……早く中に入りなよ」


彼女はそう言うと、僕の返事を待たずにリビングの奥へと踵を返した。

その背中は、見慣れていたはずの恋人のものなのに、どこか遠くへ行ってしまいそうなほど小さく頼りなく見えた。


リビングに足を踏み入れると、エアコンの効いた室内の暖かさが、冷え切った体にじわりと染み込んでくる。

しかし、部屋の空気は重く、昨日までの温かな生活の匂いはどこかに引っ込んでしまっていた。


私たちは、ダイニングテーブルを挟んで向かい合うようにして座った。

古い木のテーブルの表面には、私たちの生活の歴史のように、小さな傷やマグカップの輪ジミがいくつも刻まれている。その真ん中で、お互いに視線を合わせることができず、ただ沈黙だけが重く重く覆い被さっていた。


昨夜、あの公園で見かけた『ポラリス』のカウンターで交わされていた温かい笑い声と、湯気を立てるコーヒーの香り。

あそこにあった穏やかな時間は、今の僕たちからはあまりにも遠く、隔絶された世界のもののように思えた。


(このままじゃいけない。ちゃんと、話さなきゃ)


僕は震える手を自分の膝の上で強く握りしめ、ゆっくりと顔を上げた。

古い平屋の冷たいシーツに包まれる前に、僕たちはこの亀裂と向き合わなければならない。

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