第50話 本音の輪郭(2)
沈黙が降りたホーム。
ふと、遠くの山間から聞こえていたガタンゴトンという低い走行音が、完全に消え去っていることに気がついた。
「……あ」
拓海が間抜けな声を漏らし、私から視線を外して、何もなくなった線路の先を見た。
「行っちゃったね、電車」
「……お前が引き留めたんだろ」
「そうだけど。まさか、本当に乗らないとは思わなかった」
張り詰めていた空気が、ピンと張った糸が切れたようにふっと緩む。
拓海は大きなため息をつき、先ほどまで座っていた古いベンチにドサリと腰を下ろした。
「あーあ。オレンジ色の特急券、無駄になっちゃったな」
口では文句を言いながらも、その声に棘はない。彼の横顔からは、先ほどまでの切羽詰まったような余裕のなさがすっかり消え去り、憑き物が落ちたような穏やかで少し照れた笑みが浮かんでいた。
「次の電車、一時間後だよ。あれが今日の上りの最終」
私が彼の隣に座りながら言うと、拓海は「知ってる」と短く答えた。
七年間、ずっと守ってきた距離感。でも今は、その見えない境界線が確実に消滅している。古いベンチに並んで座る私たちの肩と肩の隙間は、今までで一番狭かった。少しでも動けば、お互いの腕が触れ合ってしまいそうだ。
「一時間か。……なんか、急に気まずいな」
拓海が、いつもの癖で首の後ろを撫でながら、ぼやいた。
その耳の先が、夕焼けのせいではなく、ほんのりと赤く染まっているのがわかる。
「なにそれ。さっきあんなにカッコつけて、『負けたよ』とか言ってたのに」
「言うなよ。自分でも柄じゃないってわかってるんだから。……だいたい、栞が急に真っ直ぐ突っ込んでくるから、俺の心の準備が全く追いついてないんだよ」
「私だって、心の準備なんてしてなかったよ。ただ、このまま帰しちゃいけないって、体が勝手に動いただけだもん」
夕闇が空の群青色を濃くしていく中、無人駅の天井にポツリと、オレンジ色の蛍光灯が灯った。
ジジジ……と、古い電灯の微かなノイズが、夏の終わりの静かな夜を感じさせる。
私は自分の膝の上で両手を組み、アドレナリンが引いて一気に熱を持ち始めた自分の頬を、夜風に晒した。
友達としての沈黙ではなく、恋人としての、初めての沈黙。
お互いに何を話せばいいのかわからなくて、視線が宙を彷徨っている。けれど、この少しぎこちなくて甘い無言の時間すらも、今の私にはたまらなく愛おしかった。
「……なあ、栞」
不意に、拓海の少しごつごつした大きな手が、ベンチに置かれた私の左手にそっと重なった。
「っ……」
ビクッと肩が揺れる。彼の手のひらは、少しだけ汗ばんでいて、とても温かかった。
七年間、何度も一緒に遊んで、隣を歩いてきたけれど、こうして手と手を重ね合わせたのは初めてのことだった。
「次は、年末じゃなくて……来月、連休とってこっち来るわ。そんで、その次は栞が東京に来てよ。俺の住んでる街、ちゃんと案内するからさ」
私の手を包み込む指先に、少しだけ力が込められる。
それは「ただの親友」ではなく、私の日常にしっかりと足を踏み入れようとする、彼の静かな覚悟の表れだった。




