第40話 缶コーヒーの利息と、それぞれの戦場(1)
あの日から二週間。
悠真は再び、深夜一時のバイパス沿いにあるコイン洗車場に立っていた。
「……ふぅ」
高圧洗浄機のトリガーを引きながら、悠真は今日三度目となる深い溜息を吐いた。
今週は、中間管理職としての「クッション材」の役割が、これ以上ないほど過酷な週だった。
営業部長の無茶なノルマ設定に対して、若手チームが猛反発。板挟みになった悠真は、部長の怒鳴り声を全身で浴びた後、不満を爆発させる部下たちを居酒屋でなだめすかすという、地獄のような立ち回りを強いられていた。
『長谷川さんって、結局どっちの味方なんですか?』
酔った部下の一人に吐き捨てられた言葉が、胸の奥にべっとりと張り付いて剥がれない。
誰の味方でもない。ただ、この組織という機械が完全に壊れてしまわないように、必死で潤滑油になろうとしているだけだ。
しかし、そんな言い訳を口にしたところで、彼らには「事なかれ主義のつまらない上司」としか映らないのだろう。
バチバチバチッ!
考えを振り払うように、悠真は洗浄機の水圧を上げ、グレーのセダンのタイヤホイールにこびりついた泥汚れを激しく吹き飛ばした。
すべてを洗い流してくれるこの轟音だけが、今の悠真にとって唯一の救いだった。
やがて終了のブザーが鳴り、洗車場に静寂が戻る。
悠真が濡れたボディを拭き上げるためのタオルを取り出そうとトランクを開けた、ちょうどその時。
ブルルルルッ。
聞き覚えのある、少しガタのきた重いエンジン音が洗車場に響いた。
振り返ると、塗装の少し剥げた角ばったSUVが、悠真の隣のスペースにゆっくりと停まるところだった。
エンジンが切れ、運転席のドアが開く。降りてきたのは、ざっくりとしたカーキ色のシャツに身を包んだ、水上澪だった。
「あ」
「あ、長谷川さん。こんばんは」
目が合うと、水上は少し驚いたように瞬きをした後、ふわりと柔らかい笑みを浮かべて軽く頭を下げた。
「奇遇ですね。……また、理不尽な修正指示ですか?」
「いえ、今日は純粋に鳥のフンを落としに来ました。昼間、見事に直撃されちゃって」
水上は苦笑いしながらSUVのボンネットを指差した。
そんな他愛のない会話が、ひどく張り詰めていた悠真の肩の力を、嘘のようにスッと抜いてくれる。
「ちょっと待っててくださいね」
水上は自分の車の助手席から何かを取り出すと、悠真の元へと小走りでやってきた。
その手には、見覚えのある大判のマイクロファイバータオルが、綺麗に洗濯されて折りたたまれていた。さらに、そのタオルの上には、冷たい微糖の缶コーヒーが二本乗っている。
「これ、この前のお礼です。ちゃんと洗って乾かしてきました。それから、約束の缶コーヒー」
「わざわざすみません。ありがとうございます」
悠真がタオルと缶コーヒーの一本を受け取ると、水上はもう一本のブラックコーヒーのプルタブをカシュッと開けた。
「長谷川さん、なんだかこの前お会いした時より、さらにお疲れですね。背中から『中間管理職の悲哀』みたいなオーラが漂ってますよ」
「……わかりますか。今日は特に、クッション材としての弾力性を限界までテストされるような一日だったもので」
「うわぁ、それはお疲れ様です」
水上は同情するように眉を下げ、自分の缶コーヒーを悠真の缶に軽くコツンと当てた。
「とりあえず、クッション材の耐久試験クリアに乾杯」
冷たい缶コーヒーの結露が、高圧洗浄機を握り続けて火照った悠真の手のひらに心地よい。
深夜一時半。過剰に明るい水銀灯の下で、名前と職業しか知らない大人二人は、それぞれの戦場での傷を労うように、静かに缶コーヒーを喉に流し込んだ。




