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ラムネ瓶の向こう側、君と目が合った季節。―青春恋愛オムニバス―  作者: ぽてと
午前三時のファミレスと、大人になりきれない僕たち

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第33話 山盛りポテトと、29歳のリアル(3)

午前五時。

ファミレスの大きな窓ガラス越しに見える空が、インクを薄めたような淡いブルーへと変わり始めていた。

国道を走る車の量も少しずつ増え、タイヤがアスファルトを擦る音が、夜の静寂を確実に塗り潰していく。


咲は伏せていたスマートフォンをゆっくりと手に取った。

画面を見つめるその瞳には、先ほどまでの怯えたような色は消え、代わりに、何かを腹の底で決めきったような、静かで真っ直ぐな光が宿っていた。


「……藤井くん」

「ん?」

「私、来週から東京に行くことにした」


唐突な宣言に、湊はコーヒーカップを持った手をピタリと止めた。


「東京って……また向こうで働くのか?」

「うん。エージェントの人に、東京の会社の面接をいくつかセッティングしてもらったの。キャリアの軸なんてまだ全然わかんないけど、とりあえず動いてみようと思って」


咲はスマホの画面を操作し、溜まっていたメッセージに、短い返信を打ち込み始めた。


「キャンセル料も、親に立て替えてもらうんじゃなくて、自分で働いて返す。元彼とも、ちゃんと直接会って頭を下げる。……いつまでも、ドリンクバーおばけのまま逃げ回ってるわけにはいかないからね」


送信ボタンを押し、咲は小さく、けれど晴れやかな息を吐いた。


その横顔は、高校時代に文化祭の準備でみんなを引っ張っていた、あの頃の「高坂咲」の強さを取り戻しているように見えた。

停滞し、傷ついていた彼女は、深夜のファミレスというシェルターで十分に羽根を休め、再び自分の足で「現実」という戦場へ歩き出そうとしているのだ。


「……そっか。すごいな、高坂は。やっぱり戦士だよ」


湊は、心の底から感心してそう言った。

けれど。

口角を上げて笑いかける湊の胸の奥には、黒く冷たい泥のような感情が、じわりと広がっていた。


(ああ、まただ)


友人の結婚式に出た帰りに感じた、あの強烈な焦燥感と同じ。

自分と同じように立ち止まり、共にモラトリアムの底で寄り添ってくれていたはずの彼女が、ふいっと顔を上げ、軽やかに次のステージへと進んでいく。

彼女が前を向いたことは、純粋に嬉しい。喜ぶべきことだ。それなのに、どうしようもなく寂しくて、惨めで、自分だけがまた「村人A」として、この薄暗い場所に一人取り残されてしまったような気がした。


「藤井くんが、夜中にここで話を聞いてくれたおかげだよ。本当にありがとう」


咲が心からの感謝を込めて微笑む。

その真っ直ぐな笑顔が、今の湊には眩しすぎて、直視できなかった。


「……いや、俺は別に、何も」


湊は目をそらし、すっかり冷めきったコーヒーを喉に流し込んだ。

苦味だけが、やけに舌の奥にざらりと残る。


「お客様、失礼いたします。朝食メニューへの切り替えとなります」


店員がテーブルに近づき、深夜のグランドメニューを下げ、代わりに爽やかな朝焼けの写真が印刷されたモーニングメニューを置いていった。


魔法は、完全に解けた。

これ以上、ここに留まる理由は何もない。


「……そろそろ、行くか」


湊が伝票を手に取って立ち上がると、咲も「うん」と頷いてバッグを持った。

レジで会計を済ませ、自動ドアを抜けると、十一月の冷たくて澄んだ朝の空気が、容赦なく二人の体を包み込んだ。

眩しい朝日が、アスファルトの上の二人の影を長く伸ばしている。


「それじゃあ、私、こっちだから」

「ああ。気をつけて。……面接、頑張れよ」

「うん! 藤井くんも、お仕事頑張ってね!」


咲は大きく手を振り、駅の方向へと歩き出した。

その足取りは、初めてこの場所で再会した夜とは比べ物にならないくらい、軽く、前を向いていた。


湊は、彼女の背中が見えなくなるまで見送り、それから反対方向にある自分のアパートへと重い足を引きずり始めた。


朝が来てしまった。

彼女は「自分の現実」と向き合うために東京へ行き、自分はまた、昨日と何も変わらない、空っぽなエクセル入力の毎日へと戻っていく。

深夜のファミレスで分かち合った温かい時間は、もう二度と戻ってこない。


昇り始めた太陽の光が、大人になりきれない29歳の青年を、ただ無情に照らし出していた。

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