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ラムネ瓶の向こう側、君と目が合った季節。―青春恋愛オムニバス―  作者: ぽてと
金曜日の終電と、琥珀色のクリームソーダ

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27/90

第27話 夜明けのクリームソーダ(3)

路地裏の角を曲がると、遠くにぼんやりとオレンジ色の光が見えた。


「はぁっ、はぁっ……!」


大和が『ポラリス』の前に辿り着いたのは、ちょうど午前四時を回ったところだった。

重い木製のドアに手をかけると同時に、入り口のアンティーク調の看板の明かりが、ふっと消えた。


「……待ってくれ!」


大和は祈るような気持ちで、冷たい真鍮のドアノブを回した。


カラン、カランッ!


いつもより少し乱暴に鳴ったベルの音に、店内で段ボール箱に荷物を詰めていた雫がビクッと肩を震わせ、振り返った。


「……えっ? 結城さん……!?」


そこには、ずぶ濡れのスーツ姿で、肩で激しく息をする大和が立っていた。

髪からは雨水が滴り落ち、ネクタイもなく、ワイシャツは泥と雨で汚れきっている。


「どうしたんですか、その格好! 傘もささずに……今、タオルを――」

「七瀬さん」


慌ててカウンターの奥へ行こうとする雫を、大和は強い声で引き留めた。

そして、濡れた手でスーツの胸ポケットから黒いノートを取り出すと、まっすぐに彼女の元へ歩み寄り、カウンターの上にバンッと広げた。


「……結城さん?」

「これ、見てください」


息を切らしながら指差したノートのページには、以前のような詩的なポエムは書かれていなかった。

そこにびっしりと書かれていたのは、『移動式深夜喫茶 ポラリス』と題された、緻密な事業企画書だった。


「移動式……喫茶?」

「そうです。キッチンカーを使った、店舗を持たない新しいポラリスのビジネスモデルです。初期費用、出店候補のエリア選定、ターゲット層の分析、SNSを使った集客導線……全部、俺が考えました」


雫は目を丸くして、ノートに書かれた文字と大和の顔を交互に見つめた。


「どうして、こんな……。結城さん、お仕事で忙しいはずじゃ……」

「会社は、たった今辞めてきました」


大和の迷いのない言葉に、雫は言葉を失った。


「七瀬さんがコースターの裏に書いてくれたメッセージのおかげで、目が覚めたんです。俺の言葉で世界は変えられないかもしれないけど……俺の『企画』で、あなたから奪われた居場所を、もう一度別の形で作ることはできる」


大和はノートの最後のページをめくった。

そこには、ただ一行、大きく太い文字でキャッチコピーが書かれていた。


『夜の街に迷ったら、空を見上げて。一番星は、いつでもあなたのそばに。』


「ポラリスは北極星です。場所や建物じゃない。迷った人を導く、光の概念だ。固定の店舗が再開発で壊されるなら、俺たちが暗い夜道を移動して、疲れた大人のところに届けに行けばいい」


大和は、まっすぐに雫の瞳を見つめた。


「俺が企画と運営をやります。資金の調達も、面倒な許可申請も全部俺がやる。だからあなたは、ただ今まで通り、笑ってコーヒーを淹れてくれませんか」


ただ慰めるだけの言葉じゃない。

それは、大人になった大和が初めて自分の足で立ち、自分の力で誰かの現実を救うために引いた、泥臭くて力強い一筋の光だった。


ノートを見つめていた雫の大きな瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「結城さん……馬鹿ですよ。せっかく、大手の会社に入ったのに。こんな、海のものとも山のものともつかないキッチンカーのために、仕事辞めちゃうなんて……」


雫は両手で顔を覆い、しゃくり上げながら、それでも嬉しそうに笑った。


「ごめんなさい、私……お店がなくなるの、本当はすごく悔しくて、悲しくて……っ」

「知ってます。だから、一緒にやり返しましょうよ。理不尽な大人たちに」


大和がそう言って笑いかけると、雫は涙を拭いながら、力強くコクリと頷いた。


「……結城さん。風邪、引いちゃいますよ」

「え?」

「せっかくの新しい企画の打ち合わせです。風邪を引かないように、特別に甘くて、スパイスの効いたやつを飲んでからにしましょう」


雫は泣きはらした赤い目のまま、カウンターの奥からグラスを取り出した。

氷の澄んだ音と、炭酸の弾ける音。

あの日、大和がすべてを投げ出したくなった夜に救ってくれた、あの『琥珀色のクリームソーダ』だった。


二つのグラスがカウンターに並ぶ。

外の雨は、いつの間にか上がっていた。


「……新しいポラリスと、俺たちの門出に」

「はい。私たちの、新しい夢に」


カチン、と。

静かな店内に、グラスの触れ合う透明な音が響いた。

冷たい炭酸と、生姜の刺激、そしてアールグレイの深い甘みが、大和の全身に染み渡っていく。あの日と同じ味のはずなのに、今日飲むクリームソーダは、世界で一番美味しくて、力強い味がした。


数十分後。

古い雑居ビルの路地裏から、二人の男女が並んで歩き出した。


「車の免許、私ペーパードライバーなんですけど、結城さん運転できますか?」

「俺はゴールドですよ。任せてください。あ、でもキッチンカーの塗装とか内装は、七瀬さんのセンスでお願いしますね」


笑い合う二人の頭上、ビルの隙間から、夜明けの光が差し込み始めている。


もう、逃避行は終わりだ。

僕たちはこの明るい朝の光の中を、自分たちの足で歩いていく。

理不尽な現実に何度ぶつかっても、何度でも新しい星を打ち上げるために。

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