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ラムネ瓶の向こう側、君と目が合った季節。―青春恋愛オムニバス―  作者: ぽてと
図書室と付箋

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第2話 図書室と付箋(2)

あの日から、図書室での時間が少しだけ違う色を帯びるようになった。


カウンターで貸出作業をしながらも、湊の視線は無意識のうちに「あ行」の棚へと向かってしまう。

あの中に紛れ込ませた、青い付箋。

自分の書いた少し気恥ずかしい言葉を、あの見知らぬ誰かは読んでくれただろうか。それとも、まだ誰の目にも触れず、古いページの間で眠っているのだろうか。


気になって、こっそりと棚を確認しに行きたい衝動に駆られるが、もし誰かがその本を読んでいるところに遭遇したらと思うと、どうしても足が向かなかった。


そんな落ち着かない日々が三日ほど続いた、金曜日の放課後。

いつものように返却された本の山をカートに乗せて整理していた湊は、そこに『海辺の街と、終わらない手紙』が混ざっているのを見つけた。


(……返却されてる)


心臓が、トクンと跳ねた。

誰かがこの本を借りて、そして返したのだ。

湊は周囲に人がいないことを確認すると、少し震える手でその本の表紙を開いた。


自分が付箋を貼った、中盤のページ。

そこには、湊が貼った青い付箋と並ぶようにして、新しい桜色の付箋が貼られていた。


『お返事が来るとは思っていませんでした。

あなたの言葉に、少しだけ救われた気がします。

あなたも、この本が好きですか?』


あの日と同じ、丸みを帯びた丁寧な文字。

インクの色は、少し温かみのあるブラウンに変わっていた。


「……っ」


湊は小さく息を呑み、胸の奥がきゅうっと締め付けられるような感覚を覚えた。

ただの気まぐれで終わると思っていたやり取りが、確かな「対話」へと変わった瞬間だった。


その日から、二人の秘密の文通が本格的に始まった。

他の生徒に見つかったり、借りられたりするのを防ぐため、二人はその本を「郷土史」コーナーの分厚い辞典の裏に隠すようにして定位置にした。誰も寄り付かないその棚の奥が、二人だけの秘密のポストになった。


やり取りは、二日に一回ほどのペースで続いた。


『一番好きなのは、主人公が夜の海辺で泣くシーンです。

何も解決していないのに、朝焼けが綺麗で、それが逆にリアルで好きです』


『わかります。僕もあそこは何度も読み返しました。

夜が明けるからといって、悩みが消えるわけじゃない。

でも、とりあえず今日を生きようと思える、静かな強さがありますよね』


最初は、小説の感想だった。

好きなシーン、共感したセリフ、登場人物への思い。

顔も名前も知らない相手との会話は、不思議なほど心地よかった。現実のコミュニケーションではいつも言葉に詰まってしまう湊も、付箋という小さな四角形の中では、素直な自分をさらけ出すことができた。


やがて、桜色の付箋に綴られる言葉は、少しずつ本の内容から離れ、相手の「現実」へと滲み出していった。


『最近、自分が分からなくなります。

友達の前ではいつも笑っているのに、それが全部、作り物みたいな気がして。

本当の私は、もっとつまらなくて、暗い人間なのに』


その文字は、心なしかいつもより震えているように見えた。

文字の端々から伝わってくる、見えない彼女のSOS。


湊はペンを握りしめ、言葉を選びながら青い付箋に書き込んだ。


『作り物だなんて思いません。

誰かを安心させるために笑えるのは、あなたの優しさだと思います。

でも、無理して笑わなくてもいい場所が、一つくらいあってもいいんじゃないでしょうか。

少なくともこの本のページの中では、あなたはあなたのままでいいと思います』


翌日。

辞典の裏から取り出した本には、たった一言だけ、少し乱れた文字でこう書かれていた。


『ありがとう。泣きそうです』


その言葉を見た時、湊の中に明確な感情が芽生えた。

この見知らぬ誰かの、力になりたい。

いつもどんな顔で笑って、どんな風に悩んでいるのか。本当の彼女を知りたい。


(この人は、一体誰なんだろう……)


最近の湊は、図書室にやってくる女子生徒を無意識に観察するようになっていた。

物静かで、本が好きで、どこか思い詰めたような表情をしている女の子。

しかし、思い当たるような生徒は一向に現れなかった。


そんな、ある日の放課後。

いつも通りカウンターで当番をしていた湊の前に、一人の生徒がやってきた。


「あの、返却お願いします」


鈴を転がしたような、明るく通る声。

顔を上げた湊は、思わず目を丸くした。


そこに立っていたのは、隣のクラスの篠原栞しのはら しおりだった。

明るい茶色の髪に、少し短めのスカート。いつもクラスの中心にいて、男女問わず誰とでも気さくに話す、いわゆる「一軍」の女子。湊のような地味な図書委員とは、対極の世界にいる存在だ。


「……あ、はい」


戸惑いながらバーコードリーダーを手に取った湊は、彼女がカウンターに差し出した二冊の本を見て、息を止めた。


一冊は、流行りのファッション雑誌。

そしてもう一冊の下に隠れるように置かれていたのは――あの『海辺の街と、終わらない手紙』だった。


「……え?」


思わず声が漏れた湊を、栞が不思議そうに覗き込む。

その手首には、桜色の小さな付箋が、メモ代わりのようにペラリと貼り付いていた。


いつも明るく笑っている彼女と、付箋に『本当の私は、もっと暗い人間なのに』と綴っていた顔のない少女。

二つのイメージが、湊の頭の中で激しくスパークした。


「どうかした?」


首を傾げる栞の目は、ビー玉のように澄んでいて。

湊は、トクンと大きく跳ねた自分の心臓の音を、必死に隠すことしかできなかった。

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