学園長室は緊張する
どのくらいそうしていただろうか。誰からともなく動きだし、とりあえず授業の残り時間は自習ということでみんな着替えて教室に戻る。そして俺はというと。
「ほらフィア! 早く行くわよ! 学園長待たせるんじゃないわよ!」
「待ってぇえええ!! ちょ、ちょっと待って!! 心の準備が!! 心の準備が!!」
「大丈夫だよ~フィアっ。エルラド先生をボコったって言っても、手合わせ中だったんだしさ!」
エリとセリスに引っ張られるのを、教室の窓枠にしがみついて耐えていた。分かってるよ! ちゃんと行くけども! なんか怖い! 怒られる!? 俺怒られるの!?
「フィ、フィアさん。私たちも一緒に行きますから……」
「おいお前ら。フィアを苛めるな」
う……優しい。俺を気遣ってくれるティリーとアークが優しい。若干涙目の俺だったが気を取り直し、窓枠から手を離した時だった。鼻にティッシュを詰め、充血した瞳で殺気を露わにするジルと目が合う。
「とっとと行けよ能無しが……。戻ってきたらボコボコにしてやる。鼻血の恨みは……」
「フィ、フィアさん! 今回のはエルラド先生が全面的に悪かったと思います。フィアさんに怒られる要素は無いですよ!」
「ティリーぃいい! お前めっちゃ良いやつ! 超可愛い!」
「聞けよてめえら!!」
頭に血が上ったのか、鼻に詰めたティッシュが勢いよく飛び、再び鼻血を吹き出すジル。それが運悪くアークの顔にかかり、無言で殴られたジルは机に突っ伏して動かなくなった。そして俺の方を向くアーク。
「おいフィア。学園長室に行くのもそうだが、保健室にも行くぞ。右腕は大丈夫か」
「は? ちょっとあんた、怪我してたの?」
俺の二の腕辺りを持っていたエリが慌てて手を離す。アドレナリン出てたせいで忘れてたけど、そういえば怪我してるんだった。鞭を生身の腕で受けとめた時のあの傷だ。滴っていた血は少し前に止まり、痛いけど耐えられない程じゃない。だから大丈夫……と言いかけたところで、セリスがいきなり俺の袖をめくった。硬いブレザーとシャツが傷口に擦れる。
「い゛っ……つ!」
「うわ! これやばいよフィア!」
「だだだだ大丈夫ですか!?」
なにこれ。みみず腫の悪化版みたいになってるんですけど。鞭の形状に沿って腫れ上がった赤紫の線が、すでに固まった黒っぽい血で汚れている。うおおおおキモッ! こんな事態になってたのか! うわあ……、なんか見たら急に痛くなってきた気がする。背中がゾワゾワする。
「いやー、自分の腕ながらキモいな。皮膚の下に蛇が入り込んだみてえだ」
「き、気持ちの悪いこと言うんじゃないわよ!」
「どうするフィア。保健室に行くか、エルラドを殺すか、どっちが先がいい?」
アーーークさん!! 選択肢がおかしい!! 凄いさらりと言ってるけどおかしい!! 学園長室はいずこへ!!
「うん……そうだな。よし、とりあえず学園長室に行こうかな」
「分かった。じゃあその後にエルラドを」
「お前はその考えから離れなさい」
つーか今度は保健室の選択肢が消えたぞ。しっかりしてほんとに。
「いや先に保健室行ってきなさいよ。バイ菌でも入ったらどうすんのよ」
「こんぐらい平気だよ。むしろエルラドにこれ見せてやる。そんでめちゃくちゃ痛そうにしてやるぜ」
「フィアがんば~!」
話してる間に心の準備も出来たし、意を決して教室を出た。でもなんか教室出る時にクラスのみんなの視線を感じまくった気がする。言いたいことあるならハッキリ言えっつーんだよ。……いや、やっぱり少しくらいはオブラートに包んでほしいかな。
学園長室に向かうまでの道のりはアークたち四人もついてきてくれてめっちゃ心強い。途中すれ違った教師が『授業はどうした!?』って声をかけてきたけど、アークが華麗にスルーしてた。だいぶ馴れた足取りでまっすぐ教員室に向かい、みんなは廊下で待機。俺だけがドキドキしながら中に入る。一応今は授業中だからほとんど先生はいない。学園長室の大きな扉の前に立ち、一度深呼吸をしてからノックした。
「はい、どうぞ」
アルネル学園長の落ち着いた声。う、緊張してきた。怖い……けど大丈夫だ、たぶん。アルネル学園長優しいし。俺のは大義名分のある暴力だったわけだし。うん、たぶん大丈夫。たぶん。『落ち着け落ち着け』と言い聞かせ、制服のネクタイを締め直して扉を開ける。
中に入ると、部屋の中央にあるソファーに腰かけたアルネル学園長がまず目に入った。その向かい合いにはエルラド。こっちを見ずにコーヒーをすすっている。そして……
「フィア・リエルト!! 心配したぞフィア・リエルトぉおおお!!」
「うおッ!? な、なんだよ!!」
スティオール先生が飛び掛かってきた。間一髪避けたのでスティオール先生は扉に顔面から激突する。
「馬鹿なことしてないの、スティオール先生。ごめんなさいねフィア君。どうぞ座って」
「あ、はい」
にっこり笑うアルネル学園長に拍子抜けしながらエルラドの隣に座った。隣って言ってもアレね。間に二〜三人座れそうなくらい距離の空いた隣。もはやソファーの端と端って感じ。ちらりとエルラドの方に目をやってみるけど、こちらを向いてもいなかった。顔面強打でダウンしていたスティオール先生もアルネル学園長の傍らに立ち、本題が始まる。
「貴方の友人のエリさんから大体の話は聞きました。事の発端はモモさんとジル君の手合わせからだったわね。確かモモさんは開始早々にダメージを負って決着はついたように見えたけれど、エルラド先生はそう判断せず続行を促した。これは間違いないかしら?」
「ええ、そうですね。モモがまだ続けられるだろうことは一目瞭然でしたから」
エルラドが似非笑う。腹立つなこいつ。御託はいいからハイかイイエで答えろよバーカバーカ。
「言い分は後で聞きます。それから貴方の指示にジル君が従わず、感情的になった貴方はあろうことか鞭を振るい、直撃しそうになったモモさんをアリスターク君が庇った。一方でフィア君はエルラド先生に手を上げ、鞭が逸れたことで結果的に誰も怪我はしなかった……ということで良かったかしら?」
待って! ジルの鼻血が無かったことにされてる! 笑っちゃいけないのにちょっと笑っちゃいそうなんだけど。駄目だ俺。笑うな。頑張れ。ここは黙って頷いておこ。
「フィア君は続行を促したエルラド先生に意見したそうね。そこからどうしてその発想になったのかは分からないけど、今度はエルラド先生とフィア君が手合わせすることになったと聞いています」
「ええ。どうやら能な……フィア君は私の授業に疑問があったようなので、指導の意図を教えようかと。男の子は口で言うより行動で示した方が伝わりますから」
こいついま能無しって言いそうになったな。死ねばいいのに。
「エルラド先生。私は偶然校舎の外を見回っていたことで、血相を変えて走るエリさんに一番早く遭遇しました。エリさんは早口に事情を説明し、学園長である私に萎縮することもなく、私の手をとってすぐに走り出したのです。貴方にこの意味が分かりますか?」
穏やかなのに、どこか棘のあるアルネル学園長の言葉。エルラドは何か言おうとしたようだが、その気迫に口を閉ざす。スティオール先生までもが冷たい視線を送る中、アルネル学園長はガラリと声色を変えて言葉を続けた。
「エリさんは『フィア君が危ない』と言いました。貴方はやりすぎだったのですよ、エルラド先生」
威厳を持ったその声に、エルラドがびくりと肩を震わせる。
「フィア君。貴方が生身の腕で鞭を受けとめた場面は遠くから確認しました。腕を見せて頂けますか? 」
「え。今……ですか?」
「ええ」
確かにエルラドに見せてやろうとは思ってたけど、なんかわざとらしく怪我を見せびらかすみたいでやだな。少し戸惑ったけど、やっぱりアルネル学園長の空気が怖かったので大人しくブレザーを脱ぎ、シャツの袖をめくる。
「な、なんということ……。エルラド!! これのどこが授業だ!! やり過ぎという言葉で済むレベルじゃないぞ!!」
「実践形式という名目の手合わせだ。フィア君もそれに同意したのだから、これくらいは覚悟の上だろう」
怒りを露にするスティオール先生に、踏ん反り返って言い返すエルラド。やべー。ぶん殴りてえー。
「黙りなさいエルラド先生」
少し大きめのアルネル学園長の叱咤が部屋を木霊し、エルラドがまたビクッとする。スティオール先生を落ち着かせながら、アルネル学園長は真っ直ぐエルラドの目を見据えた。
「最後にフィア君がエルラド先生に言った言葉は私も賛成です。一年生相手、ましてや数日前に入学した編入生に、力量も確認しないまま実践を行わせるなど言語道断。そんなものは授業ではありません。恥を知りなさい」
「…………ッ」
「貴方の指導体制には前々から疑問はありました。けれど今まで手を上げたりしたことは無く、表立った問題も無かったので厳重注意に止まっていましたが、限界ですね」
「ま、待って下さい学園長! 私は指導を……いや、それよりもこの生徒は教師である私にアッパーを! これも許されることではないでしょう!?」
アッパーとか! 手を上げたとか言えばいいのに! なんでわざわざ技名出してんすかエルラドさん!
つーか今まで体罰が無かったことが奇跡だろ。本当に無かったのか? こいつのことだから口止めとかしてる気がする。陰湿そうだし。冷ややかな視線を送るが、学園長が黙ったままなのを良いことに捲し立てるエルラド。
「それにですね! モモの件だって! 私はきちんと降参宣言すれば終わりだと言ったんです! なのに……」
「モモちゃんは何度も言おうとしてたよ。あんたがわざと邪魔してたんじゃねえか」
「貴様ぁああ!! 黙っていろ!!」
「あ、あの……!!」
エルラドが思わず立ち上がった瞬間、学園長室の扉が勢いよく開き、聞き覚えのある女の子の声が飛び込んできた。全員が驚いてそちらを向く。そこにいたのは息を切らしたモモちゃんと、何故かモモちゃんに手を引かれ、ぶちギレる寸前みたいな怒り狂った顔のジル。
心なしか赤いアシメが逆立っているように見えた。あとティッシュの鼻栓は健在です。
「レアリス・ベニアじゃないか! お腹は大丈夫なのか!?」
慌ててスティオール先生が駆け寄る。……って、え!? レアリスって誰!?
「モモさん。無理しないで保健室で寝ていなさい」
「おいモモ!! なんで俺がこんなとこに!! ふざけんなテメエ!!」
あれ。アルネル学園長とジルは"モモちゃん"って言ってる。え、そうだよね。モモちゃんだよねこの子。え? 本名レアリス・ベニアっていうの? 全然モモちゃんじゃないじゃん! モモの『モ』の字もないじゃん!
軽いパニックに陥る俺だったが、恐怖と緊張で息を荒くするモモちゃんに駆け寄った。ちょっと今はそんな場合じゃなかった。
「モモちゃん、大丈夫か? なんでこんな単細胞連れてきたの?」
「……テメエ殺すぞ能無し」
思いきり胸ぐら捕まれた。いたい。モモちゃんが怯えた表情でジルから距離をとる。
「離せよ馬鹿。モモちゃんが恐がってんだろうが」
「知るか!! 訳もわからず連れてこられたんだよ俺は!!」
キッとジルがモモちゃんを睨むと、モモちゃんはアルネル学園長の影に隠れて涙目になった。そんな様子に舌打ちし、ジルは部屋を出ていこうとする。
「ウッゼエ!! 俺は戻る!!」
「……ま、待って」
「あ゛あ゛ッ!?」
いちいち凶暴だなもう。怯えつつも、グッと口を結んでジルを見つめるモモちゃんが健気すぎる。威嚇する狂犬みたいなジルに震える足で近付き、涙目だった目をこすってからこちらに振り返った。
「……この人も、怪我した」
小さな言葉で呟いたモモちゃんは、ジルを指差しながらエルラドを見る。当の本人であるジルは呆気にとられているようだ。
「……鼻血、出た。先生の、ムチが……当たって」
「何を! あれは私のせいではないだろう!」
そうですね。俺のせいです。モモちゃんはよく見てなかったのかあ。いや事故みたいなもんだったけど。そう、俺は少ししか悪くないさ。ジルめっちゃこっち見てるけど。
エルラドも俺と同じことを思ったらしく、勝ち誇ったような笑みで俺を指差した。
「そ、そうですよ学園長!! 彼の鼻血はこいつが!! このフィア君が……」
「テメエにやられた」
エルラドの言葉を遮ったカミングアウト。その意外な人物に、俺もエルラドも目を見開いて固まる。
学園長室が静寂に包まれた。不機嫌そうなジルが舌打ちをしてエルラドを睨む。聞き間違いかと俺が疑い始めたさっきの言葉を、ジルはもう一度ハッキリ言い放った。
「聞こえてんだろ糞教師。これをやったのはテメエだ」
「な……! き、貴様! デタラメを……」
「黙って下さいエルラド先生。ジル君? もう一度聞きます。本当にエルラド先生なんですね?」
「何度も言わすなババア!! そうだっつってんだろ!! なんなら他の奴らに聞けや!! ああーもうウゼエ!!」
怒ったせいで血圧が上がったのか、詰めたティッシュに吸収しきれなくなった鼻血がまた伝う。こいつほんとに病院行った方がいいんじゃ……ていうか他の奴らに聞かれたら駄目じゃん。俺のせいってバレ……いやそんなことより、だ。
おかしい。こいつが良いやつっぽくなってるなんて絶対おかしい。
そもそもあの時からおかしいとは思ってたんだ。エルラドの指示を無視してモモちゃんに追撃しなかったこととか。自分が避けたせいでモモちゃんにムチが当たりそうになって焦ってた様子とか。思い出せば出すほど不可解で、これでもかと細めた目でジルを観察する俺。
そこまで考えてふと気付いた。今だって、不機嫌そうではあるけど別にそこまで怒ってなさげなジル。心なしか落ち着きなく泳ぐ瞳。
あ、分かっちゃった。こいつアレか。モモちゃんのことが好……
「エルラド先生。貴方は問題を起こしすぎました。明らかに力量の見合ってない生徒同士で手合わせをさせ、勝負がついているのに続行を指示し、ジルくんを傷付け、フィア君に深手を負わせた」
「が、学園長! 私は……!」
「他の先生方とよく話し合い、貴方の処罰を決めます。それまで自宅から一歩も出ることは許しません。今日はもう帰りなさい。見張りもつけます。いいですね」
エルラドはうつ向き、拳を握りしめる。だが垂れた前髪の隙間から憎悪に満ちた瞳が俺に向けられていた。噛み締めた奥歯からギリギリといやな音まで聞こえてくる。恨みとか、そういうレベルじゃない。完全な殺意だ。
いや、でも俺に向けられてるのは幸いだな。これの矛先がモモちゃんとかだったらヤバかった。何をやらかすか分かんない奴だし、俺だけを恨むんだったら一番安全。もう『どうぞご自由に』という気持ちで、俺はわざと気付いていないふりをする。やがてエルラドはあの怒り狂った瞳を隠し、無言で学園長室を出ていった。




