もうほんとにコイツ嫌い
「な、何を言い出すかと思えば……。貴様は実戦というものをまるで分かっていないな!」
「先生は授業というものをまるで分かってないデスネー」
冷や汗をかきながらも、腕を組んでさっきまでの調子を取り戻していくエルラド。でもふざけた俺の返答にエルラドの血管が震える。プライドを傷つけられそうになってることがとにかく気に入らないのか、ピリピリとした空気が辺りを包んだ。
『なにこれ? どうすんの?』
『知らねえよ……。誰か先生呼んでくる?』
『Gウザいんだけど。なんであんな突っ掛かってんの?』
『誰も怪我してないんだから良くね? つーかジルのはあいつのせいだろ』
『降参って言わなかったモモちゃんも悪いよねえ?』
その間になんかボソボソ聞こえてくるんですけど。おいおい勘弁してよ。どいつもこいつもクズかよ。いや、百歩譲ってジルのは確かに俺のせいだとしよう。うん、そうだ。あれは申し訳なかった。けど誰も怪我してないんだから良くねってなに? おかしくないか?
ジルが避けなければジルに当たってた。アークが庇わなかったらモモちゃんに当たってた。俺がエルラドを殴らなかったら庇ったアークに当たってた。誰も怪我をしなかったのは重なった偶然によるものだろうが。それでも、クラスの皆は反抗より平穏を選ぶのかよ。
誰も悪くないのに鞭を振るったんだぞ。モモちゃんを馬鹿呼ばわりしたんだぞ。どう考えても駄目だ。俺はこれ以上こいつに教師を名乗らせたくない。
「よし、分かった。こうしよう!」
その時エルラドが急に声を上げた。みんながエルラドの方を注目すると、ニヤニヤしたエルラドが自分の胸の前で鞭を横一直線に張っている。あれ、なんか嫌な予感。
「G! 貴様は私と手合わせだ! 私の教える"実戦"というものを叩き込んでやる!」
「いやなんでだよ!」
なに鞭振り回してんスかエルラド。まさかそれ使うんスか。こっちは武器無いんですけど。むしろそれ寄越せよ。ハンデは生徒に有るべきだろ。
「あら、チャンスね。あんた強いんでしょ? 今なら手合わせという名目だから怒られないわ。ボコボコにしちゃいなさい。あたしそいつ大嫌いなのよ」
急に入ってきた! エリが急に入ってきた! つーか知らねーよ! なんでお前の個人的恨みを俺が晴らさなきゃなんねーんだよ! しかも『大嫌い』って結構すごいカミングアウトだよね。本人の目の前でよく言ったな。エルラドのこめかみピクピクしてますよ。
「フィ、フィアさん駄目です! ここは耐えてください! エルラド先生は本当にお強くて……」
「ティリーちゃん、フィアなら大丈夫だよ。だってアー君より強いんだよ?」
セリスの言葉にみんなが驚愕の表情で俺を見る。見事なまでの疑いの目。『ないわー』とかいう小声が聞こえた気がした。どうする……どうする……。
若干焦りながら視線を向ければ、目の前にはヤル気満々のエルラド。気に入らない生徒には実力行使か。いや俺ならたぶん勝てるけども。ていうかこいつ、生徒相手に手合わせって……自分が負けるとか微塵も思ってないんだろね。俺なら勝てるけども。おっと二回も言ってしまったぜ。
そうこうしてる間にエルラドは生徒の一人に始めの合図をするよう指示していた。頼んでもないのにみんなが後ろに下がっていく。俺はやるなんて一言も言ってないのに、俺とエルラドを中心として円を描くように見学体制に入りやがった。どうしようかな。このさい徹底的にぶちのめして、教師としての自信を崩壊させてやろうか。いや、いくらなんでもGランクの生徒が体術専門教師に勝つなんてのはおかしいのか?
考えれば考えるほど思考が纏まらなくなる。けどやっぱ駄目だ。俺の生徒についての研究によると、いくら先生が悪くとも生徒一人の力じゃどうにも出来ない。味方の先生が必要になる。ここで俺が勝っても話がこじれるだけだ。
もうさ、取り敢えず誰かが怪我をする事態は防げたし、ひとまず良いんじゃないかな。今怒りに任せてエルラドをぶちのめしたら、俺の方がただのガキってことになりそう。
そうだよ、ちょっと落ち着こう。調子に乗るな。自分をおごるな。今の俺はギルドマスターじゃない。ただの一人の生徒なんだから。
「ふう……」
自分に言い聞かせ、頭に上っていた血を静める。よし、答えは決まった。適当なところで負けて、あとでアルネル学園長にチクろう。
そう決意したと同時、生徒の一人が始めの合図を下す。
「始め!」
途端に鞭を振るうエルラド。一歩間違えばフライングなんじゃないかってくらいの速さで繰り出された鞭を、咄嗟に後ろに跳んで躱した。つーか鞭バリバリ使ってるよこの人! 躊躇すら無い! みんな同じことを思ったようで、その中のエリが叫ぶ。
「ちょっと先生! 鞭は反則でしょ!?」
「なんのことかな。私は実戦というものを叩き込んでやると言ったはずだ。相手が丸腰だからといって武器を収める敵がどこにいる?」
笑いながら、今度は上から下へ降り下ろした。地面を転がってなんとか避けたけど、凄まじく痛そうな音で叩きつけられた地面がガッツリとえぐれている。う、うわ……。絶対当たりたくねえ。どうやって負けよう……。
「よく避けたなG! 思ったより能無しでは無いようだ! ハハハハハ!!」
いちいち腹立つコイツ!! なんだろ……なんの反撃もせず負けてやるのが悔しくなってきたな。少しくらいやり返そうと、蛇のようにうねりながら襲ってくる鞭を避けつつエルラドに迫る。鞭を持つ手を掴んで封じ、頭突きを……かまそうとして逆に殴られた。
「痛ぁッ!!」
あれ、おかしい。俺の中では完全に口先だけの弱小教師の予定だったのに、わりとちゃんと強いぞこいつ。
いやでも俺が本気出せば勝てるんだからね! 負けてやるだけなんだからね! 別に見栄はってるわけじゃないんだから!
殴られて地面に倒れそうになったけど、なんとか踏ん張る俺。すぐに体勢を立て直そうと顔を上げる。
「甘い!」
そんな俺との間合いを一気に詰めたエルラドが、俺にアッパーを繰り出した。避けようかな……どうしようかな……いや、敢えてくらっておこう。鞭よりマシだ。
「どうだ痛いか!? さっきのお礼だ!」
殴られた勢いで身体が空中に投げ出される。まわりの皆がざわついたのが分かった。『調子に乗るから……』とか、『あいつ体術も駄目なのかよ』とか聞こえたけど、ティリーの俺を呼ぶ必死な声が聞こえたから許してやる。つーかあの鞭避けた時点でお前らより凄いと思いますけど!?
くらってみたは良いけどあんまり痛くなかったので、そのまま普通に着地する。と思ったら間髪入れずに足元を襲ってくる鞭。
「あっぶな!!」
間一髪避けた。本当にあれには当たりたくない。どうしよう。どうやって負ければいいのコレ。
「私にあれほど大口叩いておいてそんなものか!? 身のほどを知れ能無し!!」
迷っているうちにエルラドの鞭がすごい勢いで俺の右手首に巻き付く。これはヤバいと思った時には既に遅く、俺はエルラドの方へと引っ張られた。抵抗する間も無く地面に叩きつけられる。なんとか受け身を取ってすぐに体を起こそうとしたが背中を踏みつけられ、思わず声が漏れた。
「フィア!!」
アークの声が聞こえる。一瞬いなくなってたけど、戻ったのか。モモちゃんを保健室にでも連れて行ってたんだろな。エルラドもアークの声に気付いてちらりと目をやり、俺の手首の鞭をほどく。
お、これは良いタイミングなんじゃないか? わりと痛いし、そろそろ降参しとこうかな……と思った時だった。俺と目が合ったエルラドがニヤリと口角を上げる。『なんだ?』と一瞬力を抜いた瞬間、エルラドが俺の腹を力いっぱい蹴り上げた。
「い゛……ッ!!」
鈍い音が響き、激痛が走る。息が出来ない。マジか……こいつここまでやるのか。油断したわあ。
「フィア!! てめえエルラド!! 殺すぞ!!」
「フィアさん!」
激怒するアークと涙目のティリー。エリは戸惑うセリスに何かを言い残し、どこかへ走っていく。
腹はちょっと本気で痛かった。咄嗟に硬化の魔法使ったつもりだったけど、俺使えねえんだった。魔法に頼りすぎるのも考えものだな。
「分かったかG! これが実戦というものだ!」
高らかにエルラドが笑う。実戦実戦うるせえな。このさい言わせてもらいますけどね。実戦でお前みたいにベラベラ喋るやついねえから。お前のも全然実戦じゃねえから。言わないけども。
「くっそ……」
地面の砂を巻き込みながら拳を握りしめ、なんとか上半身を起こそうと力を入れる。腹の痛みに慣れて、声が出せるようになってきた。死ぬほど悔しいけど、ここらへんで降参しよう。そう思った時だった。
「そういえば肝心なことを言い忘れていたな。おい! モモはどこだ!」
急にエルラドが辺りを見回す。誰も口を開かない中で、一人の生徒がおずおずと手を上げた。
「あの~……、モモちゃんなら保健室に……」
「なんだと!? くそ、これだから馬鹿は……。ならば貴様が伝えておけ! モモにもこいつと同じような実戦指導を与える! 昼休みに校庭へ来いとな!」
エルラドのその言葉に全員が絶句する。俺に散々文句を呟いてたクラスのやつらも、さすがに顔をひきつらせた。俺も、地面に伏したまま思考が停止する。
こいつ今、何て言った?
「聞こえたら返事をしろ!」
「え、いやでも……。モモちゃんはもう……」
「貴様あああ!! 私に口答えをするな!!」
「ひッ」
鞭を地面に叩きつけるエルラドに生徒が怯える。しんと静まり返った周囲。アークでさえエルラドの発言に呆気にとられていた。
駄目だ、こいつ。
そう思うと無理やり静めたはずの怒りが再沸してくる。冷静になろうとすればするほど、頭に血がのぼった。ぶっちゃけエルラドの攻撃なんか普段の任務や訓練に比べれば大したことない。俺は一度息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。
「お!? 貴様立てるのか! 良い気力だ! 中々私好みだぞ?」
「モモちゃんには伝えなくていい」
エルラドの言葉は無視してさっきの生徒に声をかける。
「は? いや何でお前が……」
「いいから伝えんな。こんなのは授業とは言わねえよ。くだらねえ」
「貴様……まだ言うか!! 口を挟むなG!」
性懲りもなく俺に向かって鞭を放つ。もう避けるのはやめた。少しも構えず、避けることもせずに右腕一本で鞭をガードした。さすがに素手じゃかなり痛いな。衝撃に少しふらつくが、一歩前に出した足で踏ん張って耐える。右腕から血が垂れてきたのが分かった。でもそんなのはもう気にならない。
俺の行動に目を見開くエルラド。周りのみんなも呆然としている。
「モモちゃんはあれ以上戦えなかったって言ってるじゃん。教師のくせにそんなんも分かんないのか」
「愚問だな。私は、モモはまだ戦えると判断したから続けさせたまでだ」
話し始めた俺によって我に返り、エルラドは腕を組んで薄ら笑いを浮かべた。アホらしくて返す言葉もない。俺が黙っているのをいいことに、エルラドは勝手に一人で喋り出す。
「大体! 実戦では戦闘不能になろうが降参と声を上げようが、敵は待ってはくれんのだ! 私がせっかく降参と言えば終わる状況を作ってやったのに、モモは言わなかった!」
鼻息がどんどん荒くなっていくエルラドを黙って見つめる俺。
「感謝こそすれど、文句など論外! 実戦を知らぬガキが私に口答えをしていいと思っているのか!? ましてやお前やモモのような能無しが!! 私の授業に出られるだけで有り難いと……ッ!?」
もう限界だな。
俺は地面を蹴って一瞬で距離を縮めた。エルラドが瞬きを一度した瞬間、俺の顔はもうエルラドの目前に迫る。時が止まったように感じる数秒。ようやく目の前の俺に気付いたエルラドが目を丸くしたと同時、俺は固く握った拳をエルラドの腹に打ち込んだ。
「が……ッ!!」
もろにくらって数メートル後ろに吹き飛ぶ。しかし倒れはしない。地面に両足を踏ん張り、線を描きながらなんとか耐えきった。
「き、貴様ああ!! うぐッあ……!」
瞬時に間合いを詰める。エルラドの頬に蹴りを入れ、喋る隙も与えず地面に叩きつけた。緩んだ手から鞭を抜き取り、後方に投げる。見もせずに投げたそれは一直線に飛んでいき、アークがそれを無言でキャッチした。
「立てよ先生。実戦じゃ待ってくれる人はいないんだろ?」
「ッ、舐めるな!!」
立ち上がったエルラドが俺に向かって右ストレートを放つ。俺は首を少しだけ傾けてそれを避け、カウンターでエルラドの顔面に拳を命中させた。勢いで倒れそうになるも、エルラドは地面に片手をつけ、反動で後転しながら体勢を立て直す。
けどそのお陰で俺の姿はエルラドの視界から外れた。地面を蹴って空中に跳び、見失った俺を探すエルラドの脳天に踵を落とす。
顔面から地面に叩きつけられるエルラド。校庭の砂が鼻血で赤に染まっていく。それを見た女子から短い悲鳴が上がった。
「先生の大好きな実戦だろ。もう終わりかよ」
「く、くそ……」
なんとか上半身を起こして鼻血を拭うエルラドを見下ろす。駄目だ、怒りが収まらない。
こいつのせいで体術に変な癖をつけてしまい、ギルドの入隊試験に落ちた奴がいるんだ。こいつのせいで、モモちゃんやアークが傷付きそうになった。偉そうに実戦を謳い、ただの生徒いびりを授業だと宣う。
なにが教師だよ。こんな奴がこいつらの上に立ってるなんて、俺は絶対許さない。
「ちょ、調子に乗るな能無しが……! 私は実戦とはなんたるかという授業をしてやっているというのに……」
「実戦実戦うるせえよ」
口調が荒くなる。思いきり睨むと、エルラドは口をつぐんで俺から一歩退いた。
「一年生相手になにが実戦授業だ。実戦ってのは鍛えた技を応用して、不測の事態に臨機応変に対応する技術を身につけるためのもんだろうが」
抑えられない。こいつはもう、許せない。
「基礎をしっかり身に付けて、鍛え上げて、指導して、そうやって大事に育てた奴をもっと強くしてやるための最終訓練が実戦だ!! 基礎も何も蔑ろにして、軽々しく実戦を語るな!!」
「わ、わた、私に口答えを……」
「モモちゃんに謝れよ。ジルにも、アークにも、お前が授業と称して痛め付けてきた全員に謝れ!!」
言いながら一歩ずつ歩み寄ると、エルラドは尻餅をついた。エルラドの乱れた呼吸だけが辺りを木霊する。誰一人動かず、口も開かない静かな時間。その中で、生徒の群れを掻き分けて現れた人が声を上げた。
「そこまでですよ、フィア君」
深緑のジャケットに黒のシフォンスカート。コンコルドでゆるくお団子に纏め上げられた髪から銀のチェーンがシャラリと揺れる。
「アルネル……学園長」
思わずその名を呟いたのは無意識だ。隣には息を切らしたエリ。まさか学園長を呼んでくるとは思わなかった。
一気に冷静さが戻ってくる。何をやってるんだろう俺は。
「学園長。フィアは悪くない。間違ったことは……」
「事情は聞きました。後半の一部始終もしばらく見させてもらったわ。おおよそは把握しています」
制止させようとしたアークを押し退け、俺の前に立つアルネル学園長。なんか分かんないけど泣きそうになる。肝心なところで冷静さを失ってしまったのが情けない。アルネル学園長に迷惑をかける。そう思うと、気付けば深く頭を下げていた。
「……すみませんでした」
「大丈夫。すぐに着替えて、学園長室にいらっしゃい。それと……、貴方もね。エルラド先生」
冷たい視線をエルラドに送り、アルネル学園長はその場を去っていく。残された俺たちは、しばらくその場に立ち尽くしていた。




