お前を教師とは呼ばない
早朝五時に起きて朝練して、学校へ行き、下校後は聖白へ行き、訓練とか仕事とかして、任務へ赴き、そして帰って寝る。学生になったことでこんな生活になりましたが、ぶっちゃけていいですか。
めっちゃくちゃハードですよ!!
いや分かってたけどね。分かってて選んだ道だってちゃんと理解してる。俺、たくましい子だから大丈夫。そうさ。こんなの屁でもないさ……。
ベッドの上で寝不足の頭を覚醒させる俺。ちなみにアークの全裸事件から三日が経ってる。俺が思うに、あの日全裸を目撃してしまったティリーはしばらくアークと目も合わせられないんじゃないかと思いましたが、次の日にはもう全然普通でした。なにあの子。意外とたくましいじゃないの。
「ふああ〜、眠い……」
頑張って準備をし、アーク達と合流して寮を出る。そんでいつものように学校へ向かってるんだけど、なんかさっきからセリスが鼻歌歌いながら俺の腕にしがみついてる。ぶっちゃけすげー重い。どうしたんだこいつは。
「セリスさんご機嫌ですね!」
「分かる~? さすがティリーちゃん!」
「ああ、そうか。そういえば今日だったな」
「私は不満だわ。サボろうかしら」
「え、なになに!? 俺にも教えて!」
どうやら分かってなかったのは俺だけだったっぽい。なにそれさみしい。
「今日はねえ、待ちに待った体術の授業があるんだっ! フィア、僕と手合わせしてね?」
なん……だと? 俺の腕にしがみつくセリスの力が強まった。そういえばそんなこと言ってたな。すっかり忘れてた。つーかアレじゃね!? これ汚名返上するチャンスなんじゃね!? よーっし、普段俺を馬鹿にするやつボコボコにしてやろうぜ。ジルとかジルとかジルとか、あとそうだな……ジルとかどうだろう。
だってあいつさ、昨日俺がエリに『最近の弁当は俺の自作だ』って言ってるとこを聞いたらしく、食堂のみんなの前で俺から取り上げて食いやがった。
『ちょっとジル! 返しなさいよ!』
『おい皆! こいつ自作の弁当持ってきてるらしいぜ。男のくせに超ダセエ!!』
『それは聞き捨てならねえぞ。お前は弁当男子という流行を知らねえのかバーカ!』
『うっせえ能無し! どうせくそ不味いんだろうが! てめえみてえな能無しが料理なんざモグモグ……ん? ま、マジかよ……。モグモグ』
『どうだ馬鹿ジル。俺の手料理は』
『くそ不味いに決まってんだろうがモグモグ!! モグモグモグモグ!!』
そういえばあいつ、後半モグモグしか言ってなかったな。そうか、あいつも馬鹿なのか。
「フィア~、聞いてる? 僕の相手してくれるよね?」
「へ? ああ、するする」
「やったあ!」
勢いに押されてつい了承しちゃったけどすげー自信だなセリス。恐いんだけど。めっちゃ強そうなんだけど。体術でも恥かいたら俺のハーレムフラグが全滅すんぞ。
それから学校に着いて時間割を確認すると、一限から体術の授業だった。しかも二時間ぶっ続け。学園は体術の方も力を入れてるんだなぁ。めちゃくちゃ楽しみ。あとこのホームルーム終了後に更衣室に行って体操服に着替えるっていうイベントが最高に楽しい。
「ていうか体操服! オレ体操服着てる!」
「何言ってんのよ。当たり前じゃない」
着替えを終えて女子組と合流し、裏のグラウンドに向かいながらじわじわと体操服への興奮が込み上げてきた。いや変態じみた意味じゃなくて。
いやだって! 紺のラインの入った白いTシャツに、紺のハーフパンツ! これだよ! 俺の待ち焦がれた体操着! めっちゃ学生っぽい!
でもあれだな。女子ってブルマじゃないんだな。おかしいぞ。俺の学生についての研究ではブルマだったんだけどな……というようなことをアークに言ったら、真顔で『マスター。古いです』とか言われた。なんでだ。
「貴様らあ!! さっさと集まれ!!」
うわ、ビックリした。適当に散らばって騒いでいた俺たちに対して発せられた怒声。驚いて振り返ってみれば、なんとも体術の先生っぽい先生がいた。程よい筋肉質の体に、つり上がった鋭い緋目。短めの黒髪を全て後ろに流している。そして鞭! 鞭で地面ひっぱたいてる!
見るからに冗談とか通じない感じの先生だな。こえーし。皆もそう思っているらしく、慌ただしげに集合して整列した。先生は畳んだ鞭を自分の手のひらにピシピシしながら生徒たちを見回し、俺の顔を見てニヤリと笑う。
「ほう。お前が噂のGランク編入生か。私は体術担当のエルラドだ」
「あ、初めまして。フィア……」
「ああ名乗らなくていい。貴様の名など覚える気はない」
薄ら笑いを浮かべて俺の頬を鞭の先でピチピチ叩くエルラド先生。いや、むしろエルラドと呼び捨てしたいレベル。なんだこいつは。殴っていいの?
「よくもまあGランクの分際でこの学園に来れたな。私は才能の無い奴は嫌いだ。単位が欲しければ私の機嫌を損ねないことだな、G」
そんなことより俺のあだ名はGで決定ですか。どう考えてもゴキブリです。本当にありがとうございました。
「貴様あぁあ!! 聞いているのかッ!」
「聞いてますよ! うるさいな! でかい声出すなよ!」
「フィ、フィアさん……ッ」
俺の体操服の裾を掴むティリーに気づいて周りを見渡すと、みんなが怯えた瞳で俺とエルラド先生の方を見ていた。あー、成る程ね。そういう感じね。
「き、貴様……!! 私に口答えをするか!!」
「いや、なんでもないっす! すんませんしたあ!」
「な!?」
かばっと頭を下げる俺。大丈夫だみんな。コイツは逆らうとヤバいタイプなんだろ? 分かってる分かってる。空気は読める子ですよ俺。エルラドは突然下手に出た俺に呆気に取られていたが、頭を下げたままの俺を満足げに見下ろす。
「ふん、成る程。中々聞き分けは良いようだ。先程の無礼な振る舞いは水に流してやろう。さて授業の開始だ! 間隔を開けてストレッチをしろ!」
周囲で緊張していた皆が一斉に安堵の息をついたのが分かった。怒らせるととんでもなく面倒なんだろうな。生徒に当たり散らしそう。そんでもって、俺の大っ嫌いなタイプ。
アークと組んでストレッチしながらエルラドの方を見る。意外にも一人できちんとストレッチやってた。そこは真面目に取り組むんだ。よく分かんない奴。
「よーし良いだろう! さっさと集まれ!」
いちいち五月蝿いなと思いながら仕方なく集まる。と同時にまた鞭を叩きだすエルラド。
「ははははは!! 今日は予告通り二人一組で手合わせをしてもらう!! 呼ばれた奴から前に来い!」
「あれ? せんせー! 好きな人と組んでやるのは駄目なんですかあ?」
「ん? おお、セリスか。そうだなあ。私もせっかくペアを考えてきたのでなあ。まあ時間が余ったら好きなやつとやっていいぞ!」
あれ!? こいつセリスに甘くない!? なに満面の笑みなんか浮かべちゃってんの!? え、腹立つんだけど……なんだこいつキモ……いや、待てよ。そういえば『俺は才能の無い奴は嫌いだ』とか言ってたな。ああ、そういうことですか。セリスは体術の才能があるからお気に入りってことね。まったく分かりやすいにも程があるだろ。
もう体操服に対する俺の興奮もすっかり冷め、死んだ魚のような目でエルラドの言葉を聞き流す俺。それからなんか名前もよく分かんないクラスの奴が呼ばれていった。知らない奴だなぁ。未だに三分の一くらいしか覚えてないもんなぁ。なんだろ、申し訳ないけど名前を覚える気が全く起きな……おっと失礼。
「始めえッ!!」
エルラドのうるさい掛け声で生徒同士の手合わせが始まる。んで、始まって早々思った。パワーバランスが!! 悪すぎる!!
いやなんで女の子と男の子が組み合わせになってたりすんの!? 『あ、この女の子は男の子相手でもいける力量なのかな』とか思ってたら女の子秒殺だよ! 男の子もすげー申し訳なさそう。うわーありえねえ。馬鹿かこいつは。
たまにまともな組み合わせもあったりするけど、全然勝負にならない手合わせばっかり。ほんとあり得ない。自分の表情がどんどん引き攣っていくのを自覚しながら、隣のアークに声をかけた。
「おいアーク。どういうことだこれ」
「俺も初めは驚いたが、どうやら体術に優れている奴が圧勝する様を見るのが好きらしいな。もうみんな諦めている。授業は適当に流し、昼休みなんかに独自で体術の練習をしているやつがほとんどだ」
「ああ、それでか」
「なにがだ?」
「いや、うん。ちょっと……」
これでハッキリした。学園を卒業してから聖白の入隊試験を受ける奴で、たまに体術に変な癖がついてる奴がいる理由が。それぞれおかしな癖がついちゃってたのは、個人練ばかりしてたからだ。まともな師がいなかったのか。可哀想だな。
「次! セリスとアリスターク!」
うお!? まじか!? おいおい、来たよまともな組み合わせ!!
ちなみにちょいちょい出てるけどアークの本名ってアリスタークだからね。今更だけどね。本名だとこの二人ちょっと似てるよな。『アリス』の部分がセリス……
「きゃあああッッ!!」
アホみたいなこと考えてたら、突然女子の悲鳴が響き渡って肩を飛び上がらせる俺。死ぬほどビックリした。いや、予想はつくよ。女子軍の大好きなアークとセリスだもんね。イケメンとイケメンの戦いに感極まってるんだね。
これティリーとかはどんな気持ちでいるんだろう……と思いながらふと隣を見ると、ティリーはいつもの事といった風でニコニコしている。すげーな。そんでエリは苛立った様子でこめかみを痙攣させ、女子の勢いに圧倒されたモモちゃんは俺の背後でうずくまっていた。
ってモモちゃん! またか!
話しかけようと思ったけど、しゃがんで耳を塞いでいるのでそっとしておくことにした。大丈夫かなこの子。
なんかの大会かなってくらい歓声に包まれる中、前に出て向き合うのはクールな表情のアークとめっちゃ嬉しそうなセリス……そして腕を組んで鼻息を荒くするエルラド。二人とも才能あるからお気に入りなんだろう。しかしキモいな。死ねばいいのに。
それにしても、改めて見ると身長差が結構あるな。百八十センチ近くあるアークに対して、セリスは百六十あるかないかくらい。どうなるんだろう。
「始めえッ!」
エルラドの掛け声に反応し、二人の目付きが変わった。どちらも動かないまま睨み合いが続き、数秒。先に動いたのはセリスだ。小柄な肉体を生かして体勢を低く走り出す。一直線に向かってくるセリスに対してアークも構えを取った。二人の距離がどんどん縮んでいき、空気が緊迫していく。
そしてセリスが間合いに入った瞬間。待ち構えていたアークが足払いを仕掛けた。セリスは軽々と飛んで避けるけど、計算済みのアークは続けて空中のセリスに拳を打ち込む。
それが当たる直前、セリスは体を捻って拳を避けつつアークの腕を掴んだ。そのまま力を込め、アークの腕を軸に飛び上がって一回転しながら背後に着地する。
けど振り向きざまに出されたアークの蹴りに反応しきれず、ギリギリで出したガードの上から吹っ飛ばされるセリス。地面に手をつけ、滑りながらブレーキをかける。
それを追いかけるように今度はアークが走り出し、一瞬でセリスとの距離が縮まった。勢いそのままに繰り出されたアークの回し蹴りを、セリスが右の前腕でガードする。
「あっぶないなー、もう!」
「チッ」
小さく舌打ちをするアーク。セリスは小さい体を生かし、素早くアークの懐に入り込んだ。一方のアークもすぐに体勢を立て直すが、それよりも早く繰り出されたセリスの足払いがアークを仰向けに転ばせる。
その隙を逃さず馬乗りになったセリスは、左手でアークの片腕を押さえ、右の拳を勢いよく振り下ろした。女子の中から短い悲鳴が上がる。けどここで終わらないのがアークだ。冷静な無表情はそのままに。振り下ろされる拳よりも早く、腕を掴むセリスの左腕を手刀で外側に打った。
その場所は肘の裏側に当たる部分。つまりあれだ。膝かっくんならぬ、肘かっくん。
「うわっ!!」
思惑通り左腕がカクっとなって思いきり体勢を崩したセリスは、逆にアークに馬乗りにされた。まずいと思った時には既に遅く、流れるような速さで振り下ろされるアークの拳。成す術のないセリスは目を固く閉じ、そんなセリスの目と鼻の先で、拳はピタリと動きを止める。
生徒とは思えない本格的な手合わせに皆が息を呑む中、ふぅと息を吐いたセリスが全身から力を抜いた。
「はいはい、降参っ。アー君強いよ~」
緊迫した空気を裂くような間延びした声を合図に、再び沸き起こる女子の歓声。そして女子達と一緒になって黄色い声を上げる俺。
いやだって!! 凄かったんだもん!! マジで凄かった!! これはイケメンだわ!!
「さ、流石だ!! 素晴らしい!! 本当に君達は天才だ!!」
うわ。なんかエルラドが似たような反応してきた……最悪だ。
涙を流しながら拍手をする気持ちの悪いエルラド。アークとセリスはそんなエルラドを見もせず、完全に無視してこちらへ戻ってくる。お前らのそのスルースキル本当に素晴らしいと思うよ。
「もう! 全然アー君に勝てない! 悔しいなあ」
「いや、さっきは危なかった。やっぱりお前は強いな」
滴る汗を気にもせず颯爽と歩く二人。それを目で追う女子の瞳が大変なことになってる。完全に恋する乙女になってる。
「相変わらず凄いわねあんたら」
「へへっ、ありがと~。負けちゃったけどね!」
「そんなことないです! セリスさんお強かったです!」
「きっとアー君が強すぎるんだよ! 魔法も体術も出来るなんてずるい~」
「お前そんなこと言ってて大丈夫か? フィアは俺より強いんだぞ」
「…………え?」
アークさんんん!!!! ちょ、もう、ほんと、アークさんんん!!!!
なんでそういうこと言っちゃうかな!! ああ!! 皆の視線が痛い……!!
人の気も知らず、セリスはなんか目を輝かせて飛び付いてくるし。期待に満ちた瞳を向けながら、俺の腕を両手で掴んでる。いや、掴んでるなんて優しいものじゃねえな。握り潰そうとしてるんじゃないかなこれ。どっから湧いてんのこの握力。
もうさ、駄目なんだよ俺。あからさまに誉められたり注目されるの駄目なんだよ。恥ずかしいんだよ。いつでも褒めて欲しいくせにいざ褒められると照れる面倒くさい奴なんだよ。自分で言ってて情けないけど。
「そうなの!? フィアすごい! 楽しみだね!」
「あ、いや……」
「なんか嘘臭いわね。本当なの?」
「フィアさん凄いです!」
「あの、ちが……」
「アー君はフィアと手合わせしたことある? どんなかんじ?」
「どうと言われても……。まあ、強いな。俺は一度も勝ったことがない」
「フィア! 今すぐやろう! エルラド先生は僕に甘いから大丈夫!」
「ほんと勘弁してくださいセリスさん……」
これ以上ハードル上げないで欲しい!! プ、プレッシャーが!! プレッシャーが!!
どうやってこの状況を乗りきろうかと考える俺だったが、そんなことより周りの様子がさっきと違いすぎることに気付いて我に返った。ギャーギャー騒いでたのは俺達だけで、もう誰もセリスやアークを見ていない。みんなが見ているのは前の対戦場所。そこにはいつの間に呼ばれていたのか、ジルが立っていた。
なんだよ。今度はジルに恋する乙女ですか……とか思ったけどそれも違う。皆の顔が怯えてる。不思議に思って皆の隙間から前方を覗くと、眉間にシワを寄せて仁王立ちするジルと、お腹を押さえて座り込むモモちゃんの姿があった。
意味が分からない。なんでジルとモモちゃんがペアなんだよ。
頭に血がのぼる。アークたちも気付いたようで、みんなで人をかき分けなんとか見える位置まで前に出た。片手でお腹を押さえて、涙目で俯くモモちゃんと、険しい顔をするジル。俺は思わずジルに声を上げる。
「おいジル!! てめえ女の子に……」
「待てフィア。今回は違うかもしれない」
そんな俺をアークが制した。その行動に反論しかけたが、無理やり落ち着かせて口を閉じる。そんな俺の視界に入ったのはエルラドだった。ニヤニヤ笑う、エルラドの姿。
「どうしたジル! 早くモモを戦闘不能にしたらどうだ!」
モモちゃんの肩がびくりと跳ねる。唇は真っ青で、ジルとエルラドに完全に怯えているのが分かった。たぶんジルは開始早々モモちゃんのお腹に一発入れて、すぐに終わりにしようと思ったんだろう。
つーか終わりだろ。モモちゃん座り込んでるし。エルラドの言葉の意味が分からない。
「ばっかじゃないの? モモはもう戦えないわ。見て分かんないの?」
「そうか? 私からしてみればまだまだ戦えるはずだがな。腹に一発もらったくらいで戦闘不能になるわけがない!! まあどうしても無理だというのなら? 降参しますと言ったらどうだモモ」
「あ……こ、こうさ……」
「んん!? 聞こえないなあ!! そうか、まだやれるということか!! ということだジル!! 才能の無い馬鹿に格の違いを教えてあげなさい!!」
モモちゃんは恐がりで、まともに話すことも出来ない。ジルやエルラドに威圧されてる中で発言するなんて余計に無理だ。そんなこと絶対分かってるはずなのに。
みんなもコソコソ何かを言い合っているけど、エルラドが恐いのかはっきり意見しようとする奴はいなかった。ジルも突っ立ったまま動こうとしない。痺れをきらしたエルラドが鞭で地面を思いきり叩き、モモちゃんがまた肩を震わせる。そんなモモちゃんに、ジルが舌打ちをした。
「てめえ降参くらいさっさと言えねえのか!! ウゼエんだよ糞が!!」
「こ、こうさ……」
「ジル! 私の指示が聞こえないのか! 追撃しろと言っているんだ!」
「てめえは黙ってろ!!」
「ッ、貴様ぁあ!! 私に口答えをするな!!」
ジルに向かって思いきり鞭を振るうエルラド。その行動に絶句する。生徒に無意味な体罰かよ。こいつ本当に教師か?
みんなが声を上げる間もなく襲った鞭だったが、ジルは素早く地面にしゃがんで易々と躱した。だがジルは焦ったように顔を上げる。そう。躱したことによって軌道から逸れた鞭。その向かう先は……
「おい!!」
気付いたジルが叫ぶ。モモちゃんは血の気の引いた唇を震わせ、目を見開いたまま動けない。
そこからの流れはスローモーションに見えた。確実にモモちゃんへと向かう鞭。アークが反射的に動き、モモちゃんに覆い被さるようにして庇う。
だけど、鞭はモモちゃんにも、ましてや庇ったアークにも当たることはなかった。ギリギリのところで空を切る鞭。何故なら。
「ぐはあッ!!」
そうです。俺がエルラドにアッパーを決めていたからです。
エルラドの手からこぼれ落ちた鞭は対象であるモモちゃんやアークから外れ、何故か分かんないけど避けたはずのジルの顔面に当たった。
地面に手をつき、ジルが片手で鼻と口を覆いながら俺を睨んでいる。無言で悶えるジルの手からは、溢れた鼻血がボタボタこぼれていた。いや、これは本当に申し訳ない。あまりに想定外だった。
「き、貴様……ッ、私に何をしたぁああ!!」
「うわ!!」
俺のアッパーをもろに食らって倒れ込んだエルラドだったが、すぐさま起き上がって俺に殴りかかる。ビックリしたけど余裕で躱し、溜め息混じりにエルラドを睨んだ。
駄目だなこいつ。クソだ。
「Gランクの……能無しの分際でその反抗的な目はなんだ。貴様、私を怒らせたいのか……?」
「お前それでも教師かよ」
「なんだと!?」
俺が話しているうちにアークはモモちゃんを連れて距離を取り、鼻血を流しながら俺に殴りかかろうとしているジルはセリス達三人がかりで必死に止められていた。ほんとすみません。
そんで、他のみんなは不愉快そうに俺を見つめている。『うわ、面倒くさいことになりそう。勘弁して』とでも言っているみたいな目。なんだかなあ。女の子が一人暴力振るわれそうだったってのに、よくそんな目を向けられんな。結局自分が一番ですか。そうですか。
意識しなくても溜め息が出る。エルラドはエルラドで破裂しそうなくらい血管を怒張させてるし。なんでお前がそんな怒ってんだよ。おかしいだろ。
「お前さぁ、馬鹿なの?」
「なに……?」
「モモちゃんがお前とジルを恐がってることも、恐怖のあまり声が出せなかったモモちゃんの状況も、俺たちは知ってるぞ。ジルでさえそんなことは分かってたんだ。なのに……」
駄目だ。怒りが収まらない。
「なんで教師のお前に、そんなことが分かんねえんだ」
「…………ッ」
エルラドの顔が引きつったのが分かった。エルラドだけじゃない。周りのみんなも強張った表情で一歩退がる。
そうだろうな。だって俺は怒ってるんだから。エルラドだけじゃない。
お前ら、みんなにだ。




