ある男の優しさ
―鬼導隊本部
沙紀は、賢常高校の七不思議事件で初討伐を達成し、そのご褒美である外出許可を申請するために、鬼導隊の本部へとやってきていた。
「私用外出許可は、この書類に必要事項を記入してから提出してください。」
職員の女性は機械的にニコリと笑いながら、紙を沙紀に渡した。
部屋に帰ってから、『私用外出許可申請書』をまじまじと見ると、氏名や外出希望日を記入することは分かるが、外出先まで書かなければならないようだ。
職員から渡されたもう一枚の『私用外出時の注意事項』、というより内容的には『禁止事項』を合わせて読めば、申請した外出先以外の場所に行けば逃亡とみなし、処分の対象となるらしい。
『処分』、それはもちろん、懲戒処分ではなく、廃棄処分の類だ。
どこまでも、鬼は管理されている。
沙紀は、高貴の部屋へとやってきていた。
「沙紀のお母さんが、どこにいるか?」
「はい。私、…あの日以来、お母さんがどうなったのか、知らないので。」
沙紀は、邪に憑りつかれた母親に襲われたあの日以来、鬼の村へ来ており、母親とは一切会っていない。
高貴からは沙紀の母親の無事は教えてもらったが、それ以上のことは聞いてはいけない雰囲気があって、誰にも聞けずにいたのだ。
「俺も知らないから調べておくよ。それでいい?」
「はい、お願いします。」
思っていたよりも、あっさり認めてもらって、沙紀はほっと胸をなでおろした。
しかし、沙紀とは対照的に、高貴は心配そうな視線を向けた。
「だけど、大丈夫?」
「はい?」
意外な投げかけに沙紀は、変な声が出た。
「だって、沙紀は、あんなことがあったわけだから。」
高貴はそう言い淀んだ。
『あんなこと』、それは邪が憑りついていたとはいえ母親から殺されかけたことを言っているのだろう。
沙紀はその意味が分かった上で、答えた。
「はい、大丈夫です。というか、会いたいです。」
迷いのないまっすぐな沙紀の言葉に、高貴は、「そうか」とボソリとつぶやいた。
それから一週間、高貴から何の報告もなかった。
沙紀にとっては、長い一週間ではあったが、高貴も次期頭領として暇ではなく時間がかかるのだろうと思うしかなかった。
実際、最近は声をかけることもできず、任務も栄輝と行くことが多くなっていた。
「ちっ、また空振りか。」
栄輝は、今回の任務でも邪が現れなかったことに舌打ちをしていた。
「アイツ、自分が参加できないからって、俺たちに軽い任務しか割り振られないようにしてるんじゃねーか。」
栄輝は面白くないのか、そうぼやいた。
「高貴さんは、そんなことしないよ。」
沙紀は苦笑いをしながら、申し訳ない顔をした。
「たぶん、私が未熟だから大変な任務を回されないようにしてるんじゃないかな?討伐数は相変わらずだし。栄輝に迷惑かけてるよね、ごめん。」
沙紀がそう謝ると、栄輝は少し慌てた。
「迷惑なんかじゃねーよ。俺は、俺で、沙紀と任務行くの楽しいからな。人間が住んでるところのこと詳しいし。」
確かに栄輝は人間の居住区のことに興味津々だ。
村には無いものについて沙紀に質問して、沙紀がそれに答えるというのが、任務ではよく見られるようになっていた。
今回の任務を完了して村へ帰るために歩いている今も、栄輝の目はキョロキョロといろんな物を見ている。
その様子は少し不審者気味だが、季節は完全に夏になり、太陽がなかなか沈まないので、夜の任務の帰り道である現在はかなり遅い時間であまり人間は出歩いていないので心配ないだろう。
人間の頃の沙紀もまず出歩かない時間だ。
「おっ。」
栄輝は何か見つけたようで、こうこうと光る自動販売機の前で止まった。
「これ、飲んだことないやつだ。」
そう言って一つの飲み物を指さした。
よくある夏の期間限定商品だ。
意外と、栄輝はこういう『期間限定』に弱い。
「よし、これ飲もうっと。」
そう言いながら、栄輝は小銭に出した。
「栄輝、また現金を持ってきちゃったの?」
「当たり前だろ?期間限定品とは一期一会なんだから。」
栄輝が珍しく四文字熟語を言うと、小銭を数え始めた。
しかし、沙紀たち鬼は、任務で人間の居住区に赴くとはいえ、何か必要なものがあっても、端末で経費として決済することだけが許され、人間が使う現金を持ち歩くことは禁止されていた。
ただ、何でも経費となるわけではなく、任務に不必要な物を買えば、後から呼び出され事情を聞かれ、場合によってはその分が請求される。世に言う『経費じゃ落ちません』というやつだ。最悪、端末の決済機能が凍結されることもある。
「げっ。足りない!!」
小銭を数えていた栄輝がそんな声をあげた。
「くそっ。今日、慌ててきちまったからなー。沙紀、持ってない?」
捨てられた子犬のような目で栄輝が見てくるが、真面目な沙紀が持っているはずはなかった。
「あと十円、あと十円なんだよなー。」
栄輝が恨めしそうに自販機を見ていると、後ろから声をかけられた。
「そのくらいおごってやるよ。」
そう言うと、サラリーマン風の人は、沙紀たちが遠慮する間もなく、栄輝が恋焦がれていた商品をさっと買った。
ガコンッ
商品が受け取り口に落ちる音と同時に見えた光に照らされた顔は、つい最近見た顔だった。
「やあ、姫。お仕事お疲れ様。」
疲れ切ったアラサーサラリーマン…、いや政府機関の人間、芦辺光春だった。
沙紀たちとは、賢常高校の件以来だ。
芦辺は沙紀に商品を渡した。
意外な人物の再会に沙紀は驚いて思わず商品を受け取っていた。
「…ありがとうございます。」
しかし、栄輝は沙紀が受け取った商品を取り上げると、芦辺につき返した。
「いらない。アンタからもらう筋合いはない。」
「そんなこと言うなよ。こんな時は大人しく年上におごってもらえ。今日の俺は機嫌がいいんだから。」
芦辺はそう返して、栄輝が付き返そうとした商品を受け取らなかった。
バチバチと音がしそうな二人に、沙紀はやきもきした。
「『機嫌がいい』って、なんかいいことでもあったんですか?」
とりあえず、会話でこの雰囲気を緩和しようと話しかけた。
コイツと話す必要なんかないと言わんばかりに、栄輝が沙紀を睨んだが、沙紀は今の情況を少しでもよくするために、栄輝の視線はスルーした。
「よく聞いてくれたね、姫。」
少しにこやかに芦辺は言うと、沙紀の方に顔を向けた。
「それがね。見鬼の才を持つ人間を見つけることができたんだ。今日はその彼に会って来た帰りで。これで少しは見鬼官の人員不足がマシになりそうなんだよ。」
「それは、よかっ…。」
沙紀は芦辺の話を聞いて、『それは、よかったですね。』と言うつもりだった。
しかし、沙紀たちが立っている此処は、賢常高校がそう遠くない。
芦辺の言う『彼』が田中忠国ではないかと思ってしまって、沙紀は言葉に詰まってしまった。
考えすぎかもしれない。
彼ではないかもしれない。
しかし、この辺りに彼以外に見鬼の才を持つ人間がどのくらいいるのだろうか。
そもそもこの近辺に彼以外に存在するのだろうか。
「あれ?姫、顔色悪いよ?見鬼の才を持つ人間が増えることは、君たちの仕事も楽になるんだよ。」
そう言う芦辺の顔を見て、沙紀は確信した。
この人は、沙紀が考えていることを全てわかった上で、正論をこれ見よがしに言っているのだ。
「なんで…。」
力なく問う沙紀の様子に、芦辺は話を進めた。
「なぜ彼が見鬼の才を持っていることを知ったかって?」
すると、機嫌よさそうに笑う。
「そりゃ、見てたからね。君たちの事。」
「おい、待てよ。それならお前、間にあってたんじゃねえか。なんで俺たちのこと助けなかった!?」
栄輝の言う通り、芦辺の言うことが正しいのなら、沙紀たちが田中の手を借りる前に、芦辺があの現場に到着していたことになる。
「俺たちが右往左往していたのを見物してたってわけか。」
「まあまあ、大人の事情ってやつだよ。いろいろ見たいものがあってね。」
「でも、あの時は、何も言わずに…。」
沙紀の言う通り、あの日だって芦辺は忠国と見鬼官の話をすることができたはずだ。
「そりゃ、姫の顔を立ててあげただけさ。あんなに頑張って誤魔化そうとした姫の可愛さに免じてね。俺って、優しいな。」
『優しい』とは言うが、結局のところは、こうして後から忠国に会いに行ったのだ。こんなの優しさじゃない。
沙紀が芦辺を非難するような目で見ると、芦辺は口を開いた。
「それじゃ、姫はあのまま彼が俺に連行されるところを見たかった?」
その言葉に沙紀はドキリとした。
「きっと、彼は君を恨むでしょ?『お前に関わったから、こうなった』ってね。下手すれば『お前がチクったんだろ!』とか?」
沙紀はぐうの音も出なかった。
確かにあの日の忠国は、沙紀に対して良い感情は持ち合わせていなかった。
「だから、言ったじゃないか。俺は優しいって。」
口角をあげる芦辺に対して、沙紀は膝をつくしかなかった。
所詮、自分は無力すぎると沙紀は思い知らされるだけだった。
「まー、でも姫もお優しいよね。自分だって鬼の世界に入りたかったわけじゃないのに、他人にはそれを強制しないんだから。」
芦辺が紡ぐ言葉に、沙紀は肯定も否定もしなかった。
沙紀には栄輝が複雑な顔をしていることは容易に予想できた。
「でも、姫が救いたかったのは邪と関わりたくなかった田中忠国かい?それとも、あの日の君かい?」
『あの日』、そう沙紀が母親に殺されかけて、鬼であることが分かった『あの日』だ。
あの日が無ければ沙紀は普通の女子高生として過ごしていかもしれない。
田中忠国に自分を重ねて見ていたことを指摘され、沙紀は初めてそのことを考えたが、否定できない自分がそこにいた。
「けど、その優しさが良い方向に動いたのかもしれないけどね。」
ボソリと芦辺はつぶやいた。
「え?」
その声に沙紀は聞き返したが、芦辺は誤魔化した。
「ま、いずれ分かるよ。」
「それって、どういう意味ですか?」
「さあね。それより、一人足りないんじゃない?」
「高貴さんのことですか?」
「そうそれ。」
明らかに芦辺が話を誤魔化そうとしたが、沙紀は気づいていないのか、素直に質問に答えた。
「このところ忙しいみたいです。それに私まで頼み事しちゃいましたし。」
「頼み事?」
「初めての私用外出ができるので、母に会おうと思ったんですけど、私は居場所を教えてもらえてないので、調べてもらってるんです。」
沙紀がそう言うと、芦辺は驚いた顔をして、何かをつぶやいた。
「それは調べるってことの程でも…。そうか、そういうことか。」
芦辺は一人で納得してメモ帳とペンを取り出すと、サラサラと何かを書き始めた。
何が起こったのかと見ていると、メモをビリッと破いて沙紀に差し出した。
沙紀は驚いたまま受け取ると、そこには病院名と住所が書いてあった。
「詳しいことは言えないけど、ここに行ってみるといいよ。人間時代の友人のお見舞いとでも言ってね。」
「え?意味が分からないですって。」
さすがの沙紀もそう反論するが、芦辺はにこやかにしているばかりだった。
「俺って、占いも得意なんだよね。絶対、姫には損させないよ?」
「う、占いって、更に意味がよく分かんないですよ!」
「それじゃあ、姫はこのままでもいいの?」
「…。」
沙紀は言葉に詰まってしまった。
「じゃ、俺はまだ仕事あるから。姫たちも気を付けて帰って。」
沙紀が反論できないことをいいことに、芦辺は足早に去っていった。
栄輝の手には嫌に冷たいジュース。
沙紀の手には意味の分からないメモ。
そして、栄輝と沙紀には、微妙な空気。
その日はそのまま終わった。




