ナイト
「ところで、あなたのことは何て呼べばいいのかしら?」
木漏れ日が降り注ぐ森の中を歩きながら、汚れた服を着替え少々さっぱりとしたルナが男にたずねる。
「……」
「不法滞在の身だから言えないのか。偽名ならいくらでもあるだろう」
「……別に、偽名なんてお前らに使う必要ねぇだろ」
「ではなぜ名乗らない?」
「あー、うるせぇなあ。なんだっていいだろ」
「それじゃ困るわよ。このままだと”密入国者さん”か”不法滞在者さん”になっちゃうわ」
自分の言ったことにフフッと笑うルナを見て、男の眉間の皺は益々深くなった。
「……トだよ」
「えっ?」
「……ナイトだよ。ナイト・エヴァット」
「ナ…イト…」
「……」
フイとルナとガレスから顔を逸らす男――ナイトの耳は赤くなっている。
「ナイト……! い、いい名前ねっ! ガレスもそう思うでしょ?」
「あ、あぁ。悪くない、な」
「お前らバカにしてんだろ」
「バカになんて……」
「あぁ、バカになんてしていない。犯罪者様がそんな立派な名を持っているなんてな」
「ちょっと! ガレス!」
「馬がしゃべるのも考えもんだな。別に俺は好きでこんなことやってるわけじゃねぇよ」
「えっ? そ、そうなの?」
「うるせぇな。もういいだろ」
ナイトはルナより5,6程年上といったところだろうか。港で遭遇した時は殺意があったせいか、ルナに向けられた暗く冷たい眼も、今は明るい太陽の元でまた違った色に見える。180はあるであろう身長と、鍛え上げられた筋肉質な肢体は、リューナの男たちが嫉妬するにふさわしい見事なものだった。
唯一の武器だった短剣を失くしたルナにとって、今、ナイトは短剣以上に頼もしい存在だ。
虚から助けてもらった礼を言うと「繋がれてんのは誰だって胸クソ悪ぃだろ」と返ってきた。
戻ってきてくれたから、信用してもいいよね……?
トゥル石のネックレスだけで繋がれている関係だが、ルナはナイトがそれ程悪い人ではないように感じ始めていた。
あの時、ガレスが止めなかったら、彼は本当にルナを殺していたのだろうか。そんなこと、恐ろしくて聞けやしないが。
「バケモノは地下にいること、虚から落ちた先には人間の言葉を話せる個体が少なくとも2匹はいること、砂漠でも人が消えていること、私は食べられなかったこと……。今分かってるのはこのくらいよ」
ガレスとナイトにルナが地下での体験を説明する。気を失ったせいでほんの少ししか憶えていないが、正直、とても力で勝てる相手には思えなかった。
「あっ、あと”ガルサマ”って言ってたわ」
「なんだそりゃ。」
「奴らの王のような存在かもな。砂漠で人が消えているのも恐らく奴らの仕業だろう。この森の木の虚と砂漠……離れているが無関係ではないだろう」
「お前、馬のくせに頭いいんだな」
「ナイトは人間のくせに頭が悪いんだな」
「お前っ! わざと名前で呼んでるだろ!?」
「そんなことはないぞ、ナイト」
「切り刻んで肉にしてやる!」
「ちょっと! いい加減にしてよね!!」
ガレスとナイトはさっきからこんな調子だ。生物学上は同じオス同士、気が合っているのだろうとルナは思うことにした。
「とにかく、私が落ちたあの虚から地下へ入るのは自殺行為だと思うわ……。今までたくさんの人が消えてるのに、いくらスール橋の兵士に促されたからと言ってもあの虚だけが入口じゃないと思うの。」
「しかし他に入口があったとしても、それぞれの穴が独立した奴らの巣だとしたら、どこから入っても結果は同じだ。」
「……」
ガレスの言うことも確かに一理ある。だがルナはもうあの大樹には近づきたくなかった。実際にバケモノを目の前にして、戦うどころか気を失うことしかできなかったのだ。正直な所、怖いのだ。力も剣もない自分はただの足手まといとしか思えなくなっていた。
今のルナを動かしているのは父とノアに会いたいという想いだけだった。
「まぁまぁまぁ!」
口火を切ったのはナイトだった。
「ガレス、ここはルナの意見に乗らねぇか? 俺もあの虚ん中は嫌な予感しかしねぇんだ。他の入口を探そうぜ。砂漠にも行ってみてぇしよ! シュタイラには砂漠がねぇんだ。なぁに、バケモンが出たら俺がぶった切ってやるからよ」
「お前も好奇心が旺盛だな。……分かった、別の入口を探そう。とりあえずは森を探す」
緊迫さに欠けるナイトの発言だったが、彼の言葉には不思議と力があった。肉体と剣術を鍛え上げ、多くの危険に身を置いてきた者ゆえなのだろうか。
結論から言えば、森の中にそれらしき入口は見つけられなかった。虚のある木は他にも何本か存在していたが、どれも人が入れる程のものではなく、バケモノとは対極の位置にいるような愛らしいウサギやヤマネの住処となっていた。




