金色の木の実
「ルナ、短剣は腰に差しておけ」
今日からいよいよ森に入る。
バケモノの噂が絶えない森、人が忽然と消える森。実態の不確かなものにほど、恐怖は一人歩きをし、そして黒雲のようにどんどんと膨張する。
護身術くらい、身に着けておけばよかったな……。
腰に慣れない重みを感じながら、ルナはその存在をそっと指でなぞる。
ガレスの馬並み(?)はずれた駿足や、密入国者の剣術にまで頼ろうとしたりして、私は本当に非力だ。
「ルナ、行くぞ」
「う、うん。あ、ガレス、昨夜ね、夢にノアが出てきたの」
「お前……、大事なことは早く言え」
ガレスはやれやれといった様子で向き直る。
「ごめんなさい……。えっと、ノア、いつもと様子が違ったのよ。なんだか悲しそうに首を振ってたの」
「どういう意味だ?」
「分からない。呼び止めたんだけど行っちゃったし……。ノアはもう、この辺りにいないってことなのかなあ?」
「おいおい、これから探そうとしているのにか? まさか、海の向こうなんてことはないだろうな」
「えっ、そんな……、さすがに国を出て探すなんて無理よ!」
「あぁ、しかしあいつのテレパシーがそんなに遠くから伝わるとも思えん。全く、あいつは昔からよく分からん奴だったが、相変わらずだな。力はあるクセに伝え方も使い方も下手で苦労させられる」
「と、とにかく森や砂漠で人が消えてるのは事実よ。何か手がかりがあるはずだわ」
昼間だというのに、ひんやりとした空気に覆われた森の中は、ルナが目にしたこともないような木や植物がひしめき合っていた。
港同様、初めて立ち入る”森”。ルナの知らない世界がまた一つ、ここに存在していた。
「何かあった時のために単独行動は避けろ」と言ったガレスに従い、ルナはなるべくガレスから離れないように歩く。
通称『トゥルの道』と呼ばれている鉱石商人たちが踏み固めてできた細い道が、幾筋にも枝分かれをして森の中を縫うように走っている。商人たちが森に入らなくなってからはもっぱら兵士と役人がその道を行き来していた。
父が歩いたであろうトゥルの道を、まさか娘である自分が歩くことになろうとは……。ルナはなんとも不思議な感覚がした。
それにしても、森の中はあまりに静かだ。バケモノどころか、動物の気配すらほとんどしない。
「ねぇ、ガレス」
「なんだ」
「静かね」
「あぁ」
「……」
「ねぇ、ガレス」
「なんだ」
「何でもない」
「あぁ」
だって、なんだか静かすぎて怖い……。
ルナは元々、沈黙が苦手なのだ。
「ねぇ、ガレス」
「おい、今度はなんだ!」
「今、何かあった!」
ルナは視線の端にチラリと黄色い物が通り過ぎたような気がした。
「おい! ルナ! 勝手に行動するな!」
たたっと腰ほどまである草むらに分け入っていくルナを、ウンザリした顔でガレスが目で追う。昨夜はほとんど寝てないのだ。
ルナが見つけたのは、黄色く熟れた木の実だった。
金色に光るそれは、木の大きさに不釣合いなほど大きく、ずっしりとし、その枝は早く採ってくれと言わんばかりに弓のようにしなっている。
ルナはその誘惑に軽々乗せられてしまう。
「いい香り! ひとつ採ってもいいかな!?」
「好きにしろ。腹を壊しても知らんぞ」
「うん!」
ここ何日も硬いパンと干し肉しか口にしていないルナには、突然やってきたごちそうだ。
「……ん? これ実が落ちたのかな?」
「……」
これは、落ちたわけではないな……。ヘタからきれいにもぎ取られた跡だ。猿か、人か……?
周辺の葉にはべとべととした粘液が付着している。
「ルナ、行くぞ。袋にしまえ」
「うん」
今すぐかぶりつきたい衝動を抑え、ルナはぎゅうぎゅうと大きな実を袋に押し込んで上機嫌だ。
そんなルナとは対照的に、朝は青く澄んでいた空の色が次第に灰色へと濁り始めていた。
「雨?」
やがてポツリポツリと木々の葉を点々に濡らし始めた雨は、乾いた大地にぬかるんだ水たまりを作るまでに激しくなってきた。
「冷たいっ!」
「ルナ、休憩小屋か大きな木を探すぞ」
辺りはあっという間に雨で白く霞み、フードから滴る雫と一緒になってルナの視界をますます悪くする。
寒い……! このままじゃ風邪をひいてしまうわ。ガレスもあんまり寝てなくて疲れてるし、雨をしのげる所を早く探さなきゃ。
ルナは昨夜ガレスに迷惑をかけてしまったことを気にしていた。
はやく小屋か木を……!
そんなルナの真っ白な視界に、ぼんやりと大きな木のシルエットが浮かんできた。
やった!!
大樹だ。近づくとすでに、重なり合う葉と共に大きくぐねりと腕を広げた枝のおかげで、その場所だけ雨足が弱くなる。
「ガレスー! こっちよ! 大きい木があるわ!」
寝不足で今日は少しだけ機嫌が悪いガレスも、ここなら満足してくれるだろう。
「ルナ、今行く」
幸運なことに、その木には虚があった。雨が止むまでその中で過ごせそうだ。
スール橋の兵士が教えてくれた木ってこの木かな。
ルナは虚の中へ足を踏み入れながら、もう一度ガレスを呼ぶ。
「こっちよ! ガレ――――」
「ルナ、よくやった」
大樹に近づくガレス。
「ルナ? ……ん、虚か……?」
大きく口を開いた暗い虚の中、ガレスの目に映ったのは、雨水の溜まった小さな足跡と、無造作に転がる金色の木の実だけだった。
「ル……ナ……?」
ヌチャ……
何だ、これは……?
前足を上げたガレスの蹄の裏に、ぬるりとした茶褐色の液体がへばりつく。
大樹の虚の奥へ、ヒューヒューと微かに湿気を帯びた風が吸い込まれていく音がした。




