夢の中のノア
その夜は港から近い、鉱山のふもとで過ごすことになった。
ルナもガレスも男も、ほとんど口を開かず、3つの足音だけがキンと冷えた空気と、そびえ立つ木々の間に反響する。
今は、互いにそれぞれが何を考えているのか分からない。今のルナには、歩くことも、話すことも、考えることすらも全てが重苦しく感じてしまう。
港の灯台の美しい炎の記憶も霞がかかったかのようにボンヤリと頭に浮かぶだけだ。
「今日はここで休む」
先頭を歩いていたガレスの声で、ルナはハッと我に帰った。
いつの間にか林を抜け、鉱山のふもとまで来ていた。空を仰ぐと、天に突き刺さるような急勾配の赤茶けた山がルナの目に飛び込んできた。このあたりは国の北北西に位置し、山麓は森の入口を示唆するかのように徐々に木々で鬱蒼としはじめ、山頂にゆくにつれ大気は冷えて山肌が露になっている。
お腹は空いていたが、ルナは何も食べる気が起きず、このまま眠ることにした。
男は少し離れた場所で横になり、腕を枕にしてじっと空を見つめている。
何を考えているんだろう?
体つきに似合わない、その端整な横顔にルナはちらりと目をやる。
ルナをすぐに殺そうとしたところを考えると、もう何年にも亘って密入国を繰り返しているのだろう。
密入国は重罪だ。
急にルナは犯罪の片棒を担いでいるような気持ちになり、男とは反対の方へ寝返りを打った。
「とんだ一日だったな」
すっとガレスがルナの傍に来てうずくまる。
「ガレス、ごめんなさい。全部私のせいよ。私が港を見たいなんて言ったから……」
「まぁ、その通りだ。だが命は助かった。それはお前の運だろう」
「ガレス……」
「ルナ、あの男はまだ信用できん。気をつけろ」
「うん、分かってる。それより私が殺されそうになった時、一体何が起きたの? すごい音がしたのは覚えてるんだけど」
「あぁ、あれはオレがやった」
「そうだったの……ガレスってすごいのね……」
ガレスが猛烈な跳び蹴りの一撃でも食らわせたのかなぁ……。
ルナの瞼は重くなり、ガレスの低い声が子守唄のように心地よく頭に響く。体は鉛のように重かったが、緊張の糸が切れたのか強烈な睡魔が襲ってきた。
「ルナ、もう寝ろ」
いつもは離れて寝るガレスが今夜は傍にいる。そんなガレスの体温が、ルナの心に凪をもたらし、意識をその海の底に深く沈めてくれた。
すぅと夜風がルナの額をなでる。ふわりと懐かしい土の匂いが鼻をかすめた。鉱山に出入りしていた父に染みついていた匂いだ。
「う……ん、おとうさん……」
ガレスはギョッとしたが、父親でも思い出したんだろうと、寝息を立てるルナを見てフゥと溜息をついた。
その夜、ルナは夢を見た。
あの白馬、そう、ノアだ。
ノアは変わらず美しい姿で暗闇の中に立っているが、いつもの夢とは少し様子が違う。
「ノア、どこにいるの?」
ルナは話しかけてみる。
しかし、ノアは悲しげな瞳をして首を左右に振り、去ろうとした。
「ノア? 待って……! ノア!」
ルナは必死で呼び止めるが、ノアは白く淡い光の筋と共に消えてしまった。
「ノ……ア!」
軽やかな鳥のさえずりと、木々に囲まれ白みはじめた空が、ノアの名を呼びながら目を開けたルナに朝を告げる。
「もう朝……」
辺りを見回すが、その開けた草むらの中に男の姿を見つけることはできなかった。
「早起きなのね……顔でも洗いに行ったのかしら?」
ゴソリと隣でガレスが動く。
「ガレス、おはよう」
「あぁ。ルナ、お前はどこまでも鈍いな」
「えっ?」
「あの男は今頃船の上だろう。密入国は長く留まる程リスクが増える。石は残念だったが、命と引き換えだったと思うんだな」
「そんな……」
「言っただろう、信用するなと。あの男は犯罪者だ。商人や役人と闇取引をして金儲けをしているような奴だ。あの様子だと人も殺している可能性が高い。港からの移動中や夜中に襲ってこなかっただけ運がよかった。石を先に渡していたのは正解だったな」
「……」
あぁ……、なんて私は甘くて、鈍くて、バカなのだろう。
ルナは足元の地面がガラガラと崩れ、その深い穴へと落ちていってしまうような錯覚に囚われた。
ガレスはきっと分かっていたんだ。だから私の傍についててくれたし、夜も警戒して眠らずにいてくれた。なのに自分ときたら……。
「ルナ、気を落とすな」
「ガレス、ごめんなさい」
「なぜ謝る? お前は自分で自分の命を守ったんだ。それで十分だろう? それに港へ行ってよかったとオレも思っている。人間の造った物を褒めるのも癪だが、灯台はきれいだった。お前もそう思うだろう?」
「ガレス……」
「まぁ、なんだ、その、お前は笑っている方がいい、ということだ……」
ガレスは柄にもないことを多く口にして疲れたのか、フイと顔を背けた。




