港の男1
太陽が完全に沈みしばらく経つと、月が姿を現しはじめた。
鉱山へ続く道は、月明かりに照らされて1本の白い帯となり、ルナたちを誘導しているかのようだ。
瞬きの度に白く煌めくガレスの長い睫毛をぼんやり見つめながら、ルナはおずおずと口を開いた。
「ガレス、1つお願いがあるんだけど……」
「なんだ」
「えっと、鉱山を大回りして港へ行ってみたいの……」
ルナは単純に港が見たかった。停泊する大きな貨物船や漁船、国唯一の小さな灯台が見たい。
アルブの都市からほとんど出ない一般人にとって、スール橋より向こう側の景色は、商人らが持って帰る情報から想像するしかなかったのだ。
「……お前、何考えてるんだ。港は危険だとあれ程言われただろう」
「分かってる。でも港がどんな所か一度でいいから見てみたいの」
「……」
「今は月も大きいし、明るいから大丈夫よ」
この時期は月がかなり大きい。地球の衛星でもある月は、この星に近づいたり離れたりを繰り返すため、とてつもなく大きく見える時期と、点のようになってほとんど見えない時期がある。
返事をしてくれなくなってしまったガレス。
やがて1本の白い帯だった道は、東へ折れる森行きと、真っ直ぐ伸びる港行きの2本の帯へと姿を変えた。
そして、ガレスは黙ったまま、真っ直ぐ進んだ。
「ガレス!」
「もう遅い、横を通るだけだぞ」
「うれしいっ!ありがとう!」
ルナはガレスの背から彼の首に抱きついた。
「おいっ、お前、喜ぶと抱きつくクセはなんとかしろ」
「……もしかして、照れてる?」
「いいから離れろ」
まぁ、でも、悪い気はしないな、とガレスは思ったのだった。
石を積み上げて造られた灯台の頂では、大きな炎がゆらめいて、ルナには海の上で1本の巨大なロウソクが立っているように見えた。
「きれい……」
離れているのに、その炎を見つめているとポカポカと体中が暖かくなった。ガレスから降りて、被っていたフードを下すと、耳まで熱が伝わってきて、ルナは思わず両耳を手で触れてみる。
お父さんは、こんな景色をいつも見てたんだ……。
木で造られた大きな船が波に合わせてギィギィと音を立てるが、不思議と怖くはなく、ゆりかごが揺られているかのように心地よく耳に響く。
「満足か?」
「うん……、ありがとう」
「……泣いているのか?」
「えっ?」
自分でも気がつかなかった。
ルナは袖でごしごしと目をこする。
「泣いてなんかない……」
「……」
「ガレスのお父さんやお母さんは?」
「……さぁな、もう忘れた」
ルナとガレスはそれきり言葉を交わさなかったが、2つの視線は灯台の炎の上で静かに交差していた。
どれくらい時間が経っただろうか、ルナはふと、小さな船が桟橋に近づいてきていることに気がついた。
何だろう? あの船、灯りもつけてない……。
やがて船から、やたら背の高い人影がゆらりと動くのが見えた。
「ガレス、誰か船で来たわ」
ルナがそう言ったとほぼ同時だったろうか、その人影がこちらを向く気配があった。
「ルナ! まずい! 行くぞ!!」
「えっ!? 何!?」
いきなりガレスは先を走りはじめ、ルナは驚く。
「いいから!! はやく乗れ!」
「えっ!? ちょっ、ちょっと待って……!」
ルナはガレスの変わり様に驚きつつも、何か良くないことが起きたんだと焦った。そのせいか、ガレスの轡に掛けたはずの左足がズルリと滑ってしまった。
しまった……!!
ドスンッ!!
「きゃあっ!!」
「ルナ!!」
ルナは尻から勢いよく地面に落ちる。
痛い……! こんな痛さ、久しぶり……。
「ガレス、ごめん! すぐに――――」
――カチャリ――
何だろう? 首が冷たい。
顔を上げたルナは、一瞬何が起きているのか分からなかった。そして、自分の首に突きつけられているものが、冷たく光る長い刃だと理解した時、ルナの体は石になったように動かなくなっていた。
「あ……」
どうしよう……、声、出ない……!
長い刃の先を視線で辿ると、大きくて背の高い影。後ろから差す月明かりとフードに隠れているせいで顔は見えないが、その体格と剣から、その者がシュタイラの人間だと分かった。
そして、粗暴で危険だと言われている密入国者ということも。
「あ……、ガ……レス、どうしよ、う……」
「誰に話しかけてる? 悪いが、俺を見た奴には死んでもらう」
その声は若い男のものだったが、ルナの首に触れる刃のように異常に冷たかった。
ルナは今、全てを後悔していた。旅に出たことも、通行証を手に入れ橋を渡ったことも、港へ行ったことも、とにかく全て。そして自分のせいでガレスの目的も絶たれてしまう。
「ごめ……なさい……」
「あ? 何謝ってる。謝るんなら、俺を見た自分自身に謝るんだな……!」
男はそう言いながら大きく剣を振り下ろした。




