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「そうですか。美鈴さんが」
そういうと、あえかは湯飲みを置いて目を閉じた。
「師匠、”総社”ってなんスか?」
日和の目にはもう涙はなかった。
何かを決意した輝きだけがある。
「美鈴を連れ去ったヤツが言っていたんです。神父の格好してた」
「……”総社”ですか」
あえかは目を瞑ったまま、低く繰りかえした。
ためらっているように見えた。
「話してやるがよい」
外から声が聞こえ、酒瓶を持ったハゲ頭が、縁側からのそりを顔をだす。
「金剛様、よろしいので」
「すでにこやつらは当事者じゃ。それに――」
金剛和尚は、日和の顔を見た。
「決断した男は止まらぬよ」
「そうッス師匠。オレ本気ッス」
日和の言葉に、金剛はうれしそうな様子で酒瓶に口をつける。
「……”総社”とは、わたしと金剛様が所属する日本総社のこと。日本の秘宝と霊的なバランス。ふたつを守ることを目的に設けられた機関です」
一心に見つめてくる弟子たちに正直に説明した。
「もともとは、廃仏毀釈――明治政府が行った神仏判然令に端を発し、寺社消滅をおそれた仏教系組織『仏法武家』が、神社本庁の前身である『八百万の神民派』へ歩み寄り、両者の総代表が合意して発足した機関で、明治政府了承のもとに生みだされました」
「そんなモン聞いたことねえぜ」
大沢木が口を挟み、あえかもうなずく。
「われらはあくまで隠れて日本を救うもの。名声や金銭が目当てでやっていることではありません。おおくの人はその存在を知ることすらなく一生を終えるでしょう」
「ワシらはボランティアじゃよ」
金剛がぼやく。
「慈善事業ではありません。課された大切な仕事のひとつです」
「でも、なんで隠しておく必要があるんですか?」
日和の質問に、あえかは目を伏せた。
「……現代は”科学の時代”とされています。霊や神などを信じる者には、生きにくい時代。伝統を守り衆生を守護してきた人々も、俗世のあからさまな軽蔑のまなざしに疲れ果て、家を捨て、名を捨てた者も大勢います。たしかに科学は世界の秘密のいくつかを解き明かしましたが、それは薄皮一枚にすぎません。この世には、まだ解明されていないことのほうがはるかに多いというのに」
「まぁ一部はワシらのせいでもあるがの」
と和尚はつぶやいた。
「ひとつのことしか知らぬがゆえに、奉りごとを神聖化して禁忌の帳に封印し、在家の人間からふんだくれるだけふんだくろうとする。まるで、廃仏毀釈が起きる直前の荘園のようにのう」
金剛はそういって、お猪口に酒を注いでグビリとのどを鳴らせる。
「神はわれわれのすぐ近くにいます。神主も巫女も僧侶も、それを身近に感じられるよう、すこし風通しをよくして差しあげるだけ。世の人々は、自分たちだけで生きていると思っていますが、それはちが違います。あるゆる災厄を祓うため、自らが犠牲となり、人柱となった者もいる。ただ、知らないだけ」
「犠牲になったって、”総社”の人間がですか?」
あえかは微笑を浮かべた。
「わたしの父と母も、その中にいます」
がーん、と日和は衝撃を受けて畳の上に頭をこすりつけた。
「すんません師匠! よけいなことを!! オレのスーパーグレイト大馬鹿野郎!!」
「気にしません」
「それじゃ、相手はなんなんだ?」
大沢木がたずねる。
「まだ、わかりません。ただ、とてもおおきな”組織”。それも、この国のものではなく、外より来訪した異郷の者どもである、ということ」
「だから、今回の任務は重要なのじゃ」
そういうと、赤ら顔をまじめな表情に変えて言った。
「やつらの正体を知る重要な手がかりをつかめるかもしれん」
「ですが金剛様。相手は奇妙な技を使います」
「言葉を用いて相手を意のままにあやつる、という話か」
金剛はアゴに手を当て、「ふぅむ…」とうなって考えはじめる。
「言霊、やも知れぬ、な」
「言霊、ですか?」
「コトダマ、ってなんだ?」
大沢木がたずねると、金剛はハゲた頭を蛍光灯にピカリと光らせ口をひらく。
「言霊とは、言葉によってこの世のあらゆる現象に介入することじゃ。たとえば、春日、おぬしは次のテストで0点をとる」
「マジで!?」
ふたたびガーン! と衝撃に包まれる。
「どれだ! どのテストでだ!! やっぱ英語か!?」
「と、このように言葉ひとつで人のこころはたやすく乱れる」
落ち込む日和から目をはなし、説明をつづける。
「人の発する言葉というのは、それだけでちからを持つ。ひとから明日死ぬと言われたなら不安になる。宝くじが当たると言われればあたりそうな予感がしてくる。それが言霊。ゆえに昔の人間は言葉ひとつでも失礼に当たらぬよう一言一言を気をつけた」
「神道のなかでも、忌み言葉として慶事や場所で避けられる言葉があります。それもまた、他人に不吉がおとずれないよう言葉を戒めたものです」
「猿」を「得手」と呼ぶ。「去る」を忌み言葉としたものだ。人よりま「さる」ことも「得手」と転じた。
かつての「亀梨」区が「亀有」区と改名されたり、商家が「オカラ」となることを恐れて「卯の花」と言ったりする。「離婚」を「いとま」。「死ぬ」を「身まかる」。「刺身」を「お造り」など、忌み言葉は日常生活に浸透してすでに一般用語として定着している。
「でも、神父のヤツ、言葉ひとつで巨人を火でぼうぼうにしたり、バラバラにしたりしてましたよ?」
「日和のからだを動かなくしたりな」
「は? そんなことあったっけ?」
日和は怪訝な顔で大沢木にたずねる。
「ふむ。おそろしいな。それは言霊というより、すでに呪として完成されたひとつの呪法かも知れぬ」
「……言葉としてとどく範囲にあるものがすべて影響下となるというなら、これ以上に極力な呪詛はありません」
押し黙った師匠と和尚に、大沢木と日和はたがいに目をかわす。
「あの、勝てないんすか?」
おそるおそる日和が口にする。
「ないのう」
金剛は飄々(ひょうひょう)と口に出す。
「うぉーーー!! どうすんスか一体!!」
「春日君。今は夜です。静かになさい」
「今はそんなこと言ってるときじゃないじゃないッすかー!! そうだ!」
日和は一足飛びにとんだ。
「死ぬ前にファーストキスくらいッ!!」
「溌ッ!」
あえかは襲ってきたクチビルに向けて拳をぶち込んだ。
「ぶふ。」
「……いつもながら、お師さんにはスキがねえ」
「はい」
ニッコリと笑顔を見せるあえかが、大沢木にはおそろしく映る。
「そういや、もうひとつ言っておかなきゃならねえ事がある」
痙攣している日和を後ろにずらし、あえかに近づく。
なぜか拳を握り締めたあえかを無視し、まじめにたずねた。
「昨日言ってた陰陽師ってのの正体がな、クラスメイトだった。東正龍っていうスカしたクソヤロウだ」
「「東っ!」」
あえかと金剛が同時に声を上げた。
金剛は縁側を蹴りあげて居間へと入ってくると、鬼のような形相で大沢木の肩をつかむ。
「東! 東正龍じゃと!? それは本当かッ!」
「あ、ああ、本当だ。最初にそいつが美鈴を襲ってきやがった」
おおきな手で痛いほどにぎりしめられ、顔をしかめてうなづく。
「四神の東家ですわ」
あえかが押し殺した声でつぶやく。
「青龍家が、”総社”を裏切ったというのか!」
金剛は大沢木を手放すと、巨体を後退させ、ズン、と嘆くように座った。
「なんということだ。あの、青龍家が――」
「金剛様、まだわかりません」
あえかは気を落とした和尚に向け、声をかける。
「青龍家では、ないかもしれません」
「う、うむ。そうじゃな。あそこの馬鹿ガキが単独で先走ったのかもしれん」
そういうと、ふたたび立ち上がって縁側へ向かう。
「直接たずねてくる」
「おひとりで危険では……」
「ワシは不動金剛明王。もしそうなら返りうちにしてくれる」
仁王のような顔を憤怒で固めた和尚は、荒々しくバスケットシューズを履くと、すそをまくり上げておそろしい速さで闇に消えた。
取り残される3人。
ひとりは重傷だった。
「……大沢木君」
「帰れっつーなら、言うことはきけねえな」
大沢木はするどい目で師をにらんだ。
「わかりました。この件が解決するまでは、ここにいて構いません」
「感謝するぜ。それと」
床に沈んでいる親友を見て、つづける。
「こいつも、同じでいいよな」
あえかはすこしだけ眉をひそめた後、「ええ」とうなずいた。




