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大人の二倍あろうかという身長の巨人が、濁った目で東のわきにたたずむ。
緑色の肌。
太く長い腕。
膨れた腹。
鋭い牙に突き出た一本角。
大沢木はさすがに笑えなかった。
「陰陽師に一般人が立ち向かおうとするのは、自殺行為以外の何者でもない」
東はあわれみに口もとをゆがめて告げた。
「陰陽道とは最強の冥府魔道だ。賢人によって究極にまで高められた理論体系、秘術、格式。すべてにおいてこれにかなう者など存在しない」
「ごちゃごちゃ言ってんな」
大沢木は鬼の目をにらみ返しながら言った。
「君が生きていられる時間をのばしてあげてるんじゃないか」
あわれんだ声で告げる。
この前の幽霊よりもタチが悪い、と大沢木は考える。ケンカでガタイは破壊力。鍛えた威力はトンの威力だ。人間レベルならだが。
あの体であの腕じゃ、人間などよりずっと上だろう。想像したくはない。
「美鈴」
後ろの女生徒に声をかけた。
「逃げろ」
片手で美鈴を押し出した彼は、果敢にもひとりで鬼へと立ち向かった。
「バカだね」
鬼に命じた。
「ひねりつぶせ」
緑色の鬼は身もすくむような咆哮をあげると、ドスン! ドスン! と地響きをあげ獲物へと襲いかかった。
ハンマーのような拳が振りまわされる。
それだけで拳風が巻きおこり、大沢木の顔に冷たい汗を流させた。
夜ならば。
夜ならば、こいつの相手だってできる自信があるのに。
(いや――)
図体がでかいなら小回りが利かない。それに、こいつは兵隊だ。
潰すなら、あたまに限る。
大沢木はフットワークを駆使して鬼の攻撃を見切ると、東のほうへと向かった。
彼は予期していた。
目の前に式符を掲げると、ひろげた手のなかで5枚に増える。
「我勧請す。五火に光る護身の剣」
札がしゅぼっ、と音をだして消えた。
大沢木には何もないように見える。
「もらった!」
拳をにぎりしめて突き出した。
ブシュッ!
その拳から血が噴きだす。
何もないはずなのに、するどい刃物に貫かれたような激しい痛み。
「ぐぁ!!」
さけんだ彼の体を、虚空が切り刻む。どれもが切れ味抜群の刃物のようで、しかも見えない。
よろめいて2、3歩後ろへ下がると、攻撃は唐突にやんだ。
「なんだ…!?」
「キミはこれが見えないんだね」
東は手のひらを広げ、スキだらけの様相を見せた。
「まぁ、チカラまかせで人を殴ることしか知らない人間はその程度かな」
「わけわからねえんだよ!」
体中から血を吹きださせ、大沢木は怒鳴った。
どうなってやがる。見当もつかねえ。なにが起きやがった?
だが、時間は稼げた。
美鈴のほうを見る。
「――なんで逃げてねえんだ!」
大沢木は怒鳴り散らした。
走って逃げたと思っていた美鈴が座りこんでいる。
呆然と。
おおきく見開いた目で信じられないものでも見たかのように、鬼の姿に身を竦ませている。
「くそ」大沢木は舌打ちし、東は皮肉をくちびるにのせた。
「”緑道”。先にそのバカ女を始末しろ」
濁った目がちいさい標的を捉えた。
目を向けられた美鈴が恐怖に硬直する。
大沢木はすぐに走った。
雄たけびとともに振るわれた拳が美鈴を捉える寸前に、すべりこんで抱きすくめる。
宙を飛んだ。
地面に叩きつけられた大沢木は、こみ上げてきた久しぶりの悪寒に口をふさいだ。
ねばつくような赤い液体が指の隙間から溢れでる。
血の味というのは、やはり鉄錆に似た味がする。
マズイコトこの上ねーな、と笑う。
「大沢木くん!」
美鈴が手をかけ、泣いている顔で覗きこむ。
ほら見ろ、いい女じゃねーか。
大沢木は思った。
態度には出さず、その体を押し返す。
「に、げ、ろ」
言葉を話すのがつらかった。
「お医者さんに」
「医者など必要ないよ。君たちはそろって死ぬんだから」
「やめて! わたしが望みなんでしょう!?」
美鈴は立ち上がると、ふるえながら言った。
「わたしはどうなってもいいから、大沢木くんを助けて! おねがいだから!」
(……美鈴)
もう、声を出すことも億劫だった。
「僕に命令するのか?」
冷笑を浮べた東に、美鈴は両手をにぎると、その場でひざをつき、両手を地面につけた。
「おねがい、します」
「馬鹿か?」
東は1ミリの感情も動かされず、”緑道”に始末を命じた。
「殺れ」
緑の式鬼は主人の命令に忠実にしたがい、両手を合わせて万歳すると、二人まとめてぺしゃんこにしようとする。
「ちょっとタンマ!!」
間のぬけたその声に、”緑道”の動きが止まる。
式鬼が動きを止めるのは、主による呪の制御が中断したとき――つまり、気が動転した場合。
「ぬぉーーー!! こわくないこわくない人類はみんなキョウダイだー!!」
叫びながらやってきた人物を見ると、東は激しく動揺をあらわにした。
「春日日和! ここに参上! そして一秒でも早く立ち去りたい気分全開だ!」
ふるえる親指で自分を指差した彼はすでに逃走態勢に入っていた。
「ヒヨリ――なぜ、ここへ――」
呆然と東がつぶやく。
「溝口に呼ばれたんだよ! ここで補習するって!!」
日和以外にはワケがわからないイイワケを叫びながら、彼は自分の身長をゆうに越す緑の巨人を見上げる。
やばい。
大沢木と美鈴のピンチにおもわず飛び出してきたが、どうしよう。そういえば師匠からも何度も注意されていた。よく考えて行動しなさい。
そのとおりです師匠。ボクは今、ものすごくその言葉の意味を実感しています。
「日和……くん」
美鈴に声をかけられるが、動くに動けなかった。
後ろには深刻なダメージを負った大沢木。
口は悪いがか弱い美鈴。
そして、友愛の非戦闘民族をポリシーとする月代高校1ーA若干15歳春日日和。
勝てるパーティではなかった。
(死ぬ。このままでは死んでしまう)
日和の中で死ぬ予定は、あえかと結婚した後が前提だった。すでに子供の名前まで考えているというのに!
将来の計画が音を立てて崩れていく。
(どうしよう。いきなりあやまるべきか? 土下座したらこのおおきな生き物に轢きガエルにされそうな気がする)
「ヒヨリ――どいてくれないか」
自分を取りもどした東は、静かな声音で語りかけた。
「そ、それはできかねる!」
少々混乱気味に日和は答えた。
「どいてくれ。でないと、ぼくはキミまで手にかけないといけなくなる」
「あっはっはっは。まった冗談キツイよ?」
笑いながら東を見た。
ゆっくりと首を振る姿に、わずかにあった期待がスコーン、と空のかなたへ吹き飛んでいった。
「僕はキミを殺したくはない」
「な、ならやめよーよ」
「それはできない」
日和は涙目になった。
「ちくしょー! だったらオレもどけねーよ!」
「ヒヨリ、君はわかっていない」
東正龍は視線をはずし、自分の横にいる鬼に目を向けた。
「正義とは誰もがなしえるものじゃない。行動を起こせる人間こそが可能なことなんだ。君にはわからないかもしれないけれど、そこの女が死ぬことで、世界が変えられる。そう、教えてくれた人がいる」
「ひ、人を殺して世界をかえるって言うのは、まちがっていると思うんですが」
びくびくと怯えながら、口を開く。
「世の中には正義が足りない」
断固として彼は語った。
「戦争で親をうしなう子供がいる。犯罪に巻き込まれて命を落とす人がいる。周囲から疎まれて死を望む人がいる。彼らは悪いわけじゃない。この世界が悪いのさ。だから、改革しなければならない。誰もが幸せとなる世界へ。平等になる世界へ」
日和を見ると、決意したまなざしに変わる。
「そのための喚び水なんだ。君の後ろにいる女は」
「ち、ちがうって! こいつは南雲美鈴っていって! ガキの頃からオレの知っている」
「君は一面しか見ていない。誰もが担わされた責任を生まれた瞬間から持ち合わせている。生まれや育ちで運命が決まる。そして、そんな世の中はまちがっている。僕は運命にあらがう。誰もなしえなかった、正義をなしえる」
東の目に、熱情とも取れる狂信的な感情が浮かんだ。
「僕が、世界を変える」
そういうと、日和へと式符を向けた。
「さようなら、僕の親友。キミを犠牲に、僕は新しい明日を手に入れる」
彼は式符を投げつけると、呪言を唱えた。
「我勧請す――神砕く顎もつ破敵の剣」
目の前で、符は巨大な蛇のようにうねりたち、あおく輝くおおきな一尾の龍となると、巨大なアゴを開けて日和へと襲いかかった。
「うぎゃあああ!!」
日和が悲鳴を上げて頭をかばう。
その首に巻きついたペンダントがふつ、とちぎれ、地面に転がった。
夕日の明かりを反射し、鉄製のなんの変哲もないペンダントのロケットが虹色に輝く。
輝きはロケット表面を飛び出し、極彩色にあふれた光が日和たちの前に50センチほどの丸い円を象った。
それよりはるかに大きな龍がロケットが作り出した鏡へと吸い込まれていく。
「なっ!!」
正龍がおどろく前で、尻尾の先まで消えた龍は次の瞬間にはあたまから飛びだしてきた。
式主である東に向かって。
「くっ――!!」
とっさに”緑道”を盾にするも、その右半分が食い破られる。
残った左半分が断末魔の叫びをあげて式神の龍を殴りつけた。長い尾が大きくくねり、車椅子に座る東をおもいきりはじき飛ばした。
絶叫し、壁にたたきつけられる。
ひしゃげた車椅子が地面に落ち、東自身の体もずるりとその上へと落ちた。




