第7話:依頼『湯けむりカルト・前編』
「......はあ、なんで山の中にある
ボロ旅館なんかに来なきゃならねぇんだ。」
山道のくねくねとしたカーブで揺られながら
黒江は運転席で心底嫌そうに溜息をついた。
「何言ってるんですか黒江さん!温泉旅行ですよ!温泉!!!
タダで温泉に入れて美味しいご飯が食べられる!!!
初めてこの探偵事務所でバイトしてて良かったって思ってます!!!」
「.....なんてこというんだ。」
助手席の茜は、遠足前の小学生のように目を輝かせている。
「.....喜んでるのはお前だけだろ。」
今回の依頼は、人里離れた山奥にある寂れた温泉旅館のオーナーからだ。
『怪しい集団が全館を貸し切って居座り、夜な夜な
不気味な呪文を唱えて困っている、何とか追い払って欲しい。』
という、絵に描いたようなトラブル処理だ。
「どうせ怪しい新興宗教の占拠だ、ダルくてやってらんねぇよ..........。」
山道を1時間ほど走らせれば、到着する。
『山陰閣』昼間だというのに暗く、重苦しい空気に包まれていた。
木造の古びた廊下を歩くと、すれ違う客たちが見える...が
全員黒いフード付きのローブを纏っている。
薄暗い館内の奥からは、地鳴りのような低い読経が響いていた。
「うわあ.....本当に怪しい教団ですねぇ。
まるでミステリードラマですよ!黒江さん!!!」
「.......なら茜は誘拐されるポジションだな。」
案内されたのは2階の客室。
黒江は荷物を畳の上に放り投げると、即座に大の字になった。
「ちょっと黒江さん!調査は!?」
「運転で疲れたんだよ、夕飯まで寝る。
........飯食った後でも関係ないだろ、あの手の奴らは。」
黒江が目を閉じようとした、その時。
ギシ....と、押し入れの戸がわずかに開く。
暗がりの中から、血走った眼をしたローブの男が
ギラリと光るナイフのような物を構えて、こちらを見ているのが確認できた。
「......チッ、茜ぇ。」
「はーい、どうしました?」
「フロントで夕飯の時間と.....
ついでにお茶のパックでも貰って来い。」
「えぇ...自分で行ってくださいよ。
まあいいですけど、寝ないで待っててくださいね。」
部屋に残されたのは、ダルそうに体を起こした黒江と
押し入れの中に潜む狂信者だけになる。
「.....よう、なんのつもりだ。」
「教団の聖なる儀式を邪魔する者は......死ねぇぇぇっ!!!」
凶悪な叫びと共に押し入れが勢いよく開かれ、ナイフが振り下ろされる。
黒江は最小限の動作で半身を引き、刃先を躱すと
そのまま男の手首をガッチリと掴んだ。
「.......人の安眠を邪魔する奴も、死んだ方が良いよな。」
相手の脛に蹴りを入れ、相手が体勢を崩したところに胸ぐらをつかみ
容赦なく畳へ向かって力任せに叩きつけた、完璧な一本背負いが決まる。
ドッッッ!!!
鈍い衝撃音が部屋に響く、古い畳は激しく歪み
下の床板がバキバキと音を立てるのが聞こえる。
男は絶叫を上げる暇も無く、白目を剥いて失神した。
「......ふぅ、ここで何が起きてんだ?」
黒江がタバコに火をつけたタイミングで
廊下からパタパタとこちらへ歩いてくる音が聞こえた。
「黒江さーん、御夕飯18時頃ですってー......はぇ?」
戻って来た茜が、目を見開いて硬直する。
部屋の真ん中で畳が大きく歪み、その中心で泡を吹いて倒れている
黒いローブの男。
「.....なにがあったんですか?」
「......築年数経ってそうだしな、床でも腐って抜けたんだろ。
こいつは推定泥棒、踏み抜いて勝手に脳震盪ってところじゃねぇか?」
「そんなバカな崩れ方します?
取り合えず警察と救急でも呼びましょうか。」
「フロントに連絡してこのゴミ引き取らせるだけで良いだろ、私は寝る。」
黒江は横になり、紫煙を天井に吹き上げた。
しかし、その夜.....大広間から響き渡る不気味な大合唱と
怪しい邪神のシンボルを掲げた本格的な召喚儀式が
黒江の安眠を徹底的に妨害することを、黒江はまだ知る由もない。




