第10話:遭遇『うさんくさい教育実習生(中編)』
「....どちらかというと君だけどね。」
爽やかな笑みのまま、九十九が一歩踏み込んでくる。
その瞬間、黒江はパーカーの後ろ...ジーンズの後ろポケットに入れている
【S&W M686】のグリップを握る。
親指が金属の冷たい感触を捉え、ハンマーを起こす。
勝てるわけがない、この程度の鉛玉数発では
目の前の混沌が滅びるはずも無いことくらい、理解している。
だがこれは意思表示だ。
『お前を害意ある異常と認識し、牙をむく準備がある』
というギリギリの威嚇。
「......ふふ、いいね。
その無駄な抵抗、何処まで出来る?」
九十九は銃の気配に気づきながらも、恐怖など微塵も見せない。
どころか黒江の警戒と緊張を心底楽しそうに眺め、満足げに喉を鳴らす。
命を懸けた黒江の威嚇すら、彼にとっては退屈しのぎの玩具でしかない
圧倒的な温度差。
(.........どうする、どうする?
最優先は茜の無事と、この学校への被害を最小限に...............。)
黒江は額に冷や汗が滲むのを覚える。
目的は奴を倒すことではなく、茜を巻き込まない事。
この場をさっさと終わらせて、この学校に被害を出させない事。
黒江の意識が、意図せず階段の方へと向く。
そのわずかな動きを、九十九が見逃すはずはない。
「.......茜ちゃん、か。」
九十九の視線が黒江の視線を追い、薄く細められる。
M686のグリップを握る手が少し強くなる。
階段を気にかけていた視線が、九十九へ戻る。
「君のその死んだ目に、ほんの少しだけ生温い色があるね。
いい観察対象が増えそうで嬉しいなあ。」
「........やるか?お前のその薄っぺらい皮
はぎとって校門に晒してもいいんだぞ。」
黒江が低い声で吐き捨てた、その時。
コン...コン...コン...と上の階から軽快な上履きの音が
近づいてくるのが聞こえる。
「.........おっと。」
足音が聞こえた瞬間、九十九の身を包んでいた
不穏で禍々しい気配が、嘘のように霧散する。
立ち姿、表情、佇まいのすべてが、一瞬にして
『生徒に親しまれる爽やかな教育実習生』へと切り替わる。
その完璧すぎる変身に黒江は、胃の奥が雑巾のように
絞られるような吐き気を覚えた。
「黒江さーんっ!提出物の確認おわりましたーっ.....
あれっ!?九十九先生!?」
階段を駆け下りて来た茜が、昇降口に立つ2人に気付いて目を丸くする。
「や、茜ちゃん。
課題かい?遅くまで感心だね。」
「あはは、ちょっと忘れ物しちゃって.......。
黒江さんとは何かお話しされてたんですか?」
純粋な疑問を投げかけてくる茜に対し、黒江はポケットから手を開放し
いつもの死んだ目で呆れたように言葉を吐き捨てた。
「......話すわけねぇだろ、トイレ借りようとしたら
このセンセーに通報されそうになってただけだ。」
「えぇっ!?黒江さん不審者扱いされたんですかあ!?
...........まあ、見た目は完全に怪しい人ですもんね。」
「........どうみても他校の可憐な少女だろ。
先に外出て待ってろ、ついでに自販機でマッ缶でも買ってこい。」
「え、一緒に帰らないんですか?」
「トイレだつってんだろ、ほらさっさと行け。」
黒江の手慣れた仕切りに、茜は「はーいっ!」と
素直に昇降口の外へと走って行った。
茜の背中が遠ざかり、夕闇が落ち始めた昇降口に再び静寂が戻る。
「.........手慣れているね、神楽坂探偵。」
九十九はクスクスと笑いながら、スーツの袖口を整える。
「安心するといい、今日は何もしないさ。
..........せっかく2週間も実習があるんだ、じっくり楽しみたいからね。」
「........誰が混沌のいう事を信じるんだよ。」
「あっはは、それでいいさ。
警戒し続けておくれ、その方が壊した時においしい。」
九十九は爽やかな笑みを残したまま
軽やかな足取りで校舎の奥へと消えていった。
1人残された黒江は、壁に背中を預けガックリと肩を落とす。
両の手が、足が、身体全体がわずかに震えているのが分かる。
(..........はあ、最悪の2週間になりそうだな。)




