第10話:封鎖旧層
地下旧層への立ち入りが決まったのは、それから三日後だった。
当然、クロウレイは最後まで反対した。
先行調査、精神干渉に対する防護術式、退路の確保。
最低限の安全策が整うまでは、ミレイユを入口へ近づけることすら認めなかった。
先に入った王宮魔術師団によって浅層までの安全が確認され、複数の精神防護術式を用意した上で、ようやく同行を認めたのだ。
それでも条件は厳しい。
異常を感じた時点で即時撤退。
ミレイユ自身から精神感応を広げない。
遺構内のものには不用意に触れない。
そして何より、クロウレイが危険と判断した場合、調査はその場で終了する。
ミレイユも、それには素直に頷いた。
*
皇宮地下へ続く扉は、思った以上に近くにあった。
皇宮西棟、普段は使われていない古い回廊の先。
重い鉄扉を前に、ライナーが嫌そうな顔をする。
「いや絶対なんか出るだろここ」
回廊はどこまでも薄暗く、空気も重い。
壁面には古い封印術式が残され、その上から何重もの結界が刻まれていた。
エドガーが壁面へ近づき、触れない程度の距離から術式を観察する。
「……複数時代の封印が混在しています」
「古代式の上から、後世の術士たちが補強しているようですね」
シルヴァンが顔をしかめた。
「そこまでして閉じたい場所ってこと?」
「でしょうねぇ」
ヴァルターが静かに答える。
その横で、ミレイユは無意識に扉を見つめていた。
『――――』
また声が聞こえてくる。
地下のさらに奥、深い深い場所から。
呼ばれている。
アロイスは、ミレイユの表情の変化にすぐ気づいた。
「顔色が悪い」
低い声に、ミレイユははっとしたように視線を逸らす。
「だ、大丈夫です」
「大丈夫な顔じゃない」
即答だった。
クロウレイが少しだけ目を細める。
遠隔映像装置越しでも察してはいた。
だが、実際に見ると想像以上だった。
アロイスは、本当にずっとミレイユを見ている。
ほんの少し顔色が変わっただけで気づき、呼吸が浅くなれば即座に支える。
まるで、常に気を張っているようだった。
クロウレイは小さく息を吐く。
(……思った以上だねぇ)
少しだけ安心した。
同時に、ほんの少しだけ複雑でもある。
長年、自分が見守ってきた愛弟子は、もう自分だけの庇護下にいるわけではない。
そう思うと安心して――少しだけ、寂しくもあった。
ヴァルターが封鎖担当術士へ視線を向ける。
「解除を」
術士たちが一斉に動く。
幾重もの封印術式が発光し、低い解除音が響いた。
やがて、重い鉄扉がゆっくりと開く。
冷たい風が流れ出た。
全員の表情が変わる。
その先には、地下へ続く石階段があった。
暗く、深い。
まるで帝都そのものの内側へ潜っていくようだった。
シルヴァンが嫌そうな顔をする。
「帰っていい?」
「駄目ですねぇ」
ヴァルターが即答した。
「はい終わった」
*
地下旧層は、異様だった。
降りれば降りるほど、構造が変わっていく。
現在の皇宮建築とは明らかに違う。
滑らかな白灰色の壁。
継ぎ目のない構造。
規則的な導線。
そして、壁面を走る淡い光。
エドガーが息を呑んだ。
「……神聖国地下遺構と似ています」
ミレイユも小さく頷く。
「あの時と同じです」
「魔力導線の構造が近い」
エドガーは壁へ触れず、表面を走る光を目で追った。
「ですが、規模が違う。神聖国地下遺構の比ではありません」
さらに進んだところで、エドガーが足を止めた。
持参していた地下構造図を広げ、壁面を走る導線と見比べる。
しばらくして、その表情が変わった。
「……この導線、旧層内で完結していません」
アロイスが問う。
「どこへ続いている?」
エドガーの指が図面を滑る。
「上です」
一同が黙った。
「現在の帝都地下へ、枝分かれしながら伸びています。それも、一方向ではありません」
ヴァルターが図面を覗き込む。
「……帝都全体へ繋がっている可能性がありますねぇ」
ライナーが顔を引きつらせた。
「は?」
エドガーが低く呟く。
「まさか……帝都そのものが、補助基盤……」
空気が静まり返る。
ヴァルターがゆっくり頷いた。
「可能性は高いでしょう。神聖国では、確認できた構造は聖都地下に集中していた。ですが、こちらは違う」
図面に描かれた導線は、あまりにも広い範囲へ伸びている。
クロウレイが静かに言った。
「古代帝国の中枢だった場所なら、この規模も納得かな」
シルヴァンが乾いた笑いを漏らす。
「その上に今の帝都を造っちゃったわけですか」
「知らなかったとはいえ、笑えませんねぇ」
ヴァルターの声にも、さすがにいつもの余裕がなかった。
さらに奥へ進む。
やがて、一行は広大な空間へ出た。
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
正面の壁を覆う、巨大な壁画。
天井近くまで続く古代絵図には、無数の人間が描かれている。
皆、目を閉じ、穏やかな表情を浮かべながら、中央にある巨大な“円”へ向かって光を伸ばしていた。
シルヴァンが小さく呟く。
「……宗教画?」
「違いますね」
エドガーが静かに否定する。
「これは祈りではない」
「接続です」
ヴァルターが壁面の古代文字を読む。
「“全ては一つへ還る”」
空気が冷えた。
ミレイユだけが、壁画から目を離せなかった。
違う。
これは祝福なんかじゃない。
もっと恐ろしい何かだ。
その瞬間だった。
ミレイユの視界へ、別の光景が重なった。
「――っ」
壁には触れていない。
精神感応を広げてもいない。
なのに、頭の奥へ直接、像が流れ込んでくる。
――光。
無数の人間。
笑顔。
歓喜。
安堵。
『もう、一人じゃない』
『苦しくない』
『全部、繋がっている』
その中心に、巨大な白い光があった。
見たことなどない。
誰かに教えられたわけでもない。
それなのに。
――“真なるもの”。
その名が、当然のように頭へ浮かんだ。
ミレイユの視界が大きく揺れる。
「っ……!」
ふらついた身体を、アロイスが即座に支えた。
「ミレイユ!」
呼吸が乱れる。
鼻先から、一筋の血が落ちた。
シルヴァンが顔色を変える。
「は!?」
クロウレイの表情から笑みが消えた。
「撤退する」
即断だった。
「ミレイユ、僕を見て」
クロウレイが目の前へ回り込む。
「壁じゃない、僕を見る」
ミレイユは苦しそうに息を吐いた。
「みんな……繋がって……」
「ミレイユ」
声が低くなる。
その声に、ミレイユがはっと顔を上げた。
クロウレイの表情は静かだったが、目だけが真剣だった。
「戻っておいで」
ミレイユが何度か息を繰り返す。
少しずつ、焦点が戻ってきた。
クロウレイはそれを確認してから、低く言う。
「接触してないのに引っ張られた」
一瞬、壁画へ目を向ける。
「……かなりまずいね」
ヴァルターが低く問う。
「何が見えましたか」
ミレイユは息を整えながら、小さく頷く。
「……白い光が」
言葉を探す。
「たくさんの人が、そこへ繋がっていました。みんな、安心していて……幸せそうで……」
一度、息を呑む。
「それを見た瞬間、“真なるもの”って言葉が頭に浮かんだんです」
ヴァルターの目が鋭くなる。
「自分で、そう判断したのではなく?」
「……はい」
ミレイユは青ざめたまま頷く。
「最初から、知っていたみたいに」
沈黙が落ちた。
ライナーがぼそっと呟く。
「怖すぎんだろ……」
クロウレイは笑わなかった。
「知識まで流し込まれてる可能性がある」
その声に、アロイスの表情が険しくなる。
「戻るぞ」
「でも――」
「駄目だ」
即答だった。
クロウレイも頷く。
「今日はここまで」
ミレイユが苦しそうに顔を上げる。
「でも先生、今なら――」
「今だから駄目なんだよ」
珍しく強い声だった。
ミレイユが言葉を失う。
クロウレイは少しだけ声音を和らげた。
「精神干渉っていうのはね、“境界”を曖昧にする。特に君は感応しすぎる」
ミレイユは悔しそうに俯いた。
アロイスはそのまま身体を支えている。
離さないように。
倒れないように。
クロウレイはその様子を見て、小さく目を細めた。
「……君、ずっとこんな感じだったの?」
不意の問いに、アロイスが眉を寄せる。
「何がだ」
「ミレイユのこと。ずっと見てたの?」
アロイスは僅かに黙った。
「必要だからやっているだけだ」
クロウレイはしばらくアロイスを見る。
それから、小さく笑った。
「ふぅん」
ほんの少しだけ、その表情が柔らかくなる。
「なら、僕がいない時もよろしくね」
アロイスはクロウレイを見返した。
「言われるまでもない」
短い返事。
クロウレイは、それ以上何も言わなかった。
長年、自分が守ってきた愛弟子を、この男になら任せてもいい。
ほんの少しだけ、そう思えた。
その時だった。
――コツ。
全員が止まった。
足音。
誰も動いていない。
なのに。
暗闇の奥から、もう一度。
――コツ。
シルヴァンの顔が引きつる。
「……今、人数合ってる?」
誰も答えない。
暗闇の奥。
気配。
“何か”がいる。
ミレイユの肩が震えた。
『帰っておいで』
「……っ」
今度は、はっきり聞こえた。
優しい声。
だからこそ、怖い。
ミレイユの身体が僅かに前へ傾く。
アロイスが腕を掴んだ。
「行くな」
低い声。
ミレイユが苦しそうに振り返る。
「でも……」
「駄目だ」
アロイスは離さない。
クロウレイもミレイユの前へ出る。
「聞かなくていい。帰るよ」
その瞬間。
――ゴォン。
地下のさらに奥から、重い音が響いた。
まるで巨大な扉が、向こう側から叩かれたような音。
全員の表情が強張る。
もう一度。
――ゴォン。
そして。
微かに、歌声が聞こえた。
誰かが、扉の向こう側で歌っている。
意味の分からない古い言葉。
そのはずだった。
だが。
ミレイユだけが、その意味を理解してしまった。
『帰っておいで』
『もう、一人じゃない』
『みんなで、一つになろう』
ぞわりと、全身へ寒気が走った。
ミレイユはその言葉を知らない。
知らないはずなのに。
意味だけが、直接頭の中へ流れ込んでくる。
クロウレイが険しい表情でミレイユを見る。
「……帰るよ。今すぐ」
今度は、ミレイユも逆らわなかった。
その遥か奥で。
――ゴォン。
もう一度だけ、扉を叩く音がした。




