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選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
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第9話:地下へ続く記録

シュタルク公爵家の朝は、妙に賑やかだった。

長い食卓には、朝から随分な量の料理が並んでいる。

パンに卵料理、煮込み、スープ、彩り豊かなサラダ。

シルヴァンが感心したように呟いた。

「公爵家の食事、朝から豪勢ですね~」

「だろ?」

ライナーが得意げに言う。

「マルガレーテが本気出すともっとすごいぞ」

「怖」

クロウレイはスープを口にしながら、しみじみと言った。

「ミレイユ、ずっといいもの食べてたんだねぇ」

ミレイユが少し困ったように笑う。

「とても良くしてくださっています」

「当然だ」

アロイスが即答した。

少しむすっとした顔で。

クロウレイが面白そうに目を細める。

「でも、ミレイユの料理も美味しいんだよ」

「僕とレオニードしか知らないけど」

完全にマウントだった。

アロイスの眉がぴくりと動く。

ライナーが食いついた。

「いいな、料理上手な嫁」

「俺も嫁さんほしい」

エドガーが静かに紅茶を置く。

「元気になられたら、ぜひ一度いただいてみたいです」

「俺も俺もー」

シルヴァンが即座に乗る。

ミレイユが少し慌てた。

「え、あの、そんな大したものでは……」

「謙遜しなくていいよぉ」

クロウレイはにこにこしている。

「ミレイユ、昔から料理上手だったし」

アロイスが静かに言った。

「……今度作れ」

ミレイユが目を瞬く。

ライナーが即座に吹き出した。

「うわ、自然に予約した」

「黙れ」

マルガレーテが嬉しそうに笑う。

「にぎやかだこと」

ルドルフは静かにお茶を注ぎながら、遠い目をしていた。

「公爵家はどこへ向かっているのでしょうな……」

誰も答えなかった。

いや、答えられなかった。

*

朝食後。

穏やかだった空気は、急速に変わった。

ルドルフが食堂へ戻ってくると、一礼して告げる。

「閣下、皇宮から招集が」

空気が少し張る。

アロイスが静かに問う。

「どっちからだ」

第一皇子か、第二皇子か。

ルドルフは一瞬だけ間を置いた。

「……第二皇子殿下でございます」

室内の空気が変わった。

ヴァルターが昨夜、第二皇子へ報告に向かったことは聞いている。

だが、その翌朝には招集。

あまりにも早い。

アロイスは小さく眉を寄せた。

「内容は」

「地下旧層調査に関する件、と」

クロウレイの笑みが僅かに薄れる。

シルヴァンも軽口を止めた。

ミレイユだけが、静かに俯く。

地下。

その言葉を聞いただけで、胸の奥がざわついた。

『――――』

遠い声。

また、微かに聞こえた気がする。

アロイスが即座に気づいた。

「ミレイユ」

低い声に、ミレイユは小さく首を横へ振る。

「……大丈夫です」

だが、大丈夫ではないことくらい、全員分かっていた。

クロウレイが静かに立ち上がる。

「僕も行こうか」

「当然のようについてくるんですね」

シルヴァンが呆れた声を出す。

「愛弟子絡みだからねぇ」

「師匠さん、完全に保護者じゃん」

ライナーまで普通に混ざっている。

「今さら?」

クロウレイが平然と返した。

アロイスは小さく息を吐く。

「準備しろ」

短い言葉。

それだけで、空気が切り替わった。

*

数時間後。

皇宮西棟。

普段ほとんど使われない古い会議室に、ミレイユたちは集められていた。

分厚い石壁に古い燭台。

机上には大量の古文書と地図が広げられている。

そしてその奥には、第二皇子がいつもの穏やかな表情で座っていた。

「急に呼び立ててしまって悪かったね」

口調は柔らかい。

だが、その目は静かに冴えている。

ヴァルターが一礼した。

「例の件ですか」

「そうだ」

第二皇子は机上の古い本へ手を伸ばした。

革表紙は擦り切れ、端も変色している。

何度も読み返された痕跡があった。

「以前、母方の家から譲り受けて、皇宮の私蔵庫に置いてあった資料だよ」

ミレイユが小さく目を見開く。

アロイスは黙ったまま、その本を見ていた。

「正史には残っていない……いや」

第二皇子が小さく笑う。

「残さなかった、の方が正しいのかな」

室内が静まり返る。

第二皇子が本を開くと、中には手書きの記録が綴られていた。

地下構造図。

古い調査報告。

そして、帝都地下の断面図。

エドガーが静かに呟く。

「……地下旧層」

ヴァルターも目を細める。

第二皇子が頷いた。

「帝都地下には、現皇宮よりさらに古い層が存在する。古代帝国期の構造物と思われる地下区画だ」

アンネリーゼが静かに問う。

「これを、側妃家系が調査していたのですか」

「数代前にね」

第二皇子は淡々と答えた。

「古い童話を本気にした変わり者がいたらしい。おかげで、こうして資料が残ったわけだけど」

シルヴァンが身を乗り出す。

「本当にあったんですね、その話」

「興味深いことにね」

第二皇子は穏やかに笑った。

「だが、そう簡単にはいかないだろうね」

その声に、ヴァルターが僅かに目を細める。

第二皇子は資料を一枚抜き取った。

古い報告書。

そこには、地下旧層探索に関する記録が残されている。

「地下構造そのものは確認されている。ただし――」

指先で、ある一文を叩く。

「奥へ進んだ調査隊は、全員撤退している」

シルヴァンが顔をしかめた。

「撤退?」

「原因不明の恐慌」

「極度の閉塞感」

「幻聴」

「錯乱」

穏やかな声だからこそ、不気味だった。

エドガーが静かに問う。

「それほど以前から、精神干渉が発生していたということですか」

「現在のような共鳴反応が確認されるより、遥か以前から」

第二皇子は笑った。

「そういうことになるね。完全に沈黙していたわけではなかったらしい」

ヴァルターが資料へ視線を落とす。

「つまり、“真なるもの”と呼ばれている何かが帝都地下に存在する可能性は高い」

第二皇子は何も言わない。

ヴァルターはさらに続けた。

「少なくとも、休眠中の遺構で確認されたものと似た精神干渉が、以前からここで起きていた」

「そして現在」

アンネリーゼが静かに引き取る。

「各装置の共鳴に呼応して、その反応が強まっている可能性がある、と」

空気が重くなる。

ミレイユの指先が僅かに震えた。

その時、クロウレイがさりげなく、机の下でミレイユの手首を軽く叩いた。

はっとして顔を上げる。

クロウレイは穏やかな顔をしていた。

「考え込みすぎ」

「……すみません」

ミレイユは小さく息を吐く。

アロイスはそのやり取りを黙って見ていた。

少しだけ複雑そうな顔で。

第二皇子が次の資料を取り出した。

「さらに興味深いのは、ここだ」

そこには、乱れた筆跡が残されていた。

まるで極限状態で書き殴ったような文字。

ヴァルターが読み上げる。

「“地下で、誰かが呼んでいる”」

静かな沈黙。

「“扉の向こうで歌っている”」

ミレイユの呼吸が浅くなった。

ぞわり、と背筋を冷たいものが這う。

アロイスが即座に気づく。

「ミレイユ」

低い声。

だが、ミレイユはすぐには答えられなかった。

遠く、深く。

帝都の下。

何かがいる。

『――――』

声が聞こえる。

以前より近く、以前より鮮明に。

クロウレイが静かに問いかけた。

「……聞こえる?」

ミレイユは迷った末、小さく頷く。

「少し、だけ」

室内が静まり返った。

「前より近いんです」

ミレイユはゆっくり続ける。

「ずっと下から……呼ばれているみたいで」

シルヴァンが顔を引きつらせた。

「嫌すぎるんだけど」

ヴァルターが低く呟く。

「装置側が、既にミレイユ様を認識している。王国での推測は正しかったわけですね」

第二皇子は穏やかに笑った。

だが、その目は冷静だった。

「つまり向こうも、“鍵”を探している可能性がある」

視線がミレイユへ向く。

ミレイユは無意識に肩を強張らせた。

アロイスが僅かに前へ出る。

庇うように。

それを見た第二皇子が、ふっと笑う。

「安心しろ。今すぐ彼女を地下へ連れていくつもりはないよ」

シルヴァンがぼそっと言った。

「“今すぐ”って言った」

「聞こえているよ」

第二皇子は普通に返した。

怖い。

ライナーが小さく呟く。

「この人、笑顔で圧かけてくるタイプだよな……」

エドガーが静かに頷いた。

「非常に権力者向きですね」

「褒め言葉として受け取っておこうかな」

第二皇子は楽しそうだった。

だが、空気は軽くならない。

むしろ逆だ。

資料を読み進めるほど、地下にある“何か”の異常性だけが増していく。

ヴァルターが次の頁をめくった。

「地下旧層最深部には、巨大封鎖扉が存在する」

さらに資料へ目を走らせる。

「開閉機構不明。材質不明。内部未確認」

「未確認、ねぇ」

シルヴァンが嫌そうな顔をした。

「もう嫌な予感しかしない」

その時だった。

ミレイユが小さく顔を上げる。

「……待って」

全員の視線が向いた。

何かを探ろうとしたわけではない。

意識を地下へ伸ばしたわけでもない。

ただ突然、頭の奥へ像が流れ込んできた。

暗闇。

遥か地下へ続く、巨大な構造。

そして、その最深部にある――扉。

ミレイユの肩が震える。

「ミレイユ」

今度はクロウレイの声が鋭かった。

「追わなくていい、そのまま戻って」

ミレイユは息を吸う。

目の前の会議室へ意識を戻そうとした。

机。

燭台。

クロウレイの声。

アロイスの気配。

それでも、像が消えない。

巨大な扉が見える。

ミレイユは青ざめたまま呟いた。

「……見えます」

室内の空気が張り詰める。

「大きな扉が」

クロウレイがミレイユから目を離さない。

「それ以上、見ようとしなくていい」

「見てるんじゃ、ないんです」

ミレイユの声が震えた。

「勝手に……入ってくるんです」

その言葉に、クロウレイの表情から笑みが消えた。

アロイスも僅かに息を呑む。

ミレイユは目を閉じることすらできなかった。

目を開けていても、見える。

会議室の向こうに重なるように。

暗い地下。

巨大な扉。

「まだ、閉じています……でも」

小さく息を呑む。

挿絵(By みてみん)

扉の向こう。

何かがいる。

そして。

――ドン。

音ではない。

それでも、確かに感じた。

もう一度。

――ドン。

ミレイユの指先が震える。

「……向こう側から」

誰も声を出さない。

ミレイユは青ざめたまま、ゆっくりと言った。

「叩いています」

静寂が落ちた。

ミレイユが扉を探し当てたのではない。

扉の向こうにいる“何か”が、ミレイユへ自分の存在を知らせている。

そんな可能性を、誰も口にはしなかった。

けれど。

帝都そのものの遥か地下で。

何かが、こちら側へ出ようとしている。

そのことだけは、もう疑いようがなかった。

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