第8話:再会と居候
帝国へ戻った一行を迎えたのは、重苦しい空気――ではなかった。
「ミレイユ様ぁぁぁ……!」
シュタルク公爵邸。
正面玄関から飛び出してきたマルガレーテが、半泣きで駆け寄ってくる。
ミレイユが目を丸くした。
「マルガレーテさん……」
「お痩せになってぇぇぇ……!」
勢いのまま抱きつきかけて、寸前で止まる。
「はっ、いけない。お疲れのところに衝撃を……!」
「い、いえ……」
ミレイユが少し困ったように笑う。
その後ろには、アロイスが立っていた。
黒い瞳が、真っ直ぐミレイユを見る。
王国へ送り出した時より顔色は良く、歩き方もしっかりしている。
それでも、まだ細い。
アロイスは僅かに眉を寄せた。
「……戻ったか」
低い声に、ミレイユは小さく頷く。
「はい」
交わしたのは、それだけだった。
なのに、二人の間の空気がふっと柔らかくなる。
ライナーが横でにやにやした。
「団長、めちゃくちゃ安心してんじゃん」
「黙れ」
即答だった。
その時、ミレイユの後方から軽い声が響く。
「いやぁ、帝国ってもっと殺伐としているかと思った」
シルヴァンだった。
ひらひらと手を振りながら歩いてくる。その隣にはクロウレイもいる。
マルガレーテが目を瞬かせた。
「まあ!こちらが、お師匠様!?」
クロウレイがにこやかに会釈する。
「どうも、ミレイユがお世話になってます」
「まあまあまあ!ミレイユ様のお師匠様!」
マルガレーテの目が輝く。
「なんてお細いの!食べさせなくちゃ!」
クロウレイがきょとんとした。
「え、そこ?」
「当然です!遠路はるばるお越しいただいたのですから、栄養のあるものをたくさん召し上がってくださいませ!」
完全に張り切っている。
クロウレイがシルヴァンへ小声で言った。
「帝国、居心地いいねぇ」
「クロウレイさん、完全に気に入られてる」
その様子を見ていたアロイスは、何とも言えない顔をしていた。
クロウレイ。
見た目は自分より若いが、“王国の天才王宮魔術士”として名を馳せていたのは、ずっと昔だ。
おそらく、自分が斬り捨てた父と近い年齢。
なのに、妙にミレイユとの距離が近い。
しかも、それがあまりにも自然だった。
長年積み上げてきた信頼があるのだろう。
それが少し気に入らない。
かなり気に入らない。
エドガーが静かに一歩前へ出た。
「初めまして、エドガーです」
丁寧に一礼する。
「王国の天才王宮魔術士――クロウレイ殿のお噂は、以前より伺っておりました。お会いできて光栄です」
クロウレイが少し意外そうな顔をした。
「いやぁ、帝国にまで昔の話が残ってるとはねぇ」
「元、ですね」
シルヴァンが横から口を挟む。
「今はただの引きこもり師匠さん」
「失礼だなぁ」
その横でライナーが吹き出した。
「いやー、何か分かる。軽薄そうな感じとか」
「おっ」
クロウレイが目を輝かせる。
「君、分かるねぇ」
「でしょ?」
一瞬で意気投合した。
エドガーまで静かに笑っている。
アロイスの眉間に皺が寄った。
「あ、団長イライラしてる」
「していない」
「してるって」
「していない」
全然隠せていなかった。
その後、一行は公爵邸内へ案内された。
王国側の客室も既に用意されており、マルガレーテが張り切って説明していく。
「クロウレイ様はこちらのお部屋を――」
「あ、僕はミレイユの隣で」
即答だった。
マルガレーテが目を瞬く。
アロイスの空気が冷えた。
「精神状態、まだ不安定だからねぇ。何かあったらすぐ分かる位置がいい」
正論である。
だが、アロイスは納得いかない。
かなり納得いかない。
シルヴァンが横からひょこっと顔を出す。
「じゃあ僕も近くで」
アロイスの視線が刺さった。
「怖」
ミレイユは困ったように視線を泳がせていた。
その後、ヴァルターとアンネリーゼは皇宮への報告準備のため、それぞれ邸を辞した。
ようやく静かになった――かと思いきや、ならなかった。
夕食。
長テーブルには、マルガレーテ渾身の料理が次々と並べられていく。
「はい、クロウレイ様、こちら煮込みです!シルヴァン様はこちら!ミレイユ様はもっと召し上がってください!」
料理が止まらない。
クロウレイが若干引いている。
「え、まだ来るの?」
「当然です!」
マルガレーテは真顔だった。
「細い方には食べていただきます!」
「帝国文化こわ」
シルヴァンがぼそっと呟く。
ライナーが笑った。
「諦めろ、マルガレーテに目をつけられたら終わりだ。団長も昔やられてたよな」
「ライナー」
「はい」
「黙れ」
シルヴァンがスープを口へ運び、少し目を見開いた。
「ですが、美味しいですね」
「でしょう?」
マルガレーテが嬉しそうに胸を張る。
クロウレイも料理を口にしながら、感心したように言った。
「ミレイユ、ちゃんといい所で暮らしてたんだねぇ」
ミレイユが少し照れたように目を伏せる。
その瞬間、アロイスの機嫌が僅かに良くなった。
ライナーが何か言いたそうな顔をしたが、今度は黙っておいた。
食後。
客間では、シルヴァンとライナーがすっかり打ち解けていた。
「で?閣下って昔からあんな感じ?」
「主にライナーのせいですね」
エドガーが静かに紅茶を飲みながら言う。
「俺のせい!?」
「騒がしいので」
「ひど」
シルヴァンが吹き出す。
クロウレイもソファに座りながら笑っていた。
「いやぁ、帝国騎士団ってもっと殺気立ってると思ってた」
「団長が特殊なんだよ」
「いや、主にライナーのせいでは?」
「エドガー、お前今日辛辣だな?」
随分と平和だった。
*
翌日。
騎士団訓練場。
「で、師匠さんって実際どれくらい強いの?」
ライナーが興味津々で聞く。
クロウレイは困ったように笑った。
「昔の話だよぉ」
「いや、絶対強いだろ」
「そんなことないって」
その瞬間、ライナーが木剣を放った。
完全な不意打ち。
ミレイユが目を見開く。
だが次の瞬間、ライナーの身体が宙を舞った。
「え?」
そのまま訓練場へ転がる。
誰も、何が起きたのか分からない。
クロウレイはその場から一歩も動いていなかった。
エドガーの目が細くなる。
「……無詠唱障壁」
クロウレイがにこやかに笑った。
「反射術式だねぇ」
ライナーが地面から顔を上げる。
「いや怖っ!?」
シルヴァンが爆笑した。
「クロウレイさん、容赦ない」
「だって危ないし」
クロウレイはけろりとしている。
アロイスは何も言わなかったが、明らかに警戒度が上がっていた。
エドガーが静かに言う。
「……伝説は誇張ではなかったようですね」
「その言い方やめてくれない?」
*
その夜。
アロイスは執務室で書類に目を通していた。
向かい側にはライナーがいる。
だが、妙に静かだった。
「最近、部屋静かだな」
アロイスがペンを止め、眉を寄せる。
「……何が言いたい」
「別に?」
完全に面白がっている顔だった。
以前は、ミレイユが報告ついでに立ち寄ったり、疲労で倒れ込むようにソファを占領したりと、気づけばこの部屋にいることが多かった。
だが今は違う。
クロウレイが来てから、ミレイユは向こうの客間にいる時間が増えている。
精神的に安定している証拠だ。
本来なら、良いことなのだ。
良いことなのだが。
……何となく落ち着かない。
その時、廊下の向こう――客間の方から笑い声が聞こえた。
シルヴァンだ。
ミレイユも笑っている。
ライナーが聞き耳を立てる。
「あー、また盛り上がってんな」
「……仕事しろ」
「団長が気にしてるからだろ」
「気にしていない」
即答だった。
その直後、客間側の扉が開く音がした。
ぱたぱたと軽い足音が近づき、執務室の扉からシルヴァンがひょこっと顔を出す。
「お、公爵閣下まだ仕事中?」
「何の用だ」
「いや、ミレイユが紅茶淹れすぎたって。飲む?」
後ろからミレイユの困った声が飛んできた。
「シルヴァン様……!」
完全に巻き込まれている。
ライナーが吹き出した。
「平和かよ」
シルヴァンは悪びれもせず笑う。
「クロウレイさんが甘いもの欲しいって言うからさぁ。マルガレーテさん張り切っちゃって、お菓子山盛り」
さらに後方から、クロウレイの声。
「ミレイユ、あの焼き菓子もう一個食べたい」
「クロウレイさん食べすぎ」
「育ち盛りなので」
「どこの?」
ミレイユが小さく吹き出した。
その声を聞いた瞬間、アロイスの表情からほんの少し険が抜ける。
シルヴァンがそれを見て、にやっと笑った。
「さすが真・護衛騎士様」
ライナーが即座に噴き出す。
「お前、それ本人の前で言うのか」
「だって護衛騎士感すごいし」
「殺されるぞ」
「怖」
アロイスが無言で睨む。
だが、ミレイユがまた笑ったので、結局何も言わなかった。
数秒後。
アロイスは小さく息を吐く。
「……紅茶だけ貰う」
シルヴァンがにやっと笑った。
「やっぱ来るじゃん」
*
同時刻。
皇宮、第二皇子私室。
深夜にも近い時間だったが、室内にはまだ灯りが残っていた。
ヴァルターは静かに一礼する。
「帰還報告に参りました」
第二皇子が書類から顔を上げた。
相変わらず柔らかな笑みを浮かべている。
「……君は勤勉だねぇ。普通は、帰還初日くらい休むものだよ?」
「性分なもので」
「働き者は嫌いじゃないよ」
第二皇子は軽く笑う。
だがヴァルターには、笑ってはいても、その目がまるで別のことを考えているように見えた。
第二皇子は机に頬杖をつく。
「それで?“真なるもの”だったかな」
ヴァルターは、王国で得た情報を順に報告していく。
各遺構の共鳴と再反応、王国に残る童話と“連なるもの”、そして石板の存在を感じない“何か”について。
話が進むにつれ、第二皇子の笑みが少しずつ薄れていった。
やがて、ぽつりと呟く。
「……真なるもの、ねぇ」
窓の外には、帝都の夜景が広がっている。
第二皇子はそれを眺めながら、小さく笑った。
「おとぎ話も、存外侮れない」
ヴァルターが目を細める。
「母方の家系がね、妙に古い話を残していたんだ」
第二皇子は記憶を辿るように続けた。
「“真なるものが目覚める時、連なるもの達もまた歌い出す”」
ヴァルターの表情が僅かに変わる。
「まぁ、その頃は半分も信じてなかったけど。何代か前、本気でその伝承を調べた人間がいたらしくてね」
第二皇子は机上の書類へ指を滑らせる。
「帝都地下旧層に、“触れてはいけないもの”があると記録されていた」
室内の空気が変わった。
ヴァルターが静かに問う。
「記録は残っているのですか」
「断片的にだけ」
第二皇子は淡々と答える。
「地下旧層調査隊の精神異常」
「消息不明」
「封鎖記録」
「“声を聞いた”という証言」
穏やかな口調なのに、妙に寒気を誘う。
第二皇子は少しだけ目を伏せた。
「子供の頃は、怪談話だと思ってたよ。“夜更かしすると、地下の声に連れて行かれる”ってね」
小さく笑ったが、その笑みはすぐに消えた。
「でも今なら、少し分かる」
声が低くなる。
「……あれは、“警告”だったんだろうねぇ」
ヴァルターは黙っていた。
第二皇子は再び窓の外へ目を向ける。
無数の灯りが瞬く帝都。
その遥か地下深くに、古代帝国の亡霊が眠っている。
そんな想像さえ、今では冗談に思えなかった。
「さて」
第二皇子は静かに呟く。
「おとぎ話の怪物相手に、現代人はどこまでやれるのかな」
その声だけが、夜更けの私室へ静かに落ちた。




