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選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
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第5話:残る声

王国へ戻って数日。

ミレイユの体調は、表面上かなり回復していた。

食事も取れ、深く眠れる。

顔色も戻り、王城内を歩ける程度には体力も戻っている。

だが、問題は別にあった。

昼下がりの王城回廊。

窓から差し込む春の光が白い床へ落ち、廊下の向こうでは侍女達が談笑している。

穏やかな日常だった。

ミレイユは、その声をぼんやり聞いていた。

『今日は天気が――』

『殿下のお茶会が――』

『騎士団の――』

その瞬間、ぞわりと背筋が震えた。

声が重なる。

『――――』

誰かが囁いている。

違う。

一人じゃない。

幾重にも重なる無数の声が、王城の人々の声へ混ざり、頭の奥へ流れ込んでくる。

祈り。

呻き。

呼ぶ声。

『繋げ』

『還れ』

『聞こえる』

ミレイユの呼吸が乱れ、視界が揺れた。

誰が喋っているのか分からない。

この廊下なのか、遠くなのか、それとも頭の中なのか。

境界が曖昧になっていく。

「……ミレイユ?」

自分を気遣う声に、はっと顔を上げる。

シルヴァンが顔を覗き込んでいた。

ミレイユの顔色を見た途端、その表情が変わる。

「ちょっと待って、呼吸浅い」

すぐ横へ来たシルヴァンに、ミレイユは反射的に壁へ手をついた。

「だ、大丈夫です……」

「全然大丈夫じゃない」

珍しく真面目な声だった。

シルヴァンは周囲の侍女達へ軽く合図する。

「ごめん、ちょっと場所空けて」

人が離れると、それだけで少し楽になった。

ミレイユが小さく息を吐く。

シルヴァンはじっと様子を見ていた。

「……また聞こえた?」

ミレイユは少し迷ってから、小さく頷いた。

シルヴァンの笑みが薄れる。

「やっぱり残ってるんだ」

神聖国から戻って以降、こうした症状は時折起きていた。

クロウレイ達も把握しており、今日は本格的な診察が予定されている。

シルヴァンは少し空気を変えるように笑った。

「ま、クロウレイさんとレオニード様がいるし、何とかなるでしょ」

軽い口調だったが、かなり気遣っていた。

その時、王城侍女が近づいてくる。

「ミレイユ様、お手紙が」

差し出された封筒には、帝国紋章の蠟封が押されていた。

ミレイユが目を瞬く。

アロイスからだった。

シルヴァンがにやりと笑う。

「お、帝国の公爵閣下」

ミレイユは少し困った顔をしながら封を開ける。

内容は簡潔だった。

王国側への礼と体調確認、各地の遺跡について調査を継続しているとの報告。

そして最後に、一文だけ。

『睡眠は取れているか』

ミレイユの指先が僅かに止まった。

本当に、それだけだった。

なのに不思議と胸の奥が温かくなり、さっきまで曖昧だった境界が少し戻る気がする。

シルヴァンが横から覗き込もうとした。

「うわ、字が堅――」

ミレイユが慌てて手紙を閉じる。

シルヴァンが吹き出した。

「隠された」

「違います」

「いや今のは隠したでしょ」

少しだけ空気が軽くなった。

*

――後刻。

王宮魔術師団診察室。

「……なるほどねぇ」

クロウレイが椅子へ深く腰掛けながら呟く。

向かいでは、レオニードが腕を組んだまま黙っていた。

二人の間には、王宮魔術師団所属の若い女性魔術師がいる。

精神干渉系統への適性を持つ、王国でも数少ない精神感応系魔術師だった。

ミレイユほど高い適性ではないが、診察には十分だ。

ミレイユは部屋中央の椅子へ座り、少し緊張した様子を見せていた。

クロウレイが軽く笑う。

「そんな怖い顔しなくて大丈夫。解剖とかしないから」

「クロウレイさん、最低です」

壁際で見学していたシルヴァンが即座に突っ込む。

クロウレイは気にせず、軽く手を叩いた。

「さて、始めようか」

空気が変わる。

室内へ静かな魔力が広がった。

使用するのは、王宮魔術師団でも高度な部類に入る精神波観測術式。

女性魔術師が小さく息を呑む。

「……これは……」

レオニードが低く問う。

「分かるか」

女性魔術師は慎重に答えた。

「複数方向から、微弱な精神波反応があります。ただ……異常です」

一度言葉を切る。

「通常、人間の精神波は、ここまで遠距離では共鳴しません」

シルヴァンの表情から笑みが消えた。

クロウレイも黙る。

ミレイユは静かに目を伏せた。

やはり、気のせいではない。

女性魔術師はさらに術式を確認し、静かに告げた。

「……接続されています。完全ではありませんが、半接続状態に近いかと」

レオニードの目が細くなる。

クロウレイが尋ねた。

「どこへ?」

女性魔術師は迷った末、ゆっくり答える。

「……複数です。一つではありません」

空気が重くなった。

王国、帝国、北方、神聖国。

休眠したはずの装置群が、今もどこかで繋がっている。

クロウレイが深く息を吐いた。

「最悪だねぇ」

珍しく、本音だった。

レオニードは冷静に続ける。

「装置群のネットワークへ半接続状態にある。おそらく、神聖国での深層接続が原因だ」

シルヴァンが顔をしかめる。

「切れないんですか、それ」

レオニードは首を横へ振った。

「無理に切断すれば、精神崩壊の危険がある」

ミレイユの指先が僅かに強張った。

クロウレイはそれに気づき、わざと軽い口調で言う。

「大丈夫大丈夫、まだ即死する段階じゃないから」

「フォローになっていませんよ、クロウレイさん」

「え、そう?」

少しだけ空気が緩んだ。

だが、レオニードはさらに続ける。

「問題はもう一つある」

低い声だった。

「装置側が、既にミレイユを認識している」

その瞬間、室内が完全に静まった。

シルヴァンの顔色が変わり、ミレイユも息を呑む。

クロウレイだけが苦く笑った。

「……やっぱりそこまで行ってるかぁ」

レオニードが頷く。

「深層接続時、装置側から逆探知を受けている。今後は距離に関係なく反応する可能性が高い」

女性魔術師も青ざめていた。

「そんなの……聞いたことありません」

当然だった。

古代帝国級の技術など、現代には存在しない。

その時、診察室の扉が静かに開いた。

エリシアだった。

後ろにはリディアも控えている。

エリシアは室内の空気だけで察したらしく、表情を曇らせた。

「……あまり良い話ではなさそうね」

クロウレイが軽く肩をすくめる。

「かなり」

エリシアは静かにミレイユを見る。

その目には、痛いほどの心配が浮かんでいた。

「これ以上、危険なことをさせたくないわ」

本音だった。

ミレイユは小さく目を伏せる。

だが、レオニードが静かに言った。

「しかし現状、装置を追跡できるのはミレイユだけだ」

残酷な現実だった。

エリシアの指先が僅かに強張り、リディアも黙ったまま目を伏せる。

重くなった空気を変えるように、クロウレイがぱん、と手を叩いた。

「はい、診察終了!」

シルヴァンが目を瞬く。

「え、急だね?」

「ミレイユ、本日完全休業!」

クロウレイが宣言する。

「甘いもの食べて寝る!」

「クロウレイさん、それ絶対自分が食べたいだけですよね」

「バレた?」

少しだけ笑いが起こり、張り詰めていた空気が和らいだ。

リディアが静かにミレイユへ近づく。

周囲が少し離れたところで、真っ直ぐその目を見た。

「……怖いか」

ミレイユが少し目を見開く。

「怖いなら、怖いと言え。一人で抱えるな」

戦場を知る人間の声だった。

ミレイユは小さく息を吐き、少しだけ弱く笑った。

「……怖い、です」

ようやく出た本音だった。

リディアは静かに頷く。

「それでいい。怖くない方が危険だ」

ミレイユの肩から、少し力が抜けた。

*

その夜。

エリシアがミレイユの部屋を訪れた。

王女としてではなく、一人の人間として。

「起きていた?」

柔らかな声に、ミレイユは慌てて立ち上がろうとする。

「そのままでいいわ」

止められた。

エリシアはベッド脇へ腰掛け、少しの沈黙の後、小さく言う。

「……ごめんなさい」

ミレイユが目を瞬く。

エリシアは視線を伏せた。

「王女としては、あなたの力が必要。でも、一人の人間としては、もう危険な目に遭わせたくないの」

静かな本音だった。

ミレイユは何も言えなかった。

エリシアは少しだけ笑う。

「ずるいわね……守りたいのに、頼ってしまう」

その言葉が、ミレイユにはとても苦しそうに聞こえた。

*

深夜。

ミレイユは夢を見た。

暗い、静かな海の底のような場所。

遥か遠くから、幾重にも重なる“声”が聞こえる。

その奥で、何かが呼んでいた。

そして今回は、“場所”があった。

寒い。

凍えるほどの白い世界。

氷と吹雪。

――次の瞬間。

熱。

乾いた風。

砂と灼熱。

遠く離れた複数の場所の感覚が、一度に重なる。

まるで装置群が、一斉に呼応しているかのように。

挿絵(By みてみん)

ミレイユの呼吸が乱れた。

そして、そのさらに遠く。

もっと深い場所に、“何か”がある。

そこだけが、異様に静かだった。

ぞわりと背筋が冷える。

『――――』

聞き取れない。

それでも、確実にこちらを見ている。

ミレイユは弾かれるように目を開いた。

荒い呼吸。

冷たい汗。

暗い部屋。

その時、部屋の隅から声がした。

「……ミレイユ?」

クロウレイだった。

ソファで本を読んでいたらしい。

ミレイユの顔色を見るなり表情が変わり、すぐ側へ来る。

「また見た?」

ミレイユは浅い呼吸のまま頷いた。

そして、震える声で呟く。

「……場所が、分かる気がします」

クロウレイの目から、完全に笑みが消えた。

「どこ」

ミレイユは目を閉じる。

寒さ。

熱。

声。

そして、遥か遠くにある、静かすぎる“何か”。

「……まだ、はっきりしません。でも――」

小さく息を吸う。

「全部、そこへ繋がっている気がするんです」

部屋が静まり返る。

クロウレイは、しばらく何も言わなかった。

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