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選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
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第2話:戻る場所

――シュタルク公爵邸。

朝から、屋敷は騒がしかった。

「毛布をもう一枚追加してくださいませ!」

「薬草茶はこちらへ!」

「酔い止めは予備も積みます!」

使用人達が慌ただしく廊下を行き交い、玄関ホールには既に大量の荷物が積み上がっている。

明らかに、一時帰還の量ではない。

ライナーが盛大に顔をしかめた。

「……王国行くだけだよな?」

「長期旅行じゃなくて?」

メイドの一人が真顔で答える。

「当然です。ミレイユ様は現在、非常にお疲れなのですから」

圧が強い。

ライナーが引く横で、エドガーは静かに荷物の量を確認していた。

「……馬車重量、少し超過していますね。二台へ分けますか?」

メイド達がざわつく。

「その方が振動も減らせますわ!」

「寝具も増やせます!」

「待て待て待て」

ライナーが慌てて止めに入る。

「何で王族移送みたいになってんだよ」

「当然でしょう」

即答だった。怖い。

その時、背後から死んだ声がした。

「追加護衛申請書類です」

ルドルフだった。目の下には酷い隈が浮かんでいる。

アロイスへ書類束を差し出しながら、疲れ切った声で告げた。

「閣下、これで七通目です」

アロイスは無言で受け取った。

まだ増やす気らしい。

ライナーが吹き出す。

「過保護が加速してる」

「うるさい」

低い声だった。かなり本気で不機嫌らしい。

そこへ玄関ホールへ、新たな足音が響いた。

「失礼いたします」

現れたのはアンネリーゼだった。

金髪を揺らして優雅に一礼し、その後ろにはヴァルターが続いている。

二人はホールを見回し、少しだけ沈黙した。

やがてアンネリーゼが静かに言う。

「閣下……戦地へ送るわけではありません」

「今の状態で長距離移動だぞ」

「だからこそ、休養です」

アンネリーゼも一歩も引かない。

「王国側の協力体制も整っていますし、ヴァルター様も同行されます」

ヴァルターがにこやかに微笑む。

その瞬間、アロイスの鋭い視線が突き刺さった。

アンネリーゼが小さく息を吐く。

「……分かりやすいですわね」

「何がだ」

「過保護です」

ライナーが吹き出した。

「言われてるぞ、公爵閣下」

「黙れ」

低い声。

だが、ミレイユはそのやり取りを見ながら、小さく目を瞬いた。

胸の奥が、少しだけ温かい。

こんな風に誰かに送り出されることなど、今まであまりなかった。

そこへマルガレーテが近づいてくる。

「ミレイユ様」

静かな声だった。

「くれぐれも、お身体を労ってくださいませ」

「眠れない時は、薬草茶を」

少し間を置いて、さらに付け加える。

「食欲がなくても、必ず何か口へ入れてください」

完全に母親だった。

ミレイユは少し困ったように笑う。

「……はい」

その返事を確認し、マルガレーテは満足そうに頷いた。

外では馬車の準備が整い始めている。いよいよ出発だった。

ミレイユが玄関へ向かうと、その後ろをアロイスが当然のようについていこうとする。

アンネリーゼが静かに口を開いた。

「閣下」

アロイスが止まる。

「お見送りはここまでです」

沈黙。

アロイスの機嫌がさらに悪化した。

ライナーが肩を震わせる。

「ほんと分かりやす――」

「黙れ」

二回目だった。

だが数秒後、アロイスは諦めたように息を吐き、ミレイユを見る。

鋭い黒い瞳には、今はどこか落ち着かない色が混ざっていた。

しばらく黙ったあと、アロイスは低く言う。

「……向こうでは、ちゃんと休め」

珍しく、念を押すような声だった。

ミレイユが小さく頷くと、アロイスは僅かに眉を寄せる。

「何かあれば、すぐ連絡しろ。一人で抱え込むな」

ライナーが吹き出した。

「過保護が隠しきれてねぇ」

「黙れ」

即答だった。

*

――帝国・皇宮。

静かな執務室で、窓際に立った第二皇子は古びた紙束へ視線を落としていた。

古代帝国時代の断章。

皇宮地下書庫から見つかった不完全な写本で、原本ではなく、過去に誰かが筆写したものらしい。

しかも、解読途中。

古代文字研究班――皇宮魔術師団の解析によって、ようやく断片的に読めるようになった程度のものだ。

その中の一文へ、第二皇子の視線が止まる。

『声は、やがて一へ還る』

意味は不明だが、妙に引っかかった。

北方。神聖国。複数の装置。

精神同調。そして、石板。

第二皇子は小さく笑った。

「……おとぎ話が、現実になってきたね」

幼い頃に読んだ伝承を思い出す。

古代帝国は、“人の心を一つにしようとした”――そんな与太話だ。

当時は笑い飛ばした。

だが、今は違う。

その痕跡は現実に存在し、しかもミレイユという“適合者”まで現れた。

第二皇子は椅子へ深く腰掛け、窓の外へ視線を向ける。

そこに広がるのは、帝都の平和な街並み。

だが、その地下では何かが動き始めているような気がした。

「……さて。どこまで繋がっているのかな」

静かな独白の直後、扉がノックされた。

「失礼いたします」

入ってきたのは、第二皇子直属の近衛だった。

まだ若い騎士だが動きに無駄はなく、第二皇子派の側近の一人でもある。

「ロシュ・モンフォール嬢は、先ほど公爵邸を出発されました」

「そう」

第二皇子が目を細める。

「見送りは?」

「アダルベルト侯爵令嬢、ヴァルター卿が同行。シュタルク公爵閣下は――」

騎士が少しだけ言葉を選ぶ。

「……かなり不機嫌そうだった、と」

第二皇子が吹き出した。

「想像つくなぁ」

実に楽しそうだった。

「でも、あれでちゃんと残るんだから偉いよね」

騎士は返答に困ったらしく、少しだけ沈黙した。

第二皇子は気にせず続ける。

「王国側へも連絡済み?」

「はい。“一時帰還および情報共有”として」

「よろしい」

第二皇子は満足そうに頷き、そして小さく笑う。

「……少し休ませないと、壊れそうだからね」

その声音だけは、少しだけ本気だった。

*

――数時間後。

帝国西方街道を、王国行きの大型馬車がゆっくりと進んでいた。

穏やかな風が草原を揺らし、空は高く、雲の流れも緩やかだ。

だが、馬車内の空気は静かだった。

向かい側にはヴァルター、隣にはアンネリーゼ。

窓際へ座るミレイユの膝には毛布が掛けられ、その顔色はまだ少し悪い。

本来なら、休養中の人間に長距離移動などさせるものではない。

それでも今回は王国側への報告に加え、神聖国情報の共有、王国側の協力に対する正式な礼など、外交的な意味合いも大きかった。

そして何より、“故郷へ戻ること”そのものが精神の安定へ繋がる可能性がある。

第一皇子はそう判断した。

馬車が大きく揺れた瞬間、ミレイユの身体が僅かに強張る。

アンネリーゼはすぐに気づいた。

「大丈夫ですか」

「……はい」

少し間があった。

ヴァルターが目を細める。

「その“大丈夫”は、閣下と同じ匂いがしますねぇ」

ミレイユが少し困った顔をした。

挿絵(By みてみん)

アンネリーゼが静かに言う。

「疲労時は、他者との境界認識がさらに曖昧になるのでは?」

「……そう、ですね」

ミレイユは小さく頷いた。

正直、かなり疲れている。

護衛騎士達の緊張や御者の集中が薄く混ざり、気を抜けばそのまま飲まれてしまいそうだった。

神聖国から戻って以降、“他人”が近い。

ミレイユはそっと窓の外を見る。

広い空と、どこまでも続く草原。

神聖国の、あの重苦しい“声”はない。

それだけで、少し息がしやすかった。

その時、馬車が小さく跳ね、ミレイユの肩が揺れる。

アンネリーゼが即座に身体を支えた。

「……っ」

「やはり、まだお疲れです」

「そこまでひどくは……」

「顔色が悪いです」

即答だった。

ヴァルターまで頷く。

「かなり」

逃げ道がない。

ミレイユは小さく視線を逸らした。

そこへ、馬車の外から騎士の声が響く。

「前方、休憩所です!」

「ちょうどいいですね」

ヴァルターが頷き、ほどなく馬車が停止した。

護衛騎士達が周囲の確認へ散っていく。

街道脇にある小さな休憩所には木陰と井戸、簡素なベンチがあるだけだった。

ミレイユは外へ出た瞬間、小さく息を吐く。

空気が広い。

やはり閉鎖空間より楽だった。

アンネリーゼが少し離れた場所で護衛と話している間、ヴァルターはそんなミレイユを静かに見ていた。

「……閣下、かなり心配していましたねぇ」

ミレイユが少し俯く。

アロイス。

別れ際の黒い瞳を思い出す。

『……向こうでは、ちゃんと休め』

あの声。

ミレイユは小さく息を吐いた。

不思議だった。

王国へ戻る。懐かしい場所へ行く。

それなのに今、一番安心できる声として浮かぶのが、帝国の人間だなんて。

ヴァルターは少し笑う。

「閣下、馬車が見えなくなるまで門のところに立っていましたよ」

ミレイユが目を瞬かせた。

「……え?」

「気づいていませんでした?」

楽しそうだった。

「かなり分かりやすく落ち込んでおられました」

ミレイユの顔が少し赤くなる。

ヴァルターは肩をすくめた。

「いやぁ、珍しいものを見ました」

その時、アンネリーゼが戻ってくる。

「ヴァルター様」

静かな声だった。

「からかいすぎです」

「おや、失礼」

全然反省していない。

アンネリーゼは小さく息を吐き、ミレイユを見る。

「ですが、閣下が心配されるのも無理はありません」

少しだけ声が柔らかくなる。

ミレイユは何も答えなかった。

答えられなかった。

代わりに胸の奥が少しだけ温かくなり、それが少し恥ずかしい。

やがて再び馬車が動き出した。

王国領までは、もう半日ほど。

遠くには山脈が見え始めている。

ミレイユはその景色を見つめた。

懐かしい。

でも、少し怖い。

王国へ戻ればまた、自分は“精神干渉能力者”として見られる。

神聖国のように、“神の使い”ではない。

その感覚を思い出しかけた瞬間、ふとアロイスの声が脳裏を過ぎった。

『何かあれば、すぐ連絡しろ。一人で抱え込むな』

ミレイユは小さく目を閉じた。

その言葉だけで、少しだけ境界が戻る気がした。

アンネリーゼはそんなミレイユを、何も言わず静かに見ていた。

少しずつ変わっていく二人の距離を、見守るように。

*

――その頃、王国。

王城の一室で、アルベルトが低く呟いた。

「……まだ到着しないのか」

かなり不機嫌そうだ。

「イライラしても早まるわけじゃないし、のんびり待とうよ」

シルヴァンがソファへ寝転がったまま笑う。

「気持ちはよく分かるけどね」

「うるさい」

アルベルトが顔をしかめる。

リディアは窓の外を見ながら、小さく呟いた。

「……久しぶりだな。無理していないといいが」

「お姫様のことだからね~」

シルヴァンが肩をすくめる。

「遠隔映像装置で見ても思ったけど、どうせ無茶してるでしょ」

アルベルトが小さく舌打ちした。

否定できない。

部屋が少し静かになる。

北方に、神聖国。

危険な場所ばかりだった。

だからこそ――“帰ってくる”。

今は、それだけで十分だった。

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