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選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
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第25話:神の代弁者

同じ頃。

ライナーは酒場を出て、夜の巡礼路を歩いていた。

夕暮れの鐘が街へ響き渡り、大神殿へ続く白い石畳には、無数の巡礼者たちが静かに列を作っている。

誰も騒がない。

誰も急がない。

穏やかな笑みを浮かべたまま、祈りの言葉を口にして歩いていた。

「今夜は"御声"が降るそうだ」

「ありがたい……」

「また救われる」

小さな声が、あちこちから聞こえてくる。

その歩調まで、不気味なほど揃っていた。

ライナーは眉をひそめる。

(……北の時より気色悪ぃな)

北方の兵士たちは壊れていた。

だから異常だと分かった。

だが、この街の人々は違う。

笑っている。

幸せそうに。

だからこそ、不気味だった。

その時、母親に手を引かれた幼い子どもが目の前を通り過ぎる。

「よかったわね」

母親は優しく笑った。

「今夜も神様が苦しくないようにしてくださるわ」

「うん!」

その笑顔を見た瞬間、ライナーの足が止まった。

笑えなかった。

これは、普通ではない。

戦場で死の気配を嗅ぎ分けるように、理屈ではなく本能が告げていた。

理屈ではない。

この街は危険だ。

*

その頃、聖都の地下。

エドガーは封鎖区画の前で足を止めていた。

重厚な石扉。

刻まれた巨大な聖印。

壁一面へ広がる古代帝国式の刻印は、地下全体へ張り巡らされている。

「……都市そのものですか」

小さく呟く。

北方とは比較にならない。

聖都そのものが、一つの巨大な術式となっていた。

その時だった。

頭上から、微かな祈りの声が降ってくる。

『救済を』

『御声を』

『導きを』

石造りの天井を伝い、地下へ染み込む祈り。

呼吸も。

抑揚も。

祈りを区切る間さえ、一分の狂いもない。

まるで、無数の人間が一つの意思で祈っているようだった。

エドガーの笑みが、初めて完全に消える。

(……これはまずい)

北方とは比較にならない。

もしこの都市全体が装置の一部なら。

影響を受ける人数も、規模も桁違いだ。

*

神の間は、思っていたよりも簡素だった。

白い壁。

天井へ伸びる細い柱。

祭壇すらない。

その中央に、一人の老人が立っている。

白い法衣。

深く刻まれた皺。

そして、穏やかな微笑み。

神聖国法王。

挿絵(By みてみん)

「よく、お越しくださいました」

法王はミレイユへ静かに頭を下げ、穏やかな眼差しのまま静かに語る。

「神は、器なき者へ御声を届けることはありません」

その声には不思議な重みがあった。

説教ではない。

長い年月、信仰とともに生きてきた者だけが持つ静かな響き。

「苦しむ民の願い」

「救いを求める祈り」

「争いのない世界を願う心」

一つ一つの言葉を噛みしめるように続ける。

「神は、それらを決して見捨てはなさいません」

神官たちは静かに目を閉じた。

誰もが幸福そうだった。

ミレイユは胸の奥が揺れるのを感じる。

否定されない。

恐れられない。

精神干渉という力を持つ自分を、初めて受け入れてくれる場所。

そんな錯覚さえ覚えてしまう。

法王は続けた。

「この国では争いが減りました」

「暴動も」

「略奪も」

「多くの親が子を失う悲しみも」

その横顔には、長い年月、救えなかった人々を見続けてきた老人の影があった。

だからこそ、この救済を信じている。

その想いだけは本物だった。

けれど。

その瞬間だった。

神官たちが、一斉に微笑む。

ぴたり、と。

全員が。

まったく同じ表情で。

ミレイユの背筋に悪寒が走る。

違う。

これは救済じゃない。

心が揃いすぎている。

人としての揺らぎが、どこにもない。

静寂を破ったのは、アロイスだった。

「……代償は」

低い声が神の間へ響く。

法王は静かに視線を向ける。

「代償、ですか」

「意思を揃えれば争いは減る」

アロイスは法王を真っ直ぐ見据えた。

「だが、意思を失えば、それは人ではない」

神官たちの空気がわずかに揺れる。

法王だけは静かだった。

怒りも見せない。

ただ悲しそうに微笑む。

「苦しみ続けることが、正しいとお考えですか」

責める声ではない。

本気で救済を信じている者の問いだった。

だからこそ恐ろしい。

法王は再びミレイユを見る。

「貴女なら、もっと深く御声を受け取ることができるでしょう」

その一歩を踏み出そうとした瞬間――

「ここで十分だ」

低い声が遮る。

アロイスだった。

法王は足を止める。

二人の間には数歩の距離。

それ以上は近づかせない。

アロイスの意思は、それだけで十分伝わった。

法王は小さく笑う。

「……強く守られておりますな」

アロイスは答えない。

その沈黙こそが答えだった。

法王は静かにミレイユへ視線を戻す。

「ですが」

穏やかな声が響く。

「御声は、すでに貴女へ届き始めています」

その瞬間だった。

――ざわり。

ミレイユの視界が揺れる。

『救済を』

『赦しを』

『導きを』

膨大な祈りが、一気に頭の奥へ流れ込んだ。

「……っ」

呼吸が乱れる。

「ミレイユ」

アロイスの低い声が響く。

その声だけが、揺らぐ意識を現実へ引き戻した。

一方で法王は静かに目を細めている。

まるで長い年月待ち続けた"神託"が、今まさに始まろうとしているのを見届けるように。

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