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選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
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第4話:無自覚

昼下がり。

廊下の窓から差し込む陽射しはやわらかく、公爵邸の中は静かな時間が流れていた。

石造りの廊下に響くのは、一人分の足音だけ。

ミレイユは背筋を伸ばし、乱れのない足取りで歩いていた。

歩幅は一定。

視線もまっすぐ。

いつもと変わらぬ姿だった。

それでも、どこか遠い。

感情だけを少し置き去りにしたような、そんな静けさをまとっていた。

執務室の前で立ち止まり、扉を軽く叩く。

「失礼いたします」

返事を待って部屋へ入り、手にしていた書類を机へ置いた。

「……以上で報告を終わります」

簡潔に告げ、一礼する。

視線は合わせない。

必要なことだけを伝え、静かに下がろうとする。

「ああ」

アロイスは短く頷いた。

それ以上の言葉はない。

いや、正確には。

言葉を交わせるだけの間は、確かにそこにあった。

けれど、ミレイユは何も言わない。

踵を返し、そのまま部屋を出ていく。

扉が静かに閉まる。

アロイスはしばらく、その扉を見つめていた。

(……距離を取られている)

結論は、すぐに出た。

ここ数日、必要以上に近づこうとしない。

会話も事務的で、視線もほとんど合わない。

理由が分からない。

(何かしたか)

記憶を順にたどる。

任務。

日々の会話。

護衛。

どれにも思い当たる節はない。

――いや。

一つだけあった。

脳裏に浮かぶのは、数日前の出来事。

執務に追われ、ノックもせず私室の扉を開けてしまった。

振り返ったミレイユと、目が合った。

白い肌。

夕日を背にした、無防備な姿。

止まった時間。

(…………)

思考が止まる。

数秒遅れて、ようやく息を吐いた。

(怒っている、のか)

そう考えるのが自然だった。

無断で部屋へ入ったのは自分だ。

非はこちらにある。

だが。

(それにしては……)

怒りというより、避けられているように感じる。

その違いだけが、どうしても引っ掛かった。

アロイスは小さく眉を寄せる。

"鉄血公爵"と呼ばれる男には、あまりにも珍しい表情だった。

*

ミレイユは中庭へ出ていた。

噴水の水音が静かに響き、やわらかな風が木々の葉を揺らしていく。

遠くでは庭師と使用人たちが何かを話している声が微かに聞こえた。

穏やかな昼下がり。

それなのに、胸の奥だけが落ち着かなかった。

(……落ち着きなさい)

自分へ言い聞かせるように、小さく息を吐く。

理由は分かっている。

アンネリーゼとの、あの会話だった。

美しく優雅に微笑むアンネリーゼの姿が脳裏に浮かぶ。

帝国において『完璧な淑女』と称えられる侯爵令嬢。

立ち居振る舞いも、言葉遣いも、美しさも。

自分とは比べものにならない。

挿絵(By みてみん)

(当然のことです)

アロイスはシュタルク公爵。

帝国を支える重臣であり、多くの貴族が縁を望む人物だ。

侯爵令嬢との縁談が持ち上がることも、何一つ不思議ではない。

むしろ、それが自然な流れなのだ。

そう理解している。

理解している、はずなのに。

胸の奥に残る小さな棘だけは、どうしても消えてくれなかった。

そのままアロイスと顔を合わせると、不意に思い出してしまう。

夕暮れの私室。

勢いよく開いた扉。

驚いて振り返る。

視線が重なる。

止まってしまった時間。

(……っ)

心臓が小さく跳ねる。

あの時のことを思い出すだけで、頬が熱くなる。

(違う)

ミレイユは首を横へ振った。

違う。

これは違う。

自分は王国から派遣された共同研究員であり、アロイスの庇護下に置かれている身だ。

公爵家が責任を持って預かっている。

それだけ。

それ以上でも、それ以下でもない。

そう考えればいい。

そう考えるべきなのだ。

それなのに。

今日もまた、顔を見れば鼓動が少しだけ速くなる。

どうしてなのか、自分でも分からなかった。

*

執務室へ戻ると、側机ではエドガーが書類へ目を通していた。

部屋へ入ってきた主の気配に顔を上げ、その表情を見て小さく首を傾げる。

「どうしました」

短い問いだった。

アロイスは迷わず答える。

「……ミレイユの様子がおかしい」

あまりにも率直な一言に、エドガーは一瞬だけ沈黙した。

静かにペンを置く。

「具体的には」

「距離を取られている」

「会話も必要最低限だ」

事実だけを並べる。

エドガーは小さく頷いた。

「ええ、そのようですね」

以前から気付いていた、と言わんばかりの返事だった。

「原因に心当たりはございますか」

アロイスはわずかに視線を落とす。

数秒だけ考え、それから観念したように口を開いた。

「……恐らく、一つ」

「と、言いますと?」

「ノックもせず、部屋へ入ってしまった件だ」

エドガーの手が止まる。

そのまま何も言わず、ゆっくりと主を見つめた。

数秒。

沈黙だけが流れる。

その静けさだけで、十分すぎる答えになっていた。

「……違うのか」

アロイスが眉を寄せる。

本気で分からない。

その様子を見て、エドガーは小さく息を吐いた。

「なるほど」

どこか納得したように呟く。

「無自覚、ですか」

アロイスは首を傾げる。

意味が分からない。

エドガーは再びペンを手に取った。

「無自覚というのは、時として一番罪深いものです」

淡々とした声だった。

けれど、言葉だけは容赦なく突き刺さる。

アロイスは黙り込んだ。

意味は理解できる。

だが、自分が何に対して無自覚なのかは分からない。

「……どういう意味だ」

低く問う。

エドガーは肩をすくめ、小さく笑った。

「そのままの意味ですよ」

それ以上は説明しない。

説明したところで、この主は自分で気付かなければ納得しない。

それを、誰よりよく知っていた。

*

その時だった。

コン、コン。

規則正しいノックが執務室に響く。

「失礼いたします」

扉が開き、ルドルフが静かに入室した。

無駄のない足取りで机の前まで進み、一通の封書を差し出す。

「皇宮より、お届け物でございます」

アロイスは封書へ視線を落とした。

深紅の封蝋。

皇帝家の紋章。

正式な招待状だった。

「夜会か」

「左様でございます」

封を切り、書状へ目を通す。

読み進めるにつれ、アロイスの目がわずかに細められた。

部屋の空気が、静かに変わる。

エドガーも主の表情を見て、内容を察した。

「……なるほど」

小さく呟く。

「同伴推奨、ですか」

アロイスは書状を机へ置いた。

「そう書いてはある」

短く答える。

だが。

それは建前に過ぎない。

同伴推奨。

柔らかな言葉で包まれているが、その意味は明白だった。

――ミレイユを連れて来い。

そう命じているに等しい。

「詰めにきたか」

アロイスは静かに呟く。

第二皇子派らしい手だ。

先日はアンネリーゼとの縁談を持ち込み、今度は夜会へミレイユを同伴させる。

どちらも偶然とは思えない。

「逃がす気はないようですね」

エドガーが静かに言う。

「当然でしょう」

ルドルフも頷いた。

「シュタルク公爵家は、中立を保ちながらも帝国内で大きな影響力を持っています」

第一皇子派も。

第二皇子派も。

どちらも、その立場を欲している。

取り込めるなら取り込みたい。

それが叶わぬなら、少しでも相手より先に手を打ちたい。

その思惑が、透けて見えるようだった。

執務室に沈黙が落ちる。

アロイスはもう一度、書状へ目を落とした。

夜会。

アンネリーゼ。

そして。

先ほど、どこかよそよそしく部屋を後にしたミレイユ。

(……何かが噛み合っていない。)

胸の奥に残る違和感は、まだ言葉にならない。

だが、その小さな綻びは、少しずつ広がり始めていた。

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