第6話:騎士とお姫様
数日後。
ミレイユの隣に立っていたのは、いつものアルベルトではなかった。
「……アルベルト卿は?」
静かに問いかける。
代わりについた騎士は、わずかに口元を歪めた。
「本日は演習場におります」
形式ばった口調だった。
だが、その奥には小さな棘がある。
「訓練もせず護衛ばかりでは、なまりますから」
「……そうですか」
ミレイユは小さく頷いた。
それ以上は聞かない。
だが、相手は続ける。
「アルベルト卿不在の間、“魔術師様”の護衛は我々が担当いたします」
その言い方に、わずかな違和感があった。
敬意のようでいて、そうではない。
ミレイユは静かに頭を下げる。
「よろしくお願いいたします」
騎士は一瞬だけ言葉に詰まった。
予想していた反応ではなかったのだろう。
*
廊下を歩いていると。
「お、ミレイユ嬢〜」
聞き慣れた軽い声が飛んできた。
振り返ると、シルヴァンが廊下の向こうでひらひらと手を振っている。
「ちょっとこっちおいでよ」
口元には、いかにも面白いことを思いついたときの笑み。
「面白いもの見られるから」
案内されるまま進む。
やがて視界が開けた。
演習場だった。
広い石畳。
ぶつかり合う木剣。
金属音。
掛け声。
汗の匂い。
魔術師棟とはまるで違う熱気が満ちている。
「すごい……」
思わず声が漏れた。
「だろう?」
シルヴァンが笑う。
「こっちは毎日こんな感じ」
ミレイユは周囲を見渡す。
感情の揺れが大きい。
競争心。
悔しさ。
焦り。
向上心。
魔術師たちの静かな空気とは対照的だった。
その中で。
「……あ」
視線が止まる。
アルベルトだった。
誰よりも激しく剣を振るっている。
動きに迷いがない。
踏み込みは鋭く、一撃一撃に全力が込められている。
「……真剣ですね」
思わず呟く。
シルヴァンもアルベルトへ目を向けた。
「努力家なんだよ」
珍しく茶化さない。
「ああ見えて」
「そうなのですか」
「うん」
シルヴァンは頷く。
「家柄は平凡。後ろ盾もない」
「だから腕一本でここまで来た」
その声には、少しだけ感心が混じっていた。
「騎士団じゃ有名だよ」
ミレイユは黙ってアルベルトを見る。
無駄のない動き。
鍛え上げられた身体。
そのすべてに積み重ねた時間が見える気がした。
そのときだった。
近くにいた騎士たちが、こちらに気づく。
「おい」
一人が笑った。
「見ろよ」
視線がミレイユへ向く。
「魔術師様がおいでだぞ」
周囲で失笑が起きる。
別の騎士が肩をすくめた。
「家督も継げねえ下級貴族の三男坊様には、お似合いだな」
ほんの一瞬、アルベルトの動きが止まった。
だが、空気が変わる。
「……おい」
低い声。
「貴様」
相手へ向き直る。
「無駄口叩いてる暇があるなら、相手しろ」
アルベルトは木剣を持つ手に力を込める。
対する相手も口を閉ざした。
もう言葉はいらない。
互いの視線がぶつかる。
そして、アルベルトが先に踏み込んだ。
木剣が激しく打ち合わされる。
弾く。
打ち込む。
互いに一歩も引かない。
周囲から歓声が上がる。
その様子を眺めながら、シルヴァンがくすりと笑った。
「青いねぇ」
腕を組む。
「そういうの、嫌いじゃないけど」
ミレイユは視線を外さない。
「青い、ですか」
「うん」
シルヴァンは楽しそうに頷いた。
「悔しいんだよ」
「悔しい?」
「騎士団って、案外面倒だからね」
軽い口調。
だが、視線は真面目だった。
「あいつがどれだけ努力してここまで来たか知ってる連中もいれば、気に入らない連中もいる」
剣がぶつかる。
大きな音が響く。
「努力家ほど、自分の努力を馬鹿にされるの嫌うから」
そのとき。
「お姫様にいいとこ見せろよ!」
誰かが叫んだ。
笑いが起きる。
アルベルトの剣筋がわずかに乱れた。
ほんの一瞬。
だが、確かに。
シルヴァンは肩をすくめる。
「ほらね」
「……?」
「図星」
ミレイユにはよく分からなかった。
だが、アルベルトの顔がさらに険しくなったのは分かった。
激しい打ち合いの末。
勝負はアルベルトの勝ちで終わった。
だが、完勝ではない。
肩には浅い傷がある。
呼吸も荒い。
近くの騎士がわざとらしくため息をついた。
「アルベルト卿も気の毒だな」
肩をすくめる。
「人一倍努力して、ようやく騎士になったというのに」
視線がミレイユへ向く。
「よりによって魔術師の護衛とは」
再び笑いが起きる。
ミレイユは何も言わなかった。
ただ演習場を見つめていた。
最後まで剣を振り続けた男の方を。
*
しばらくして。
廊下を歩いていると。
「おい!」
荒い声が響いた。
振り返るまでもない、アルベルトだった。
まだ訓練着のまま、汗も乾いていない。
「お前!」
息を切らしながら近づいてくる。
「……アルベルト卿」
ミレイユは落ち着いていた。
「お怪我は大丈夫ですか?」
「そんなことはどうでもいい!」
即答だった。
そして指を突きつける。
「お前、二度と演習場に近づくな!」
ミレイユは首を傾げた。
「……なぜですか?」
本気で分からない。
「強くて、頼もしく思いましたよ」
アルベルトの動きが止まる。
「……は?」
思考が追いついていない顔だった。
「んな……っ」
顔が一気に赤くなる。
耳まで真っ赤だ。
「と、とにかく来るな!」
視線を逸らしながら怒鳴る。
「お前がいると知られると面倒なんだよ!」
「それは失礼しました」
ミレイユは素直に頭を下げた。
そして少し考える。
「では次回は見られないよう、気配を消して陰から拝見しますね」
真顔だった。
一切の悪意がない。
「そうじゃない!」
即座にツッコミが飛ぶ。
アルベルトは頭を抱えた。
「なんなんだお前は……!」
ミレイユは首を傾げる。
本気で分かっていない。
だから余計に質が悪い。
少し離れた場所で、シルヴァンが壁にもたれながらそのやり取りを眺めていた。
ミレイユは本気で理解していない。
アルベルトは本気で困っている。
それなのに、不思議と会話は成立していた。
「いいねぇ」
口元が緩む。
「全然かみ合ってないのに、ちゃんと会話になってる」
まるで別々の言語で話しているようだ。
それでも成立してしまう。
シルヴァンは小さく笑った。
「これは長く楽しめそうだ」
王宮の昼は、今日も平和だった。
*
廊下を歩きながら、シルヴァンが楽しそうに笑う。
「いやぁ、面白かった」
「そうでしょうか」
ミレイユは首を傾げる。
「うん」
即答だった。
「アルベルト、あんなに分かりやすいの久しぶりに見た」
「……?」
意味が分からない。
シルヴァンは肩をすくめた。
「ちなみに、あいつ女の子に慣れてないから」
「そうなのですか」
「そうなの」
軽い返事。
「騎士団って男所帯だしね。しかもあいつ、訓練ばっかりしてたし」
ミレイユは少し考え込む。
「では」
真面目な顔で言う。
「女性との接し方が分からないのでしょうか」
「うん」
「大変ですね」
即答だった。
シルヴァンは吹き出した。
「君も大概だなぁ」
何が面白いのか分からない。
ミレイユは小さく首を傾げる。
「ですが」
少しだけ考えて続ける。
「不器用な方ではありますが、誠実な方だと思います」
シルヴァンは一瞬だけ目を瞬かせた。
それから、ふっと笑う。
「その感想、本人に言ってあげれば?」
「もう伝えました」
「そうなんだ」
「強くて頼もしいと」
沈黙。
そして、シルヴァンは盛大に吹き出した。
「それは駄目だ」
「何がでしょう」
「いや、うん」
肩を震わせる。
「本人のために、しばらく黙っておこうか」
ミレイユには最後まで意味が分からなかった。
*
その日の夕方。
演習場脇の詰所では、訓練を終えた騎士たちが引き上げていく。
アルベルトは一人、壁際の長椅子に腰を下ろしていた。
肩の浅い傷に薬を塗る。
大した怪我ではない。
だが、苛立ちは消えなかった。
「……くそ」
思わず舌打ちが漏れる。
騎士たちの言葉を思い出す。
魔術師。
護衛。
お姫様。
面倒な単語ばかりだ。
傷口を乱暴に押さえたところで、不意に別の言葉が浮かぶ。
――強くて、頼もしく思いましたよ。
アルベルトの眉間に皺が寄る。
「……だからなんだ」
誰に聞かせるでもなく呟く。
あの少女は、本気で言っていた。
皮肉でも嫌味でもない。
だからこそ調子が狂う。
普通なら馬鹿にする、あるいは怖がる。
そうでなければ距離を取る。
それが当たり前だ。
なのに。
「……魔術師の分際で」
吐き捨てるように呟く。
そして、そのまま黙り込む。
しばらくしてから、もう一度小さく舌打ちした。
「……意味分かんねぇ」
答えは出ない。
だから余計に腹が立つ。
アルベルトは乱暴に立ち上がった。
空になった薬瓶を机に置く。
窓の外では、夕暮れの光が訓練場を赤く染めていた。
今日も一日が終わる。
騎士見習いだった頃なら、この時間も木剣を振っていた。
誰よりも遅くまで残って。
誰よりも早く起きて。
そうしなければ追いつけなかった。
家柄も。
才能も。
持っている奴は他にいた。
三男坊の自分には、何もなかった。
家を継げない。
領地もない。
商才もない。
だから剣を取った。
生きていくために。
食っていくために。
それだけだった。
少なくとも、最初は。
拳を握る。
爪が掌に食い込む。
努力だけは裏切らない。
そう信じてここまで来た。
だからこそ、魔術師という存在が好きになれない。
生まれ持った素質。
選ばれた才能。
努力だけでは届かないものを、当たり前のように持っている。
「……くだらねぇ」
吐き捨てる。
本当にそう思っているのか、自分でも分からない。
騎士に叙任されたときは、誇らしかった。
三男坊のお前には無理だ。
何度言われたか分からない。
それでも剣を振り続けた。
ようやく手にした騎士の称号だった。
だからこそ、今も剣を振る。
誰よりも強くなるために。
誰にも文句を言わせないために。
気づけば、自分は新入り魔術師の護衛をしている。
しかも相手は、自分より年下の少女だ。
「……なんなんだよ」
再び思い出す。
――強くて、頼もしく思いましたよ。
あの真っ直ぐな目。
お世辞を言う顔ではなかった。
だから余計に調子が狂う。
「……魔術師の分際で」
小さく吐き捨てる。
だが、その言葉には先ほどまでの勢いがなかった。
アルベルトは舌打ちすると、腰の剣を手に取った。
考えても仕方ない。
自分にできることは一つしかない。
「……明日も訓練だ」
誰に言うでもなく呟き、部屋を後にした。




