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選択の魔女  作者: めいあん
第一章:王宮魔術師編
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第5話:選別の夜

エリシアは、その場に座ったまま小さく息を吐く。

張りつめていた糸が、ほんの少しだけ緩む。

「……不思議な人ね」

呟くような声だった。

レオニードが、それに応える。

「そうですか」

「ええ」

エリシアは視線を落とした。

先ほどの少女を思い出す。

怯えていないわけではなかった。

緊張もしていた。

けれど、それでも。

あの視線は真っ直ぐだった。

「私を見て、疲れているかと尋ねた人は初めてだったわ」

レオニードは答えない。

ただ黙って聞いている。

「王女として接する人はたくさんいるの」

エリシアは窓の外へ目を向けた。

王宮の庭園が見える。

美しく整えられた景色。

だが、それは王女として見る景色でもあった。

「でも、あの人は違った」

少しだけ笑う。

「王女だからではなくて、ただ無理をしている人として見ていた気がするの」

レオニードは腕を組んだ。

「だからこそ危うい」

短い返答。

「王宮では珍しい人材だ」

「珍しい、だけ?」

エリシアが首を傾げる。

レオニードは少しだけ考える。

そして答えた。

「クロウレイの弟子ですから」

エリシアは思わず吹き出した。

「それは確かに」

その言葉だけで妙に納得できてしまう。

王宮で最も規格外だった男。

その弟子なら、少しくらい変わっていても不思議ではない。

「リディアはどう思う?」

問いかける。

部屋の隅で気配もなく控えていた侍女が、静かに顔を上げた。

「現時点では判断できません」

即答だった。

「ですが、危険な人物には見えません」

エリシアは頷く。

「そう」

「ただし」

リディアが続ける。

「普通でもありません」

エリシアは苦笑した。

それはもう分かっている。

*

王女の私室を出たあと。

扉が静かに閉まり、廊下に沈黙が落ちる。

その静寂を破ったのはシルヴァンだった。

「いやー……」

大げさに肩を回しながら息を吐く。

「騎士団が妥協に妥協を重ねて選んだ結果が、これとはね」

空気が一瞬で硬くなった。

「……これとか言うな」

低い声が返る。

アルベルトだった。

その視線は剣のように鋭い。

「くそったれが」

ミレイユはわずかに目を瞬かせる。

(……レオニード様も私のことを『これ』と仰っていましたね)

初めて会ったときのことを思い出す。

(魔術師というのはこういうものなのでしょうか)

考えてみる。

あまり良くない文化のような気もした。

アルベルトの視線が、そのままミレイユへ向く。

頭の先から足元まで。

遠慮のない観察だった。

「……ようやく騎士になって」

吐き捨てるように言う。

「最初の任務が、新入り魔術師のお守りとはな」

不満を隠そうともしない。

ミレイユは静かに問い返した。

「……魔術師がお嫌いなのですか?」

アルベルトの眉がわずかに動く。

だが答えるより早く、横から声が割り込んだ。

「犬猿の仲だからね」

シルヴァンが楽しそうに笑う。

「魔術師と騎士は」

ミレイユは首を傾げた。

「……なぜですか」

その問いに、アルベルトが鼻で笑う。

「俺たち騎士が前線で体を張ってるときに、高みの見物してる腑抜けどもと一緒にされて、誰が納得する」

言葉は荒い。

だが、その声に嘘はなかった。

長年積み重なった不満なのだろう。

シルヴァンは肩をすくめる。

「要するに」

軽い口調で続ける。

「知性派と脳筋は相容れないってことかな」

アルベルトの目が細くなった。

「……なんだと?」

「ほらね」

シルヴァンは平然としている。

「そういうところ」

今度は本気で殴られそうな空気だった。

ミレイユは二人を見比べ、小さく息を整えた。

「……そうですか」

否定もしない。

擁護もしない。

ただ受け止める。

そして静かに言った。

「それでも私は、王女殿下のためにここにいます」

二人の視線が向く。

ミレイユは続けた。

「『仲良くしろとは言わないけれど、協力してくれたら嬉しい』」

エリシアの言葉をそのまま口にする。

「殿下が、そう仰いました」

空気がわずかに変わった。

アルベルトが眉をひそめる。

(……なんだ、こいつは)

そう言いたげな顔だった。

シルヴァンは面白そうに口元を緩める。

「まぁまぁ」

ひらひらと手を振る。

「ミレイユ嬢に護衛をつけるのは入宮の条件だ」

視線をアルベルトへ向ける。

「諦めなよ」

それから少しだけ真面目な顔になった。

「王女殿下の守りは、多いに越したことはない」

アルベルトは舌打ちをひとつ鳴らす。

そして改めてミレイユを見た。

「……くれぐれも」

低い声だった。

「王女殿下に危害は加えさせるな」

その眼差しは真っ直ぐだった。

「命を懸けても護れ」

それは命令というより誓いだった。

騎士としての。

ミレイユは静かに頷く。

「はい」

迷いはない。

その横でシルヴァンが肩をすくめた。

「その魔術師を護衛するのが君なんだけどね」

軽い口調だった。

だが、意味は重い。

アルベルトは返事をしない。

ただ、ますます不機嫌そうな顔になっただけだった。

(……睨みっぱなしですね)

ミレイユは内心で小さく呟いた。

アルベルトが去っていったあと。

シルヴァンは軽く手を叩いた。

「さて」

ミレイユが顔を上げる。

「せっかくだし、王宮を案内しておこうか」

「案内、ですか」

「うん、迷子になられても困るし」

軽い調子で歩き出す。

ミレイユも後を追った。

王宮の廊下は広い。

磨き上げられた床に窓からの光が落ちている。

行き交う者たちは皆忙しそうだった。

「ここが魔術師棟」

シルヴァンが指差す。

石造りの大きな建物だった。

「王宮魔術師の大半はここにいる」

「多いのですね」

「多いよ」

シルヴァンは頷く。

「君が思ってる三倍くらい面倒くさい人たちが住んでる」

「そうなのですか」

「そうなのです」

即答だった。

ミレイユは少し考える。

「では、シルヴァン様も面倒な方なのですね」

「失礼だなぁ」

否定しない。

むしろ笑っている。

しばらく歩く。

次に案内されたのは図書室だった。

扉を開けた瞬間、本棚が視界いっぱいに広がる。

高い天井。

壁を埋め尽くす蔵書。

ミレイユは思わず足を止めた。

「……すごい」

珍しく素直な感想だった。

シルヴァンが笑う。

「だろう?」

「全部読むのですか」

「いや、無理」

即答だった。

「人生が足りない」

ミレイユは本棚を見上げる。

少しだけ目が輝いている。

それを見て、シルヴァンは内心で笑った。

(案外、年相応なんだな)

王女の前では落ち着いていた。

アルベルトに睨まれても動じなかった。

けれど、本を前にすると少し表情が変わる。

その発見は悪くなかった。

さらに歩く。

中庭。

訓練場。

食堂。

一通り案内が終わる頃には、太陽も傾き始めていた。

「こんなところかな」

シルヴァンが立ち止まる。

「ありがとうございます」

ミレイユは素直に頭を下げた。

「礼儀正しいね」

「そうでしょうか」

「うん」

シルヴァンは笑う。

「王宮では割と珍しい」

ミレイユは少しだけ首を傾げた。

その仕草が妙に真面目で、シルヴァンはまた笑う。

「まあ、そのうち慣れるよ」

「慣れるものでしょうか」

「慣れないと困る」

軽い調子で答える。

そして手を振った。

「じゃ、今日は解散」

ミレイユも一礼する。

別れたあと、シルヴァンは振り返り、遠ざかる背中を見た。

(なるほどね)

レオニードが連れてきた理由は分かる。

危うい。

けれど、不思議と目が離せない。

そんな少女だった。

*

夜。

王宮は昼とはまるで違う顔を見せていた。

人の気配は減り、話し声も遠ざかる。

だが、完全に静かになることはない。

どこかで足音が響く。

遠くで扉が開閉する。

見えない場所で、誰かが動いている。

巨大な建物が眠りながら呼吸を続けているようだった。

ミレイユは部屋の外へ出ていた。

理由は特にない。

ただ、少し歩きたかった。

この場所の空気を確かめたかった。

廊下を進く。

壁に掛けられた灯りが一定の間隔で揺れている。

橙色の光が床を照らし、長い影を落としていた。

足音はほとんど響かない。

そのときだった。

「こんな時間に、一人で何をしている」

背後から声が落ちた。

静かだが、よく通る声。

ミレイユは振り返る。

そこにいたのはリディアだった。

昼間の侍女姿ではない。

全身を黒で統一した装束。

余計な飾りは一切ない。

その立ち姿だけで分かる。

戦うための人間だ。

しかも相当に強い。

逃げ道も。

間合いも。

周囲の死角も。

すべてを押さえた位置に立っていた。

挿絵(By みてみん)

「……少し、落ち着かなくて」

ミレイユは正直に答える。

リディアの目がわずかに細められた。

「そうだろうな」

否定しない。

理解している声だった。

ゆっくりと歩み寄る。

不思議なことに足音はほとんど聞こえない。

気づけば距離が縮まっている。

「……お前は」

声音が少しだけ変わる。

「どこまで見通している」

問いだった。

だが同時に試しでもある。

ミレイユは目を伏せた。

答えはすぐに出た。

「……必要な分だけです」

リディアの視線が鋭くなる。

「必要な分、とは」

「見なくてもいいものは見ません」

迷いのない返答だった。

誰かから教えられた答えではない。

自分で決めた線引き。

リディアは黙る。

数秒、言葉の奥まで測るように。

「……では」

さらに一歩近づく。

「私のことは?」

圧が増した。

試されている。

ミレイユは顔を上げる。

視線が交わり、その奥にあるものが伝わってくる。

鋭さ。

冷静さ。

そして揺るがない意志。

「……見ようと思えば、見えます」

リディアの呼吸がわずかに止まった。

「ですが」

ミレイユは続ける。

「見る必要がありません」

空気がわずかに揺れる。

リディアの目が細められた。

「理由を聞こうか」

「……あなたは」

少しだけ考えた後、はっきりと答えた。

「王女殿下の味方ですから」

沈黙が落ちる。

重い沈黙だった。

リディアはしばらく何も言わず、ただミレイユを見ている。

その視線の中で、何かが少しだけほどけていく。

「……そうか」

やがて声が落ちた。

先ほどよりわずかに柔らかい。

「それ以上を見ないというのは、簡単ではない」

「……はい」

ミレイユは頷く。

それは事実だった。

見えるものを見ないでいる、それは力を使うより難しい。

リディアは静かに言う。

「王女殿下を見通そうとするな」

忠告だった。

ほとんど命令に近い。

「……心得ております」

ミレイユは素直に応じた。

「……そうか」

リディアはわずかに視線を外す。

廊下の奥を確認する。

誰もいなかったが、それでも確認する。

その所作だけで、彼女がどんな生き方をしてきたのか分かる気がした。

「……戻れ」

一歩下がる。

「休めるときに休んでおけ」

「はい」

ミレイユは一礼し、歩き出した。

数歩進いたところで足を止める。

「……リディア様」

「……なんだ」

振り返る。

ミレイユは少しだけ迷ってから言った。

「ありがとうございます」

一瞬、リディアの目がわずかに見開かれた。

予想していなかったのだろう。

だが、すぐにいつもの表情へ戻る。

「……何のことだか」

そっけない返事だった。

「……いいえ」

ミレイユはそれ以上は何も言わず、そのまま歩き去る。

足音が遠ざかり、やがて消えた。

完全な静寂が戻る。

リディアはその場に残ったまま動かない。

灯りが静かに揺れ、長い影が床を流れる。

「……信用できるのか」

誰に向けたものでもない、小さな呟き。

思考が巡る。

危険ではない、だが普通でもない。

それだけは確かだった。

リディアはしばらく考えたあと、小さく息を吐く。

「……観察するか」

結論は、それだけだった。

その声は、誰にも届かなかった。

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