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選択の魔女  作者: めいあん
第二章:帝国魔術師編
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第19話:装う理由

朝から、シュタルク公爵邸はいつになく騒がしかった。

「違うわ! もっと布を寄せて。そこじゃなくて、こっちよ!」

マルガレーテの声が廊下まで響き、何人もの使用人が慌ただしく行き交っている。

その中心にいるミレイユは、採寸用の布を身体に当てられたまま、ほとんど身動きもできずに立っていた。

それでも、されるがままになることには慣れてきたのか、困ったように微笑みながら静かに作業を見守っている。

「申し訳ありません。本来なら、もっと早く準備するべきでしたのに……」

布の位置を調整しながら、マルガレーテが心底悔しそうに眉を下げる。

「前回は既製品などでお出ししてしまって……せっかくの夜会でしたのに、あんな急ごしらえでは」

ミレイユは、その言葉にわずかに目を瞬かせた。

前回。帝国へ来て初めて参加した夜会のことだ。

あのときは、衣装について考える余裕などなかった。

用意されたものを身につけ、与えられた場所へ立ち、ただ周囲に飲み込まれないように振る舞うだけで精一杯だった。

けれど、今回は違う。

「今回は、きちんと“立てる”装いをお作りしますからね」

マルガレーテの言葉に、ミレイユは顔を上げた。

“似合う”ではなく、“立てる”。

その言葉が意味するところを、ミレイユはすぐに理解した。

ここは、そういう場所なのだ。

誰の隣に立つのか。どのような立場で見られるのか。

それだけで、人の価値も意味も変わってしまう場所。

だからこそ、身につけるもの一つにも、その立場を示す役割がある。

「……はい、よろしくお願いします」

ミレイユが素直に頷くと、マルガレーテの表情がぱっと明るくなった。

その様子を扉の外から眺めていたライナーが、思わず吹き出す。

「ははっ、完全に戦支度じゃねぇか」

「間違ってはいませんよ」

隣でエドガーが眼鏡を押し上げる。

「社交場は、別の意味で戦場ですから」

「そういうことを真顔で言うなよ。怖ぇなぁ……」

肩をすくめるライナーの横で、アロイスは何も言わずに立っていた。

ただ静かに、ミレイユの様子を見ている。

やがて数時間が過ぎ、完成したドレスが運び込まれた。

深い色合いの布地に、装飾は控えめながらも細部まで丁寧に仕上げられている。

華美に飾り立てるのではなく、身体の線と立ち姿を美しく見せるように仕立てられており、派手さはない。

それでも、目を向けた者の視線を自然と引き寄せるだけの存在感があった。

「どうぞ」

差し出したマルガレーテの声音には、わずかな緊張が滲んでいた。

ミレイユは静かに袖を通し、鏡の前へ立つ。

そこに映った自分の姿を、しばらく黙って見つめた。

(……違う)

前回とは、明らかに違う。

ただ着せられているのではない。

誰かに用意された衣装を身につけ、与えられた場所へ立つためのものでもない。

これは、この場所に自分の足で立つための装いなのだ。

守られるだけではなく、その隣に並ぶために。

「……お似合いですわ」

マルガレーテが満足そうに息を吐く。

ミレイユは鏡の中の自分をもう一度見つめ、それから小さく頷いた。

「ありがとうございます」

*

その夜、再び皇宮へ向かう。

巨大な扉が開かれると、煌びやかな光とともに大勢の視線が一斉に集まった。

前回と同じ光景だった。

けれど、そこから感じるものは、以前とは明らかに違っている。

(あれが……)

(シュタルク公爵家の……)

(王国から来た魔術師だろう)

(精神干渉能力者だと聞いたが)

抑えられた囁きが、あちらこちらから聞こえてくる。

値踏みするような視線も、探るような眼差しも消えてはいない。

それでも、ミレイユは歩みを止めなかった。

視線を受けても逸らさず、背筋を伸ばしたまま、アロイスの隣を進んでいく。

前回とは違う。

あのときは、アロイスに守られているという感覚が強かった。

けれど今は、それだけではない。

自分もまた、彼の隣に立っている。

そんな感覚が、確かにあった。

やがて何人かの貴族が挨拶に訪れた。

交わされる言葉はどれも礼儀正しく、表面上は穏やかなものばかりだったが、その裏にある意図まで隠せているわけではない。

「シュタルク公爵家は、随分と興味深い客人を迎えられたようですな」

第一皇子派と思しき貴族が、柔らかな笑みを浮かべる。

「これほど危険な力を持つ方です。やはり、然るべき立場の者が責任を持って管理する必要があるでしょう」

“管理”。

その言葉だけで、十分だった。

ミレイユがどういう存在として見られているのかが分かる。

一方で、別の貴族が穏やかな声音で口を挟んだ。

「古代の力に触れられる方が、帝国へ来てくださったことは実に喜ばしいことです」

柔らかな笑みを浮かべたまま、ミレイユを見つめる。

「その力を正しく扱うことができれば――人類の未来を切り開く、鍵になるかもしれませんな」

第二皇子派。

こちらも隠すつもりはないらしい。

どちらの言葉も表面上はミレイユを評価している。

しかし、その実、言っていることは同じだった。

自分たちの側へ来い。

露骨ではない。だからこそ、厄介だった。

ミレイユは、すぐには何も答えなかった。

今ここでどちらかへ与する必要はないし、軽々しく言葉を返せば、その一言だけで立場を決められてしまうかもしれない。

隣に立つアロイスも、余計な口を挟まない。

ただそこにいる。

それだけで、ミレイユが誰の庇護下にあるのかは十分に伝わっていた。

夜が深まるにつれて、最初の頃に感じていた緊張は少しずつ薄れていった。

その代わりに、ミレイユの中には、この場所に対する理解が生まれ始めていた。

(……ここは、そういう場所なんだ)

誰かに進む道を決められる場所ではない。

決めさせようとする人間が、次々と現れる場所なのだ。

その中で何を選ぶのか。あるいは、何を選ばないのか。

それさえも自分自身で決めなければならない。

そう考えながら、ミレイユは最後まで姿勢を崩さなかった。

やがて夜会は、静かに終わりを迎えた。

*

屋敷へ戻り、着替えを終えたミレイユは、しばらくしてバルコニーへ出た。

背後で扉が静かに閉じられると、夜の空気が頬を撫でる。

もうドレスではない。

締め付けのない簡素な夜着が身体に沿い、肩や腰に残っていた緊張が少しずつ解けていく。

深く息を吸うと、ようやく身体の隅々まで空気が届いたような気がした。

遠くには皇宮の灯りが滲んでいる。

夜は静かだったが、完全な無音ではない。

風に揺れる木々の葉擦れや、遠くを走る馬車の音がかすかに聞こえ、帝都がまだ眠っていないことを教えている。

ミレイユは手すりへ軽く手を添え、ゆっくりと息を吐いた。

(……終わった)

すべてが終わったわけではない。

それでも、また一つ、越えることはできた。

そのとき、背後から規則正しい足音が近づいてきた。

振り返らなくても分かる。

アロイスだった。

彼はミレイユから少し離れた場所で足を止めると、しばらく夜の庭を眺めていた。

「……問題はなかった」

低い声に、ミレイユは小さく頷く。

「……はい」

それだけで、しばらく言葉は続かなかった。

夜風が二人の間を静かに抜けていく。

やがて、アロイスの気配がほんの少しだけ近づいた。

ミレイユは動かなかった。

アロイスの手がゆっくりと上がり、乱れていた髪の一筋へ触れる。

指先でそっと整えただけで、それ以上は何もしなかった。

挿絵(By みてみん)

引き寄せるわけでもなく、身体を拘束するわけでもない。

ただ、乱れていた髪を元の位置へ戻すような、ごく自然な仕草だった。

ミレイユは、わずかに目を瞬かせる。

(……違う)

ふと、そう思った。

クロウレイとも、アルベルトとも違う。

必要だから触れたわけでもない。

守るために引き寄せたわけでもない。

理由があるようで、ない。

その曖昧さが、妙に心へ残った。

アロイスの手が離れ、二人の間に再びいつもの距離が戻る。

「……風が強い」

「……そうですね」

それ以上、二人とも何も言わなかった。

言葉にしてしまえば、何かの形になってしまう気がした。

今はまだ、その形を必要としていない。

ただ、夜風が静かに流れていく。

ミレイユは手すりへ置いた指先を眺めながら、胸の奥に残った小さな温度を感じていた。

(……あたたかい)

なぜそう感じるのかは、分からない。

けれど、今は分からなくてもいいような気がした。

そのとき、視界の下で何かが動いた。

ミレイユが何気なく庭へ目を向けると、一階の庭先に数人の使用人たちが集まっている。

どうやらメイドたちらしい。

彼女たちはこちらを見上げながら、声を潜めて何やら話していた。

「今の見た!?」

「見ました、見ました!」

「閣下が……!」

「髪に触れましたわよね!?」

興奮を抑えようとしているらしいが、声はまったく抑え切れていない。

互いの手を取り合い、小さく跳ねるように喜んでいる姿まで見える。

ミレイユは思わず目を伏せた。

そして、ほんの少しだけ口元を緩める。

すぐにいつもの表情へ戻したものの、その笑みを完全に消すことはできなかった。

隣にいるアロイスは、そんなメイドたちに気づいているのか、いないのか分からない。

ただ、いつもと変わらない距離で立っている。

それで、今は十分だった。

夜は静かに更けていく。

華やかな夜会が終わったあとに残ったのは、言葉にはできないほど小さな、けれど確かな温度だった。

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