第18話:共鳴
皇宮の謁見室には、高い天井から差し込む淡い光が静かに落ちていた。
磨き上げられた石床には人影が長く伸び、その中央で、ミレイユとアロイスは第一皇子の前に立っている。
傍らには、すでに報告を終えたヴァルターが控えていた。
今回持ち帰られた情報があまりにも重大だったせいか、室内には重い緊張が漂っている。
第一皇子はしばらく二人を見つめていたが、やがて低い声で口を開いた。
「……つまり、古代装置には、それぞれ“対”となる石板が存在するということだな」
「はい」
ミレイユは静かに頷いた。
「そして、装置と石板を接触させたうえで、精神干渉能力者が“媒介”となることで、装置は起動するものと思われます」
その言葉を聞いた瞬間、第一皇子の目がわずかに細くなった。
「お前でなければ、起動はできないのか」
「そこまでは断定できません。ただ……精神干渉能力が必要となる可能性は高いと思われます」
慎重な答えだった。自分自身が媒介となって装置を起動させた以上、ミレイユにもその危険性は十分に理解できている。
あれは単なる魔術の発動とは違う。
自分の精神を装置と石板の間へ通し、互いを繋ぐ行為だった。
第一皇子は数秒黙り込み、これまでの報告を頭の中で整理するように視線を落とした。
「王国にある装置と対になる石板は、帝国にある。そして、帝国にある装置と対になる石板は、王国に存在している」
「……はい」
「つまり、互いの国が、もう一方の装置を起動させるための鍵を持っているわけだ」
ミレイユは静かに頷いた。
「現状では、そう考えるのが最も自然かと」
重い沈黙が落ちる。
それは、単なる古代遺物の発見ではなかった。
両国がそれぞれ相手側の装置を起動させる可能性を持っているということだ。
しかも、その鍵となる石板が、すでに両国の手元に存在している。
第一皇子は腕を組み、しばらく考えた末に言った。
「ならば現状では、双方の石板を不用意に移動させなければ、起動の危険性は低い」
「少なくとも、今のところは」
ミレイユが静かに付け加える。
そのとき、横からヴァルターの声がした。
「実に面倒な構造ですね」
軽い声音だったが、その瞳には笑みがない。
「互いの国が、互いの鍵を持っている。どちらかが一歩間違えれば、相手側の装置を起こせてしまうわけですから」
第一皇子は、その言葉には答えず、ミレイユへ視線を戻した。
「他には何が分かっている」
問われたミレイユは、ほんの少しだけ視線を伏せた。
まだ精神干渉の反動が完全には抜けていない。
頭の奥には鈍い痛みが残っていたが、それを表には出さず、記憶を慎重に整理していく。
「……装置と石板には、それぞれ性質の違いがあるように感じました」
「性質の違い?」
「はい。王国で確認した装置と、帝国の砂漠遺跡で確認した装置では、精神へ及ぼす干渉の質が異なっていました」
ミレイユはそこで言葉を止めた。
二つの装置から受けた感覚は、似ているようでいて明らかに違っていた。
「王国側の装置は、人の感情や意思を鎮めるように働いていました」
そのときの感覚を確かめるように、ミレイユはゆっくりと続ける。
「ですが、帝国側の装置は……認識そのものへ入り込み、思考を侵食する力が強かったように思います」
第一皇子の眉がわずかに寄った。
「兵器としての設計思想そのものが異なる、ということか」
「おそらくは。少なくとも、同じ目的のために作られた装置とは思えませんでした」
ミレイユは一度息を整える。
「それから、もう一つ。装置が起動した直後は、干渉範囲は限定的でした」
ミレイユは、遺跡で感じた干渉の広がり方を思い返すように、わずかに視線を落とした。
「ですが、時間が経つにつれて、その範囲は徐々に広がっていったのです」
「……起動した直後から、広域へ干渉するわけではないのだな」
第一皇子の確認に、ミレイユは静かに頷く。
「はい。ただ……放置すれば、いずれ広範囲へ及ぶ可能性があります」
「……放置すれば、いずれ広域へ達する、か」
第一皇子が低く呟いた。
その声音には、明確な警戒が滲んでいる。
ミレイユは頷いた。
そして、次の言葉を口にする前に、ほんの一瞬だけ迷った。
これを伝えれば、事態はさらに大きくなる。
それでも、隠すべきではないと判断した。
「……装置と接続した際に、もう一つ気になる感覚がありました」
第一皇子の視線が戻ってくる。
「何だ」
「まだ他の場所にも、同種の装置が存在しているような感覚があったのです」
室内の空気が変わった。
ヴァルターの目が細まり、アロイスは無言のままミレイユを見る。
第一皇子だけが、落ち着いた声音で問いを重ねた。
「場所は分かるか」
「……いいえ」
ミレイユは首を横に振った。
「今の私に分かるのは、“存在している”ということだけです」
ほんの少し眉を寄せ、記憶を探るように目を伏せる。
「どこにあるのかまでは……感知できませんでした」
第一皇子は小さく息を吐いた。
「不確定要素だらけだな」
苛立ちというより、現状をそのまま受け止めた声だった。
しばらく沈黙したあと、第一皇子ははっきりと言った。
「どちらの国にある装置も、最終的には破壊するべきだ」
その言葉に、ミレイユは静かに顔を上げる。
「だが、その方法がまだ分からない」
第一皇子は机上の資料へ視線を落とした。
「ならば、まずは情報を集める。破壊できるのか、封印できるのか、それとも別の方法があるのか。それを調べろ」
ミレイユは頷いた。
「……承知しました」
そして、ふと視線を机上へ向ける。
そこには、砂漠の遺跡から回収された石板についての資料が置かれていた。
「では……石板は、いかがなさいますか」
第一皇子の目が、石板の資料へ向く。
「単体でも、精神干渉の効果が確認されています。安全とは言えません」
当然、第一皇子もそれを理解しているのだろう。
破壊するか、封印するか、それとも研究のために利用するか。
いくつもの選択肢を秤にかけるように、しばらく沈黙していた。
やがて、静かに口を開く。
「破壊したいところだが……装置を破壊するために必要となる可能性を捨て切れん」
その判断には、迷いがなかった。
「このまま帝都で厳重に保管する。許可なく持ち出すことも、使用することも禁ずる」
「承知しました」
ミレイユが頭を下げる。
その横で、ヴァルターがわずかに口角を上げた。
「賢明なご判断かと」
穏やかな声音だったが、その笑みの奥には何かを楽しんでいるような色がある。
第一皇子は、その表情を一瞥しただけで何も言わなかった。
*
それからしばらくして、皇宮の別室では、人払いがなされた静かな空間に第二皇子とヴァルターの姿があった。
窓から差し込む夜の光が、室内を淡く照らしている。
第二皇子はソファへ深く腰掛け、机の上に置かれた簡潔な報告書へ目を通していた。
やがて、その口元に小さな笑みが浮かぶ。
「なるほど、そういう仕組みだったか」
まるで新しい玩具の構造を知った子どものような、楽しげな声だった。
向かいに立つヴァルターが尋ねる。
「なぜ、こちらにある装置と対になる石板を王国へ流したのですか?」
第二皇子は、あっさりと答えた。
「いい実験になると思ったんだ」
悪びれた様子はない。
むしろ、あの石板がどのような結果をもたらすのか、最初から楽しみにしていたようだった。
「けれど……少し誤算だったね」
指先が、机の表面を軽く叩く。
「石板は王国に押収された。これでは、こちら側の装置を簡単には再起動できない」
そう言いながらも、第二皇子の表情から焦りは感じられなかった。
やがて、穏やかな笑みを浮かべる。
「とはいえ、装置同士がどこかで繋がっているのなら、完全に眠ったままとも限らない」
ヴァルターの目がわずかに細くなる。
「共鳴、ということでしょうか」
「そうだね」
第二皇子は楽しそうに頷いた。
「直接、石板を使わなくても……何かをきっかけに目を覚ます可能性はあるね」
報告書へ目を落としたまま、まるで面白い発見でもしたかのように微笑む。
「今回のことで、それが分かっただけでも十分な収穫だよ」
その声音には、不安も焦りもない。
むしろ、これから何が起こるのかを楽しみにしているようだった。
あるのは、これから何が起こるのかを楽しみにしているような、奇妙な期待だった。
「まだまだ、やりようはある」
第二皇子はそう呟き、窓の外へ視線を向ける。
帝都の夜は穏やかだった。
誰もがいつも通りの夜を過ごしている。
その地下深くで、古代の何かが再び目を覚まそうとしていることなど、知る者はいない。
「……楽しみだね」
その呟きに、ヴァルターも薄く笑った。
「同意です」
静かな部屋の中で、二人の笑みだけが、夜の気配に溶けるように残った。




