第1話:帝国の使者
---------------第2章プロローグ:発掘調査------------
砂漠の夜は、冷える。
昼間に大地を焼いていた熱はとうに消え、乾いた風だけが、遺跡群の間を吹き抜けていた。
月明かりの下、巨大な石造建築が静かに佇んでいる。
古代帝国遺跡。
帝国辺境、砂海の地下深くから発見されたそれは、発掘当初ただの宗教施設と考えられていた。
風化した石壁。
崩れた柱。
古代文字の刻まれた通路。
帝国にとって、珍しくもない遺物。
少なくとも――数日前までは。
「……見つけた」
掠れた声が、静寂を破った。
地下空間の最奥。
幾人もの調査員たちが、息を呑んで立ち尽くしている。
その視線の先。
広大な空間の中央に、それは存在していた。
円形の台座。
闘技場の土俵ほどの広さを持つ巨大な石盤が、幾重もの紋様と共に床へ埋め込まれている。
祭壇。
そう呼ぶのが最も近い。
だが、異様だった。
数百年もの間、砂に埋もれていたはずなのに。
まるで今も“生きている”ような存在感を放っている。
「本当に……存在していたのか」
誰かが呟く。
恐れにも似た声音だった。
地下空間の空気は重い。
息苦しいほど静まり返っている。
調査員たちの後方で、黒衣の男が一歩前へ出た。
顔の上半分を影へ沈めたまま、低く命じる。
「起動しろ」
その言葉に、数人の兵士が一人の男を前へ押し出した。
痩せた青年だった。
青白い顔。
怯えきった瞳。
両手には枷の痕が赤く残っている。
精神干渉能力者。
帝国内では、厳重管理対象。
皇室魔術研究所所属になるか、裏で消えるか。
そのどちらかだ。
「ま、待っ……」
青年の声は最後まで続かなかった。
兵士が背を押す。
よろめきながら、青年は祭壇の前へ立たされた。
黒衣の男が冷たく言う。
「石板を」
調査員の一人が、布包みを差し出す。
慎重に布を解く。
現れたのは、一枚の石板。
両手で抱えられるほどの大きさ。
古代文字のような紋様が刻まれている。
元々は、帝都博物館へ展示されていた遺物だった。
“古代帝国時代の儀式用祭具”。
その程度の認識しかなかった。
だが、遺跡内部の紋様と、完全に一致した。
偶然とは思えないほどに。
石板は、微かに青く発光していた。
まるで呼応するように。
黒衣の男が石板を掲げる。
「始めろ」
青年の肩が震える。
逃げ場はない。
やがて彼は、恐る恐る両手を祭壇へ向けた。
その瞬間、低い振動音が響いた。
空気が震える。
地下空間全体が、ゆっくりと目覚めていく。
「――ッ!?」
誰かが息を呑む。
祭壇が、青く光り始めていた。
円形の巨大な石盤の紋様をなぞるように、淡い光が広がっていく。
脈動。
呼吸。
まるで巨大な生物の心臓だった。
「……目覚めたのか……?」
調査員が呆然と呟く。
その直後だった。
青年の身体が、びくんっと大きく跳ねる。
「あ……」
瞳が開く。
だが焦点が合っていない。
「あ、ぁ……あぁ……」
力なく口が動く。
視線は中空へ向けられたまま。
何かを見ている。
いや。
“見せられている”。
「……耐えきれなかったか」
黒衣の男が淡々と言う。
声に感情はない。
「だが、起動はした」
青年の口から、涎が落ちる。
呼吸はある。
だが精神は壊れていた。
調査員の一人が顔をしかめる。
「また“能力者”を用意しなければ、装置は操作できないでしょうね」
黒衣の男は答えない。
その手には、石板が握られている。
青い光が、脈打つように明滅していた。
まるで。
祭壇と会話しているように。
「……時間はある」
男が静かに言う。
「だが、データが少ない」
「実験を続けるおつもりですか」
調査員の声には警戒が滲んでいた。
「危険では」
男は僅かに口元を歪めた。
「帝国でやらずとも」
青白い光が、その横顔を照らす。
「実験場はある」
その場にいた数人が、意味を理解して沈黙した。
西。
王国。
長く続く平和。
脆弱な統治。
そして、帝国より遥かに精神干渉への警戒が薄い国。
「あ……あぁ……」
床へ崩れた青年が、壊れたように呟き続けている。
黒衣の男は一瞥だけ向けた。
「“それ”は始末しておけ」
静かな声だった。
だが、その場の誰も逆らわなかった。
地下空間の奥で、青い光だけがゆっくりと脈打っていた。
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王宮、謁見の間。
重く張り詰めた空気が、場を覆っていた。
先進派、保守派を問わず、有力貴族が集められている。
その視線の先――帝国の使者団。
その中に、ひときわ異質な存在があった。
濃いグレーの髪。
無駄のない体躯。
動かない。
語らない。
それでも、そこに“いるだけ”で、空気を変えている男。
彼は一歩も前に出ない。
言葉も発さない。
ただ、使者団の後方に立っている。
それだけで、場の温度が、わずかに下がっていた。
王宮魔術師たちの列。
小声が交わされる。
「まじか…すごい大物が来たな」
シルヴァンが、わずかに息を吐く。
「誰だあいつ」
アルベルトが眉をひそめる。
「…騎士なら他国の大貴族くらい覚えておけよ」
「教養がなくて悪かったな」
軽口のはずだった。
「アロイス・シュタルク公爵」
どこか声音が硬い。
「領地を持たず、戦争の功績だけで公爵位まで上り詰めた家系だ」
「随分と稀な例ですね」
ミレイユが静かに言う。
「戦争では連勝無敗、その上で、公爵家のお家騒動――父と兄たちを自ら粛清した……皆殺しにした、って話だ」
一瞬、空気が沈む。
「とんでもねぇやばい奴じゃねぇか」
アルベルトが低く吐く。
「今回、帝国側も本気で圧をかけに来たってことだね」
シルヴァンの目が細くなる。
実際、そうだった。
シュタルク公爵は何もしていない。
ただ、そこにいるだけ。
それだけで、貴族たちの背筋は伸び、不用意な発言は、すべて喉元で止まる。
“あれ”が動けば、何かが起こる。
誰もが、そう感じていた。
そのとき、わずかに、視線が動いた。
シュタルク公爵の目が、ほんの一瞬だけ、玉座から外れる。
王宮魔術師たちの列へ。
そして、ミレイユに、触れた。
刹那。
だが、確かに。
(……こちらを、見た?)
息が詰まる。
次の瞬間には、何事もなかったかのように前へ戻っていた。
(気のせい……?)
そう思わせるほど、自然に。
だが――
見られていた、という感覚だけが残る。
玉座の上。
エリシア王女は、その空気を正面から受け止めていた。
視線は揺れない。
一切、退かない。
「帝国の使者よ。本日は何用でしょうか」
澄んだ声が、場を制する。
使者の代表が一歩進み出る。
「我々は、帝国の意を伝えに参りました」
形式張った言葉。
だが、その背後にある圧は明白だった。
――後ろに“あれ”がいる。
それだけで、言葉の重みが変わる。
「王国所属の魔術師、ミレイユ・ロシュ・モンフォール」
名前が告げられる。
場の視線が、一斉にミレイユへ向く。
「当該人物を、帝国へ派遣していただきたい」
ざわめきが走る。
「名目は、共同研究……対象は――精神干渉」
空気が凍りつく。
王国でも極秘に近い情報。
それを、帝国は把握している。
沈黙が落ちる。
誰も、すぐには口を開けない。
だが、玉座の上の少女だけは、違った。
エリシアは、静かに使者を見据える。
その背後――シュタルク公爵の存在を、正面から受け止めながら。
微動だにせず。
「……随分と踏み込んだ要求ですね」
声は穏やか。
だが、揺らがない。
「王国の重要戦力を、理由も明確にせず差し出せと?」
一歩も引かない。
場の空気が、再び張り詰める。
貴族たちは息を呑む。
シュタルク公爵の気配が、わずかに強まった気がした。
――それでも、エリシアは目を逸らさない。
正面から、受けて立つ。
沈黙が、数秒。
やがて。
「……条件を提示します」
その一言で、流れが変わる。
主導権を、取り返す。
交渉が、始まった。
その間も、シュタルク公爵は一言も発さない。
ただ、そこにいる。
それだけで、場の重みを支配し続けていた。
そして――
ミレイユは、無意識に感じていた。
あの一瞬の視線。
(……なぜ、私を)
答えは、まだない。
*
扉が閉まる。
重い音が、静かに響いた。
謁見の間の空気が、背後に切り離される。
廊下は、静かだった。
だが――先ほどまでとは違う静けさ。
張り詰めたものが、まだ残っている。
ミレイユは、前を歩く。
足取りは変わらない。
乱れもない。
ただ、一定の速度で、迷いなく進む。
その少し後ろ。
に、アルベルトがついている。
いつもと同じ距離。
同じ位置。
だが――違う。
空気が。
アルベルトは、何も言わない。
言えない。
言葉が、出てこない。
頭の中では、整理はできている。
帝国。
取引。
条件。
合理的だ。
間違っていない。
だからこそ。
(……ふざけるな)
思考の奥で、吐き捨てる。
表には出さない。
出せない。
騎士だから。
命令に従う側だから。
だが、感情は消えない。
前を歩く背中を見る。
小さい。
最初に見たときと、変わらないはずなのに。
今は、妙に遠い。
距離は同じなのに。
手が届かない。
そんな感覚。
ミレイユが、わずかに足を止める。
振り返らない。
だが、気づいている。
後ろの気配に。
アルベルトは止まらない。
そのまま一歩、詰める。
距離が、ほんのわずかだけ縮まる。
「……いつだ」
低い声。
短い問い。
ミレイユは、ほんの少しだけ間を置いた。
「……まだ、正式には」
曖昧な返答。
だが、それで十分だった。
「そうか」
短く返す。
沈黙が落ちる。
長くはない。
だが、重い。
アルベルトは視線を逸らす。
壁を見る。
何もない場所に、言葉を押し込める。
だが――押しきれない。
「……行くのか」
ぽつりと落ちる。
確認ではない。
分かっていることを、あえて言う。
ミレイユは答える。
「……そのつもりです」
迷いはない。
それが、余計に刺さる。
アルベルトは、わずかに息を吐いた。
笑うでもなく、怒るでもなく。
ただ、吐く。
「……そうかよ」
短い。
それ以上、続かない。
言えば、崩れる。
分かっている。
だから、止める。
ミレイユは、静かに前を見る。
言葉は足さない。
必要ない。
それが、彼女の答えだから。
アルベルトは、視線を戻す。
再び、背中を見る。
その距離を、測る。
埋められない距離。
どうにもならない距離。
それでも、一歩だけ、踏み出す。
「……無理は、するなよ」
短い。
ぶっきらぼう。
だが、それが、限界だった。
ミレイユは、ほんの一瞬だけ目を見開く。
振り返らない。
ただ。
「……はい」
小さく、答える。
それだけで、十分だった。
アルベルトは、それ以上何も言わない。
言えない。
これ以上は、越える。
越えてはいけない線を。
だから止まる。
距離を保つ。
護衛として。
それ以上でも、それ以下でもない位置に。
その距離は――
最後まで、縮まらなかった。




