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選択の魔女  作者: めいあん
第一章:王宮魔術師編
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第29話:帰る場所

王宮の空気は、久方ぶりに静けさを取り戻していた。

王女への精神干渉は途絶え、明確な脅威も確認されていない。

だが、完全に消えたわけではない。

その象徴のように、ロシュ家で発見された石板があった。

「結局、あれは何なんだ?」

アルベルトが眉をひそめる。

「さあね…仕組みは一部推測できるけど、全体像はまだ不明かな」

シルヴァンが肩をすくめた。

「分かるのは、使えば使うほど術者が壊れるってことくらい」

リディアは腕を組んだまま短く言う。

「殿下の近くには絶対に持ち込ませない」

「当然だ」

レオニードが頷いた。

「当面は王宮魔術師団で厳重保管とする」

レオニードは机上の報告書へ視線を落とした。

「解析は続けるが、扱いは最上位の封印規定に準ずる」

結論はそれだけだった。

分からないものは閉じ込める。

軽々しく触れない。

それが、この場にいる全員の共通認識だった。

「……ひとまずは落ち着いた、ってところか」

アルベルトが腕を組みながら呟く。

執務室には、いつもの面々が揃っていた。

「保守派もあれだけ派手に失敗すれば、しばらくは様子見するでしょ」

シルヴァンが椅子にもたれながら言う。

レオニードは書類へ視線を落としたまま頷いた。

「警戒は緩めるな」

挿絵(By みてみん)

そう言ってから、レオニードはようやく顔を上げた。

「だが休息も必要だ」そう言って書類を閉じる。

「ミレイユは、一度帰省してこい」

ミレイユは目を瞬かせた。

「……よろしいのですか」

「ああ」

レオニードは顔を上げる。

「状態も安定している、今のうちだ」

それは命令というより、配慮だった。

ミレイユはほんの少し表情を和らげる。

「……ありがとうございます」

その流れで、自然と雑談が始まった。

「そういえばさ」

シルヴァンが何気なく口を開く。

「みんな、“帰る場所”ってあるわけ?」

最初に答えたのはシルヴァン自身だった。

「俺は一応、王都に実家あるけどね」

肩をすくめる。

「仕送りはしてるけど、全然帰ってないな」

「帰りにくいのか?」

アルベルトが聞く。

「面倒なんだよ」

シルヴァンは苦笑した。

「帰ると近所の人まで集まってくるし、“王宮魔術師様だ”とか言われてさ」

「ああ……」

アルベルトが納得したように頷く。

「親父も親父で面倒なんだよ」

シルヴァンは天井を仰ぐ。

「酒飲まされるし、昔話は延々聞かされるし」

「嫌われてはいないんだな」

リディアが珍しく口を挟む。

「まあね」

シルヴァンは笑った。

「だから余計に面倒なんだけど」

次に口を開いたのはアルベルトだった。

「俺も似たようなもんだ」

腕を組んだまま天井を見上げる。

「長兄が家を継いでるし、甥と姪が三人いる」

「賑やかそうですね」

ミレイユが言う。

「賑やかなんてもんじゃねぇ」

アルベルトは顔をしかめた。

「帰った瞬間に捕まる」

「捕まる?」

「遊べだの剣を教えろだの肩車しろだの」

シルヴァンが吹き出した。

「人気者じゃん」

「うるさい」

即答だった。

「休暇なのに全然休めねぇ」

ぼやきながらも、その口調にはどこか親しみが滲んでいる。

ミレイユは小さく微笑んだ。

「皆さん、アルベルトを慕っているのですね」

「……そういうことにしといてやる」

少しだけ照れたように答える。

「父親もうるさいぞ」

今度は深いため息。

「出世はまだか、結婚はまだか、見合いはどうするってな」

「普通の親じゃない?」

シルヴァンが笑う。

「だから面倒なんだよ」

アルベルトは顔をしかめた。

執務室に小さな笑いが広がる。

次に口を開いたのはリディアだった。

「私には帰る場所はない」

淡々とした声だった。

だが迷いはない。

「殿下のお側にいることが、私の居場所だ」

その言葉には揺るぎない確信があった。

シルヴァンが苦笑する。

「だろうね」

「何だ」

「いや、殿下が高熱を出した時に三日寝ないで看病してた人が言うと説得力あるなって」

「当然だ」

即答だった。

「当然なのかよ……」

アルベルトが呆れたように言う。

「殿下をお守りするのが私の役目だ」

リディアは真顔だった。

誰も反論しない。

たぶん、しても無駄だからだ。

自然と視線がミレイユへ向く。

ミレイユは少しだけ考えるように目を伏せ、それから静かに顔を上げた。

「……私にはあります」

柔らかな声だった。

「帰る場所が」

王宮ではない。

ロシュ家でもない。

思い浮かぶのは、王都の外れに建つ小さな家と、一人の魔術師だった。

*

数日後。

ミレイユは王都の外れにある小さな家の前へ立っていた。

見慣れたはずの家。

だが、庭には雑草が伸び、花壇も半分ほど埋もれている。

「……やっぱり」

小さくため息をつく。

扉を開ける。

そして、予想通りの光景を目にした。

本が積み上がり、その一部は床へ雪崩れている。

机の上には食べかけの皿が置かれ、椅子には脱ぎ捨てられた上着が掛かっていた。

足の踏み場を探す方が難しい。

「……先生」

奥へ声をかける。

「おかえり」

気の抜けた返事が返ってきた。

変わらない。

本当に何も変わっていない。

ミレイユは室内を見回し、静かに結論を下した。

「掃除をします」

「え?」

クロウレイが顔を出す。

「この状態で生活していたんですか」

「まあ、寝る場所はあるし」

「よくありません」

ぴしゃりと言い切る。

クロウレイは肩をすくめた。

そして案の定、止めようとはしなかった。

その日一日かけて家は見違えるほど片付いた。

本棚は整理され、机の上は広くなり、床も見えるようになる。

翌日は庭だった。

雑草を抜き、伸びすぎた枝を切る。

クロウレイは木陰で本を読んでいた。

「先生も手伝ってください」

「監督してる」

「それは手伝っているとは言いません」

即座に返される。

「厳しいなあ」

そんなやり取りが続いた。

夕方になると、二人で食卓を囲む。

湯気の立つ料理。

穏やかな時間。

「王宮はどう?」

クロウレイが何気なく聞いた。

「忙しいです」

「だろうね」

「でも」

ミレイユは少しだけ考える。

「楽しいです」

その言葉に、クロウレイはほんの少しだけ目を細めた。

「そっか」

それ以上は聞かない。

けれど、それで十分だった。

ミレイユにも居場所ができたことを、彼は理解していた。

*

ミレイユが帰省して二日目。

レオニードの執務室は、いつも通り動いていた。

報告書が運ばれ、書類が積み上がる。

何も変わらない。

本来なら、そのはずだった。

「アルベルト」

シルヴァンが不意に声をかける。

「何だ」

「さっきから何回目?」

「は?」

アルベルトが眉をひそめる。

シルヴァンはにやりと笑った。

「だから、何回入口見たの」

「見てねぇよ」

即答。

だが、その直後にも、無意識に廊下の方へ視線が向く。

シルヴァンが吹き出した。

「ほら」

「見てねぇって言ってんだろ」

「いや見てたじゃん」

「見てねぇ」

「見てた」

子供のような応酬になる。

レオニードは書類から目を上げない。

完全に無視だった。

「そんなに落ち着かない?」

シルヴァンが楽しそうに聞く。

「別に」

「ふーん」

絶対に信じていない顔。

アルベルトは舌打ちした。

「護衛対象がいねぇんだから、手持ち無沙汰なだけだ」

「へぇ」

「何だよ」

「いや別に」

全然別にじゃない。

面白がっている。

それが丸分かりだった。

「お前さ」

シルヴァンが頬杖をつく。

「普段どれだけミレイユ見てたか、自覚ないでしょ」

「……は?」

「廊下歩くときも」

「訓練行くときも」

「夜会のときも」

指を折りながら数え始める。

「だいたい三歩以内にいたよね」

「護衛だからな」

「うん」

シルヴァンが頷く。

「だから今そわそわしてるんでしょ」

アルベルトが黙った。

否定できない。

実際、妙に落ち着かないのだ。

危険がないと分かっている。

クロウレイのところにいるなら問題もない。

それでも。

何となく気になる。

「……親父かよ」

ぼそりと呟く。

シルヴァンが盛大に吹き出した。

「それ近いかも」

「笑うな」

「無理」

肩を震わせる。

アルベルトは額を押さえた。

本当に面倒くさい。

だが、自分でも少しだけ分かっていた。

あの少女が王宮へ来てから。

気付けばずっと視界の中にいた。

護衛だから。

それだけのはずだった。

「まあ」

シルヴァンが笑いを収めながら言う。

「あと二日で帰ってくるんだから我慢しなよ」

「別に待ってねぇ」

「はいはい」

全く信じていない返事だった。

そのとき、執務机の向こうで書類を読んでいたレオニードが、ふと口を開く。

「静かだな」

二人が同時に振り返る。

レオニードは相変わらず書類を見たままだった。

「報告は減っていない」

「仕事量も変わらん」

淡々と続ける。

「だが静かだ」

珍しく率直な感想だった。

シルヴァンが笑う。

「レオニード様まで言うんですか」

「事実だ」

短い返答。

それだけだった。

だが、誰も否定しなかった。

王宮魔術師棟はいつも通り動いている。

何も変わっていない。

それでも、どこか一つだけ、足りない気がしていた。

*

三日間はあっという間に過ぎた。

掃除をして。

料理を作って。

庭を整えて。

本を読んで。

少しだけ話をする。

特別なことは何もない。

それでも、その時間は穏やかだった。

四日目の朝。

家を出る時間が来る。

「また来ます」

玄関先でそう告げる。

「うん」

短い返事。

引き留めることはしない。

寂しいとも言わない。

ただ、帰ってくる場所はそこに残してくれる。

ミレイユは小さく微笑み、歩き出した。

*

王宮へ戻る。

見慣れた廊下を歩く。

すると、いつもの顔ぶれがそこにいた。

「おかえり」

シルヴァンが軽く手を上げる。

「おかえり」

リディアが短く頷く。

「……遅かったな」

アルベルトが壁にもたれたまま言う。

ミレイユはほんの少し息を吸い込み、それから微笑んだ。

「……ただいま」

誰も大げさには反応しない。

当たり前のように頷き、当たり前のように仕事の話へ戻っていく。

けれど、その当たり前が心地よかった。

ミレイユには帰る場所がある。

王都の外れの小さな家にも。

そして今、この王宮にも。

アルベルトは何気なくその光景を眺める。

ミレイユがいて。

シルヴァンがいて。

リディアがいて。

レオニードがいる。

いつも通りの執務室だった。

だからこそ、こんな日々がこれからも続くのだと、誰もがどこかで信じていた。

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