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選択の魔女  作者: めいあん
第一章:王宮魔術師編
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第19話:絡みつく血

夜会の音楽はまだ続いていた。

弦の響きがやわらかく広間を満たし、笑い声と談笑が幾重にも重なっている。

煌びやかな灯りの下では誰もが優雅な笑みを浮かべていた。

しかし、その奥で交わされる視線は決して穏やかなものばかりではなかった。

フロアの端、人の流れから少し外れた場所で、ミレイユとアルベルトはシルヴァンと合流する。

「だいぶ疲労しているみたいだけど、大丈夫?」

シルヴァンが少し身を屈めて覗き込んだ。

軽い口調だったが、その目は呼吸の浅さも指先の震えも見逃していない。

ミレイユはゆっくりと息を整える。

「……殿下の中に入るのは経験がありましたので、今回は負担が少なく済みました」

落ち着いた声でそう答える。

すると横からアルベルトがぼそりと口を挟んだ。

「……息切れしてたくせによく言うぜ」

ミレイユがわずかに目を見開く。

ほんの一瞬だけ驚いたような顔をして、それから苦笑した。

「……見られていましたか」

「当たり前だ」

アルベルトは腕を組んだままそっぽを向く。

その様子にシルヴァンがふっと笑った。

「よく頑張ったね」

先ほどまでより少しだけ柔らかな声だった。

ミレイユはわずかに目を伏せる。

胸の奥に張り詰めていたものが少しだけほどけるのを感じた。

――そのときだった。

「お久しぶりです、お姉様」

静かな声が響く。

だが、その一言だけでミレイユの身体はぴたりと止まった。

呼吸が浅くなる。

ゆっくりと振り返る。

そこに立っていたのは、深紅のドレスをまとった女性だった。

艶やかな金髪と整った顔立ちを持つその姿は、社交界の中心に立つ者の華やかさをまとっている。

「……リリアナ」

思わず名前が漏れた。

リリアナ・ロシュ。

異母妹。

挿絵(By みてみん)

「驚きましたわ」

リリアナは微笑む。

完璧な微笑だった。

けれど、その奥には隠し切れない感情の揺らぎがあった。

「お姉様が、このような場所にいらっしゃるなんて」

ゆっくりと歩み寄りながら視線を向ける。

王宮魔術師としての立場。

堂々とした立ち姿。

周囲から向けられる注目。

そのすべてを確認するように見つめていた。

「何があったのかは存じませんが、随分とお変わりになられましたのね」

ミレイユは答えられなかった。

胸の奥がざわつく。

ロシュ家で過ごした日々の記憶が、嫌でも引きずり出される。

その沈黙を破ったのはアルベルトだった。

「誰だあんた」

一歩前に出る。

リリアナの視線がゆっくりと向けられた。

「あら」

くすりと笑う。

「お口の乱暴なこと」

わざとらしくため息をついた。

「子爵家の三男ごときが、私に話しかけるなど失礼でしてよ」

アルベルトの眉が跳ね上がる。

「……なっ」

「なるほど、お姉様が好みそうな方ですこと」

その言葉にアルベルトの顔がさらに険しくなった。

だがその瞬間、ミレイユが顔を上げる。

迷いは残っていた。

それでも声ははっきりしていた。

「……私の護衛騎士を侮辱するのはやめてください」

リリアナの目がわずかに細められる。

「……あら」

短い沈黙。

「仲がおよろしいのですね」

くすりと笑い、そのままシルヴァンへ向き直った。

「ロシュ家次女、リリアナ・ロシュと申します」

非の打ち所のない礼。

「ロシュ家の後継者になられたと伺いました」

シルヴァンは穏やかに応じる。

「ええ」

リリアナは微笑んだ。

「ミレイユお姉様が出家なさったものですから」

さらりと言う。

アルベルトは眉をひそめる。

長子ではなく妹が後継者。

その違和感を覚えながらも口には出さない。

「それはそれは」

シルヴァンは軽く受け流した。

「シルヴァン様」

リリアナが一歩近づく。

「お近づきの印に、私を一曲お誘いくださいませんか」

完璧な笑顔。

完璧な距離。

断られる理由などないはずだった。

しかし、シルヴァンの目は彼女を観察していた。

焦り。

期待。

計算。

そして、認められたいという渇き。

(ああ)

心の中で小さく呟く。

(俺を見てるんじゃないな)

リリアナが見ているのはシルヴァン本人ではない。

平民出身で王宮魔術師になった男という存在だ。

理解してほしいのだろう。

努力してきたことを。

血筋だけで評価される世界で戦ってきたことを。

だが、シルヴァンはそれを受け取らなかった。

「せっかくだけど、遠慮するよ」

シルヴァンは微笑んだまま答える。

「同僚も疲れているみたいだしね」

自然な動作でミレイユの肩に手を添える。

「今日は引き上げることにするよ」

リリアナの目がわずかに見開かれた。

信じられないのではない。

理解できないのだ。

なぜ断られたのか。

なぜ選ばれなかったのか。

周囲から小さな笑い声が漏れる。

(妾腹でしょう?)

(半分は平民の血だもの)

(身の程を知るべきだわ)

小さな囁き。

だが確実に届く。

リリアナはすべて聞いていた。

それでも表情は崩さない。

「……わたくしも、これにて失礼いたしますわ」

優雅に一礼する。

最後まで完璧に。

そのまま背を向けて歩き去った。

足取りは一切乱れなかった。

*

馬車の中は静かだった。

揺れる灯りが車内を照らしている。

向かいには、リリアナの母――セラフィーヌが座っていた。

リリアナによく似た美貌。

だが、その目は冷たい。

「……落とせなかったようね」

静かな声だった。

リリアナは俯いたまま答えない。

「あなたにしては珍しいわ」

沈黙が続く。

やがて小さく声が漏れた。

「……どうして」

セラフィーヌが目を向ける。

「どうして、お姉様が王宮にいるのですか」

拳が膝の上で握られる。

「ずっと社交界にもいらっしゃらなかったのに」

唇を噛む。

「お身体が弱いからだと聞いていました」

セラフィーヌの表情は動かない。

「王都にも戻ってこられないのだと」

沈黙。

やがてセラフィーヌは淡々と言った。

「戻ってきたのなら、また追い越せばいいだけよ」

冷たい言葉だった。

「ようやくロシュ家を手に入れたの」

視線が鋭くなる。

「誰にも渡すものですか」

リリアナは俯いたまま拳を握る。

自分は努力してきた。

母の出自を笑われても。

血筋を侮られても。

誰よりも礼儀を学び。

誰よりも社交術を磨き。

誰よりも美しくあろうとしてきた。

ようやく手に入れた居場所だった。

「私の方が……」

思わず言葉が漏れる。

「私の方が努力してきたのに……」

セラフィーヌは静かに娘を見る。

「生まれも血筋も関係ないわ」

断言する。

「努力すれば、必ず勝ち上がれる」

何度も聞いてきた言葉だった。

幼い頃から。

何度も。

何度も。

「必ず勝ちなさい」

リリアナは顔を上げる。

揺らぎを押し込める。

「……はい、お母様」

だが胸の奥には別の感情が残っていた。

シルヴァンに拒絶された瞬間のこと。

貴族ではない彼なら。

血筋だけで人を判断しない彼なら。

少しは分かってくれると思っていた。

だが違った。

理解されなかった。

選ばれなかった。

その事実だけが、静かに胸へ刺さり続けていた。

嫉妬も、焦りも、悔しさも、行き場を失ったまま胸の奥に積もっていく。

もし、この感情をそのまま誰かに押し付けることができたなら。

リリアナは知らず、爪が食い込むほど拳を握りしめていた。

馬車は夜の街を走り続ける。

暗闇の向こうへ。

まるで、絡みつく血から逃れられないかのように。

*

王宮。

「殿下は、お休みになられた」

レオニードの声が静かに落ちる。

夜会が終わった後の部屋には、ようやく張り詰めていた空気が薄れ始めていた。

「今夜も、私がお側におります」

リディアは即座に答える。

その声に迷いはない。

王女の傍にいることだけが、自分の存在理由であるかのように。

「……首尾は」

レオニードが視線を向ける。

「殿下に精神攻撃を仕掛けているのは、保守派で間違いないでしょうね」

シルヴァンが肩をすくめる。

「直接的な証拠はまだないけど、夜会での動きを見れば十分だよ」

「あと少しだな」

アルベルトが腕を組む。

「実行犯さえ分かれば、あとはぶん殴るだけだ」

「君もリディア嬢も短絡的だね」

シルヴァンが呆れたように笑う。

「二度と表舞台に立てないよう、社会的に徹底的に潰すんだよ」

「そっちの方が陰険じゃねぇか」

「効率的と言ってほしいな」

軽口が交わされる。

だが。

ミレイユの耳には、その会話がどこか遠く聞こえていた。

(リリアナ……)

夜会で見た異母妹の姿が離れない。

幼い頃の記憶。

母の死。

ロシュ家。

セラフィーヌ。

忘れたつもりだったものが、次々と浮かび上がってくる。

「……大丈夫か」

レオニードの声で我に返る。

ミレイユは小さく息を吐いた。

「はい」

顔を上げる。

「動揺して申し訳ありません」

「謝る必要はない」

レオニードは短く言った。

「お前にとっては他人ではないのだからな」

ミレイユは何も答えなかった。

ただ静かに頷く。

その様子を見ていたシルヴァンが、ふっと目を細めた。

「護衛騎士くん」

嫌な予感しかしない呼び方だった。

アルベルトが露骨に顔をしかめる。

「なんだ」

「お姫様を部屋までエスコートしてあげて」

「いい加減その呼び方やめろ」

即座に返す。

シルヴァンは楽しそうに笑った。

「えー、似合ってるのに」

「どこがだ」

「全部?」

「殴るぞ」

「怖い怖い」

まったく怖がっていない顔で肩をすくめる。

ミレイユは思わず小さく笑った。

ほんの少しだけ。

張り詰めていたものが緩む。

「では、失礼します」

一礼して部屋を出る。

アルベルトも後を追った。

王宮の廊下は静かだった。

夜会の喧騒が嘘のように消えている。

しばらく無言で歩く。

やがてアルベルトが口を開いた。

「……苦手なのか」

ミレイユは少しだけ考えた。

質問の意味は分かる。

「わかりません」

静かに首を振る。

「リリアナは、私に何かしたわけではありませんから」

アルベルトが眉をひそめる。

「いや、あれは十分感じ悪かっただろ」

思わずそう返す。

ミレイユは苦笑した。

「そうかもしれません」

それから少しだけ視線を落とす。

「でも……あの子も苦労したのだと思います」

夜会で見たリリアナの姿を思い出す。

完璧な礼儀。

完璧な笑顔。

一切の隙がない振る舞い。

どれだけ努力したのか、想像はついた。

「お前は甘いな」

アルベルトが呆れたように言う。

ミレイユは否定しなかった。

「そうでしょうか」

少しだけ笑う。

その笑顔を見て、アルベルトはため息を吐いた。

「何があったのかは知らん」

ぶっきらぼうな声。

「だが、今のお前はロシュ家の人間じゃないだろ」

ミレイユが足を止める。

「……え?」

「王女殿下の魔術師だ」

それだけ言う。

気恥ずかしくなったのか、そのまま前を向いて歩き出す。

「だから、あんまり引きずるな」

ミレイユは少しだけ目を見開いた。

そして。

「……ありがとうございます」

小さく答える。

私室の前に着く。

扉を開く前に、ミレイユは振り返った。

「おやすみなさい、アルベルト」

「ああ」

短い返事。

それだけだった。

扉が閉まり、静寂が戻る。

ミレイユはゆっくりと寝台へ腰を下ろした。

夜会での出来事が頭を巡る。

リリアナの笑顔。

震えていた瞳。

そして、どこか追い詰められているような表情。

(リリアナ……)

遠い昔、一緒に過ごした少女の姿が脳裏をよぎる。

だが、その記憶はすぐに闇へ沈んでいった。

瞼が重くなる。

意識が薄れていく。

やがて眠りに落ちる。

夢を見る。

母が亡くなった、九歳の秋だった。

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