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選択の魔女  作者: めいあん
第一章:王宮魔術師編
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第17話:観る者

午後の光が王宮の廊下を淡く照らしていた。

窓から差し込む陽射しは柔らかい。

だが、その下を行き交う人々の気配はどこか忙しなく、重なる足音と遠くで交わされる声が一つのざわめきとなって流れていく。

その中で、シルヴァンは壁に軽く背を預けていた。

手には書類を持っているが、目は文字を追っていない。

視線はただ、廊下を行き交う人々へ向けられている。

「……何見てるんだ」

アルベルトが声をかける。

シルヴァンは視線を動かさないまま口元だけで笑った。

「ん?別に」

軽い返事だった。

「ただ見てるだけ」

それだけの言葉。

だが、その“見る”がどこまでを意味しているのか、アルベルトには分からない。

「……気味の悪いやつだな」

「ひどいなぁ」

ようやくこちらへ顔を向ける。

「褒め言葉として受け取っておくよ」

冗談めいた口調だったが、その目は笑っていなかった。

少し離れた場所で、ミレイユがそのやり取りを見ている。

(……見ている、というより)

違う。

(……読んでいる)

視線の動き。

呼吸の変化。

言葉になる前の迷い。

そういったものを拾い上げて組み立てている。

ミレイユが精神へ触れて知るのとは違う。

だが、どこか似た感覚だった。

そのとき、廊下の奥から一人の若い魔術師が足早に歩いてきた。

手には書類を抱えている。

焦りを隠そうとしているが、隠しきれていない。

シルヴァンの視線が、その男へ向く。

ほんの一瞬。

それだけだった。

「あー」

小さく声が漏れる。

「それ、通らないね」

男が足を止めた。

「え?」

「その書類」

シルヴァンが指先で軽く示す。

「内容、少し誤魔化してるでしょ」

空気が止まった。

男の表情が固まる。

「……何を」

「別に責めてないよ」

シルヴァンは肩をすくめた。

「ただ、あの人はそういうの嫌うからさ」

軽く顎を動かす。

その先には、別の上位魔術師がいた。

男の視線が揺れる。

呼吸が浅くなる。

やがて観念したように肩を落とした。

「……書き直します」

そう言って踵を返し、足早に去っていく。

アルベルトは黙ってその背中を見送っていた。

そして低く問う。

「……今の、なんだ」

「なんだって?」

「なんで分かる」

視線が鋭くなる。

シルヴァンは少しだけ考えるふりをした。

「んー……何となく?」

軽く笑う。

「何となくで済ませるな」

「済んじゃうんだから仕方ないでしょ」

肩をすくめる。

ミレイユはそのやり取りを静かに見ていた。

違和感が残る。

「……昔から、そうなのですか」

問いかける。

シルヴァンの視線がほんの少しだけ止まった。

「……まあね」

軽く答える。

だが、その一言の奥には何かが沈んでいた。

ミレイユはそれ以上踏み込まない。

短い沈黙のあと、シルヴァンはふっと視線を外した。

「昔から見えちゃうんだよね」

ぽつりと落とす。

「人がどう考えてるか」

そして小さく笑った。

「正確には、どう動くかかな」

その言葉とともに、意識はゆっくりと過去へ沈んでいった。

*

石造りの講堂には、若い魔術師たちのざわめきが広がっていた。

その空気を裂くように、一人の男が静かに入ってくる。

レオニード。

王宮魔術師。

その肩書きだけで場の空気は変わる。

自然と視線が集まるが、本人はまるで気にした様子もなく教壇へ立った。

講義が始まる。

声は低く、抑揚も少ない。

だが、その言葉は正確で無駄がなかった。

レオニードは講義を続けながら、一人の生徒へ視線を向ける。

シルヴァン。

最前列でも最後列でもない。

目立たない位置。

だが、その思考の速さは目立たないものではなかった。

板書が終わる頃には、すでに答えへ辿り着いている。

それだけなら珍しくない。

だが次の瞬間、シルヴァンはペン先を止める。

周囲の生徒へ視線を向ける。

誰がどこで躓いているのか。

誰が理解し、誰が理解していないのか。

それを確かめるように。

まるで自分の理解ではなく、他人の理解速度を測っているかのようだった。

挿絵(By みてみん)

レオニードはそれを見ていた。

(……あれが平民出で秀才と言われている奴か)

心の中で呟く。

評価はしない。

ただ観察する。

講義が進む。

多くの生徒が詰まる箇所。

思考が停滞する箇所。

その中で、シルヴァンだけは止まらない。

だが同時に、必要以上に先へも進まない。

意図的に合わせている。

それは効率だけを求めるなら無意味な行為だ。

だが。

(……制御しているな)

レオニードの目がわずかに細められる。

講義が終わる。

生徒たちが立ち上がり、再びざわめきが戻る。

その中で、シルヴァンだけはすぐには動かなかった。

ノートを閉じ、視線を落とし、何かを整理している。

レオニードはその姿を一瞥する。

そして何も言わず、その場を去った。

*

学院時代、シルヴァンは周囲から人気者だった。

頭が良い。

話も上手い。

空気も読める。

だから人が集まる。

だが、誰も気付かなかった。

シルヴァン自身は、誰にも踏み込んでいなかった。

ある日、同級生の男子が恋人との相談を持ちかける。

「どう思う?」

シルヴァンは少し考えてから答える。

「別れたいんでしょ?」

相手が固まる。

「……なんで分かった」

「いや」

苦笑する。

「その顔してるから」

沈黙。

やがて相手は笑う。

だがその後、少しだけ距離ができた。

(ああ)

(またか)

相手が言葉にする前に、本音が見えてしまう。

だから、相談相手にはなれても親友にはなれない。

*

夜。

学院の一角。

灯りの少ない部屋で、シルヴァンは一人机に向かっていた。

昼間の講義内容。

すでに理解しているはずのものを、もう一度組み立て直している。

別の角度から。

別の理論で。

別の解釈で。

理解しただけでは終わらない。

何度も確かめる。

検証する。

手は止まらない。

思考も止まらない。

その様子を、扉の外から静かに見ている影があった。

レオニードだった。

音も立てず、ただ見ている。

(……天才ではないな)

結論はすぐに出た。

生まれ持った閃きだけで押し切る人間ではない。

だが。

(……その分、詰めている)

理解したことを理解したまま放置しない。

何度も確認する。

積み重ねる。

その量が違う。

そして何より。

(……自分の立ち位置を理解している)

周囲との距離。

自分がどう見られているか。

何を期待されているか。

それらを把握した上で振る舞っている。

レオニードはしばらくその様子を眺めていた。

やがて静かに踵を返す。

足音は最後まで残らなかった。

*

やがて卒業の日が来る。

選抜が行われる。

王宮魔術師への登用。

その名簿の中には、シルヴァンの名前もあった。

王宮、石造りの廊下。

重厚な扉の前で、シルヴァンは軽く肩を回していた。

緊張は表に出ない。

だが、消えているわけでもない。

扉が開く。

中にいたのはレオニードだった。

机に向かい、書類へ目を通しているが、シルヴァンに気づいて視線を上げる。

沈黙。

「……シルヴァン」

名前を呼ばれる。

それだけで空気が変わった。

「はいはい、呼び出しとは珍しいですね」

軽く返す。

だが視線は逸らさない。

レオニードは書類を置いた。

「お前を、こちらへ回す」

短い言葉。

シルヴァンの眉がわずかに上がる。

「……へえ」

「私の下で動け」

命令だった。

だが、その裏にある意味は明白だった。

選別。

評価。

シルヴァンはほんの少しだけ考える。

そして肩をすくめた。

「……それって栄転ですか?」

軽く笑う。

レオニードは答えない。

ただ見ている。

試すように、測るように。

その視線をシルヴァンは受け止める。

逃げない。

逸らさない。

やがて。

「……まあ、いいですよ」

小さく笑った。

「面白そうだし」

その言葉の裏にあるものを、レオニードは見抜いている。

軽薄さの仮面と、その奥にある冷静さ。

そして、人を測る側の視点。

「……期待はするな」

短く言う。

だが、それは否定ではなかった。

むしろ逆だった。

シルヴァンはわずかに口元を歪める。

「はいはい」

軽く返す。

その瞬間、確かに居場所が決まった。

*

現在。

王宮の廊下。

シルヴァンはいつものように笑っていた。

「まあ、便利ではあるよ」

軽い口調。

「余計なことも見えるけどね」

その言葉に、ミレイユはわずかに目を細める。

見えるもの。

見えてしまうもの。

それを選べないこと。

どこか似ている。

だが、違う。

シルヴァンは触れない。

ただ観る――距離を保ったまま。

アルベルトはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。

「……面倒くさいやつだな」

「でしょ?」

即答だった。

シルヴァンは笑う。

何事もなかったかのように。

だが、その笑みの奥にあるものを、ミレイユは見ていた。

人を理解しすぎるからこそ距離を取る。

踏み込みすぎれば傷つくことを知っているから、最初から一歩引いて眺めている。

それは賢さなのかもしれない。

あるいは――諦めなのかもしれなかった。

その答えを、シルヴァン自身ですらまだ持っていないように思えた。

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