第24話:家族
公爵邸の食堂は、今朝もいつもと変わらない賑やかさに包まれていた。
大きな窓から差し込む朝日が長い食卓を照らし、焼きたてのパンの香りが漂っている。
その食卓に、今朝はテオドールの姿もあった。
昨夜、エルザのエスコート役として夜会に出席したテオは、そのまま客人として公爵邸に宿泊していた。
朝食に招かれること自体は、何もおかしくない。
おかしいのは、その扱いだった。
「テオドール様、こちらもいかがですか?」
満面の笑みを浮かべたマルガレーテが、料理の載った皿を差し出してくる。
「……ありがとうございます」
テオは頭を下げ、素直に受け取った。
客人として丁重にもてなされている。
そこまでは分かる。
だが、なぜだろう。
客人というより、以前からこの食卓にいた人間のように扱われている気がする。
しかも周囲には、それを疑問に思っている者が一人もいない。
テオは料理へ視線を落とした。
(……考えない方がいいな)
その様子を見ていたエドガーが口を開く。
「思ったより馴染んでいますね」
ヴァルターも頷いた。
「まだ一泊目ですけどねぇ」
「人を観察するのはやめてください」
思わずテオが返すと、ヴァルターは楽しそうに笑った。
一方、ライナーはそんなことなど気にもせず、パンをかじっている。
「もう住めよ!」
あまりにも雑な提案だった。
「勝手に決めるな」
エルザが真顔で切り返す。
だが、その否定には以前ほどの勢いがない。
テオは気づかなかったことにした。
その時、椅子が引かれる音がした。
テオの隣に腰を下ろしたのは、アロイスだった。
何も言わない。
ただ座った。
しかも近い。
テオの手が止まる。
(……近い)
アロイスは食事を始めるでもなく、こちらを見ていた。
正確には、観察している。
食べ方から姿勢、カトラリーの扱いまで、余すところなく。
完全に審査されていた。
さすがに見かねたミレイユが口を挟む。
「あなた、やめなさい。テオドールが食べにくいでしょう」
アロイスは妻を見る。
それからテオを見る。
結局、席は動かなかった。
「あなた?」
「……食事をしているだけだ」
「さっきから全然食べていませんよ」
アロイスは黙ってパンへ手を伸ばした。
テオは悟った。
(……慣れるしかないな)
諦めて食事を再開する。
その所作を見たマルガレーテが、感動したように胸元で手を組んだ。
「まあ……!やはりテオ様は素晴らしいです!」
何がだろう、とテオは思った。
「エルザ様と並ぶと、本当に絵になります……!」
そっちだった。
周囲のメイドたちまで、こそこそと囁き始める。
「お似合いよね……」
「ええ、本当に……」
「結婚式は春がいいかしら……」
「やめろ」
エルザが止めた。
しかし、もう遅い。
話は本人たちを置き去りにして、結婚式の日取りにまで進み始めている。
テオにもすべて聞こえていたが、反応しなかった。
おそらく、それが最適解である。
少し離れた席では、ディートハルトがエドガーを見ていた。
「……先生」
「何でしょう」
「これはもう、確定では?」
真面目な顔で尋ねる弟子に、エドガーは迷いなく頷いた。
「ええ。不可逆です」
何が不可逆なのかは、あえて誰も尋ねなかった。
ところが、それを聞いたライナーが勢いよく立ち上がった。
「よし!!」
嫌な予感しかしない。
「今日からテオは正式にシュタルク家の一員だ!!!」
「「「違う」」」
あらゆる方向から否定が飛んだ。
「あなたにその権限はありません」
エドガーが切り捨てる。
「手続きにも不備がありますねぇ」
ヴァルターまで加わった。
「勝手に決めるな」
エルザも再び否定する。
そして、アロイスが顔を上げた。
「……ライナー」
名前を呼ばれただけだった。
それなのに、ライナーの顔が引きつる。
「待て!俺はみんなの意見を代弁しただけだ!」
「していません」
「違いますねぇ」
「してない」
三方向から斬られた。
「理不尽!!!!!!」
まだ何もされていないのに、ライナーは叫んだ。
その直後、本当に椅子ごと引きずられていった。
いつものことである。
騒ぎが収まると、食卓は何事もなかったように元へ戻った。
テオはふと隣を見る。
エルザが普通に朝食を取っていた。
少し前なら考えられなかった。
公爵家の食卓で、彼女の隣に座って同じ時間を過ごすことが、いつの間にか日常になりつつある。
そして、自分自身もそれを以前ほど不思議に感じなくなっていた。
(……悪くない)
そんな感想が、ふと胸に浮かんだ。
テオは何も言わず、また食事へ戻った。
*
あくる日の昼。
公爵邸の食堂に、再びいつもの面々が集まっていた。
食事が始まって間もなく、ライナーが突然立ち上がる。
「聞け!!!」
全員の手が止まった。
嫌な予感しかしない。
そんな周囲の警戒など気にも留めず、ライナーは満面の笑みを浮かべた。
「俺に息子ができた!!!」
食堂から音が消えた。
全員がライナーを見る。
そして数秒後。
「「「は?????」」」
見事に声が揃った。
真っ先に口を開いたのはエルザだった。
「嫁さんいたのか」
心底不思議そうだった。
「二股をかけるつもりだったのですか」
エドガーが淡々と追撃する。
「下衆ですねぇ」
ヴァルターも容赦がない。
ミレイユまで、にこやかに頷いた。
「最低ね」
そしてアロイスが無言で立ち上がる。
ライナーの顔色が変わった。
「待て待て待て待て!!なんでそうなるんだ!?」
「お前が言ったんだろう」
「息子ができたとは言った!嫁ができたとは言ってねぇ!」
「では、誰の子ですか?」
ミレイユに尋ねられ、ライナーはようやく自分の説明不足に気づいたらしい。
「養子だよ!!姉貴の息子だ!」
アロイスが止まった。
「……養子?」
「そうだ!八人目が生まれたから、一人俺が引き取った!」
再び食堂が沈黙する。
今度は先ほどとは別の意味だった。
エルザが眉を寄せる。
「……ペットじゃないんだぞ」
「分かってるわ!!!」
ライナーが全力で反論した。
「別にその場の勢いでもらってきたわけじゃねぇ!前から姉貴たちとも本人とも話して決めてたんだよ!」
「最初からそう説明してください」
エドガーの指摘はもっともだった。
アロイスは椅子へ戻りながら、ライナーを見る。
「お前に育てられるのか」
今度の問いには、先ほどまでの冗談めいた雰囲気がなかった。
ライナーもそれを察したらしい。
すぐには答えず、アロイスを見返す。
「育てる」
短い答えだった。
「俺が引き取るって決めた。あいつも俺のところに来るって決めた。だったら、最後まで俺が面倒見る」
アロイスはしばらくライナーを見ていた。
「父親とは、そう安易なものではないぞ」
「分かってる」
ライナーは珍しく真面目に答えた。
――が。
次の瞬間には、にやりと笑う。
「まあ、俺はお前みたいなポンコツ親父にはならねぇけどな!」
食堂から、再び音が消えた。
エドガーがライナーを見る。
「……命知らずですね」
「何でだよ!本当だろ!」
「ライナー」
アロイスが立ち上がった。
「待て団長!!今のは親としての建設的な意見交換だ!!」
「どこがですか」
「午後に訓練所へ連れてくるから!!実際に会えば分かる!!!」
強引に話を終わらせ、ライナーは逃げた。
*
午後。
公爵家の訓練所には、いつもの面々が集まっていた。
そこへライナーが、一人の少年を連れてくる。
年の頃はディートハルトと同じくらいだろう。
少年は周囲から集まる視線にも物怖じせず、背筋を伸ばして前へ出た。
「初めまして!」
よく通る声だった。
「ルカと申します!」
きれいに頭を下げる。
その所作だけでも、きちんと躾けられていることが分かった。
そして顔を上げると、もう一度一礼した。
「父がお世話になっております!」
完璧だった。
あまりにも完璧だった。
周囲の視線が、ゆっくりとライナーへ移る。
「……本当に息子?」
誰かが呟いた。
全員が同じ疑問を抱いていた。
「だから養子だって言ってるだろ!!」
ライナーが叫ぶ。
エルザはルカの顔をじっと見つめた。
「……いや」
何かに気づいたように、目を細める。
「似ている」
「だろ!?」
ライナーが嬉しそうに胸を張った。
確かに血縁だけあって、よく見れば面影がある。
エドガーも二人を見比べる。
「生き写しとまではいきませんが、似ていますね」
ヴァルターが頷いた。
「ただし礼儀あり」
「おい!」
ミレイユが笑いを堪えながら二人を見る。
「どちらが親か分からないわね」
「おい!!!!」
ライナーだけが納得していなかった。
*
「幼い頃から、俺が剣を仕込んでるからな!」
ライナーは得意げだった。
「なかなかやるぞ!」
その言葉を聞いたエルザが、一歩前へ出る。
「……なら、手合わせしてやる」
ルカの顔がぱっと明るくなった。
「よろしくお願いします!」
元気よく頭を下げ、木剣を受け取る。
二人が向かい合って構えると、周囲にいた見習いたちも興味深そうに集まってきた。
開始の合図とともに、ルカが踏み込む。
速い。
奇をてらわない、素直な剣筋だった。
基本に忠実だからこそ誤魔化しが利かず、これまで積み重ねてきた鍛錬がそのまま動きに現れている。
エルザは最初の一撃を受け、わずかに目を見開いた。
(……悪くない)
続けて数合。
もちろん、力量差は大きい。
それでもルカは簡単には崩れなかった。
弾かれれば踏みとどまり、間合いを取られれば追い、一撃でも多く届かせようと木剣を振るう。
次第に額へ汗が滲み、呼吸も荒くなっていく。
それでも楽しそうだった。
エルザの一撃を辛うじて受け止め、ルカが目を見開く。
「やばっ!」
押し切られそうになりながらも、どうにか踏ん張った。
「エルザ様、強ぇぇ!!」
先ほどまでの丁寧な少年はどこへ行ったのか。
「うわっ、無理無理無理!」
大笑いしながら必死に食らいついている。
押されているのに、悔しがるより楽しんでいた。
その姿を見たライナーも腹を抱えて笑う。
「いいぞ、ルカ!そこだ!」
「無茶言うな親父!」
「口答えする余裕があるなら動け!」
「やってるって!」
周囲の騎士たちからも笑いが漏れた。
エドガーはルカの動きを見ながら頷く。
「なかなかやりますね」
「そりゃ俺の息子だからな!」
ライナーは自分が褒められたように胸を張った。
やがてエルザが鋭く踏み込み、ルカの木剣を弾き飛ばした。
ルカは無理に追わなかった。
素直に負けを認めて距離を取り、乱れた呼吸を整える。
そして背筋を伸ばすと、先ほどまで大笑いしていた少年とは思えないほどきれいに頭を下げた。
「ありがとうございました!」
エルザも木剣を下ろす。
「……期待株だな」
短い言葉だった。
だが、エルザが他人の剣を褒めるのは珍しい。
ルカの顔が輝いた。
「ありがとうございます!」
その様子を見ていたライナーは、誰よりも嬉しそうだった。
*
手合わせが終わると、ディートハルトがルカへ近づいた。
「同い年だと聞きました」
「そうです!」
ルカはすぐに笑顔を向ける。
ディートハルトは少し迷ってから、先ほどの手合わせについて話し始めた。
「最後の方の踏み込みですが、少し重心が前に寄りすぎていました。勢いは出ますが、対応された時に体勢を崩しやすくなります」
「そうなんですか?」
ルカはその場で構え直し、実際に踏み込んでみる。
何度か試したあと、目を丸くした。
「……あ、本当だ」
思わず素の口調が漏れたらしい。
ルカは少し気まずそうにディートハルトを見る。
「すみません」
「いえ、気にしないでください」
ディートハルトはもう一度、ルカの足元を見る。
「もう少し後ろへ重心を残した方が、次の動きへ移りやすいと思います」
「ありがとうございます!」
ルカは素直に頭を下げ、それから感心したようにディートハルトを見た。
「すごいですね、ディートハルト様」
「姉上とエドガー先生に教わっていますので」
「なるほど……」
ルカは何度か頷いていたが、ふと首を傾げた。
「あの」
「はい?」
「ディートハルト様って、長いですよね」
「……長い?」
「呼ぶのが」
あまりにも率直な答えに、ディートハルトが目を瞬かせる。
ルカは少し考えてから、無邪気に尋ねた。
「長いから、ディーって呼んでいいですか?」
ディートハルトは驚いた。
これまで同年代の相手から、そんなふうに愛称で呼びたいと言われたことはほとんどない。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
「……構いません」
「ほんとですか?」
「はい」
「じゃあ、ディー!」
早速呼ばれて、ディートハルトの口元がわずかに緩む。
「では、私もルカと」
「もちろん!」
ルカは嬉しそうに笑った。
それから少しだけ迷い、今度は遠慮がちに尋ねる。
「あと……敬語もやめていい?」
とうとう口調まで崩れた。
ディートハルトは目を瞬かせたが、ルカは気づかない。
「だって、同い年だろ?」
さっきまで「ディートハルト様」と呼んでいた少年が、もう楽しそうに笑っている。
ディートハルトには、こうした距離の縮め方が少し眩しかった。
「……分かった」
自分も敬語をやめてみる。
「じゃあ、よろしく……ルカ」
まだ少しぎこちない。
それでもルカは、ますます嬉しそうに笑った。
「おう!よろしくな、ディー!」
*
少し離れた場所では、エドガーとライナーが二人の様子を見ていた。
ルカは早速ディートハルトに何かを尋ね、教わった通りに何度も踏み込みを試している。
それを見ていたライナーが、ふっと笑った。
「……いいな」
いつもの大声ではなかった。
エドガーも頷く。
「ええ」
「気が合いそうだ」
「そのようですね」
しばらくして、ライナーが腕を組んだ。
「あいつら、ちゃんと組めば面白くなるぞ」
エドガーも二人から目を離さない。
「ディートハルト様の魔術と、ルカの剣。互いの不得手を補える組み合わせです」
「だろ?」
またライナーが得意げになる。
「別にあなたを褒めたわけではありません」
「いいだろ!俺の息子なんだから!」
エドガーはそれには答えず、もう一度少年たちを見る。
「……楽しみですね」
「ああ」
今度は、ライナーもそれ以上騒がなかった。
訓練所では、二人の少年が何かを話しながら笑っている。
ディートハルトにとっては、初めてできた同年代の友人。
ルカにとっては、これから共に歩いていくことになる仲間。
そしてライナーには、新しい家族ができた。
その始まりとしては、悪くない一日だった。




