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選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
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第21話:届かなかった距離

朝。

公爵邸、エルザの部屋。

エルザは鏡の前に立ち、珍しく落ち着かない様子で自分の姿を眺めていた。

今日は鎧ではない。

動きやすさを残しながらも、いつもの訓練着より柔らかな印象の街歩き用の服。

髪もきちんと整えられ、控えめな飾りまでつけられている。

つまり、いつもとは少し違う自分だった。

そして、その周囲をメイドたちが取り囲んでいる。

「完璧です!!」

「全力で可愛いです!!」

「シュタルク家の家宝です!!」

口々に絶賛され、エルザは眉を寄せた。

「……大げさだ」

そう言いながらも、鏡に映る自分を気にしている。

「似合わないとか言ってきたら……」

ぽつりと呟くと、メイドの一人が即答した。

「暗殺者を雇います」

「……」

エルザが黙り込む。

その横で、ルドルフが疲れたように呟いた。

「……公爵家はどこへ」

誰も答えなかった。

*

玄関前では、テオが待っていた。

こちらも鎧ではなく、簡素ながらきちんと整えられた服装をしている。

やがてエルザが姿を現すと、テオの視線が止まった。

ほんのわずかな変化だった。

だが、エルザは見逃さなかった。

心臓が跳ねる。

「……おかしくないか」

確かめるように尋ねる。

「似合ってる」

返事はすぐに返ってきた。

エルザは固まった。

「……そうか」

それだけ返すのが精一杯だった。

耳が熱い。

一方のテオも、なぜかすぐには歩き出さなかった。

だが、その理由を口にすることはなく、

「行くか」

「ああ」

二人は並んで歩き出した。

*

昼前の街は、多くの人で賑わっていた。

焼き菓子を売る屋台から甘い香りが漂い、行き交う人々の話し声が絶えない。

二人はそんな通りを並んで歩いていた。

そして、その手は自然に繋がれている。

前回とは違う。

偶然触れたからではない。

どちらからともなく手を伸ばし、今度は互いに分かっていて繋いだ。

エルザの指に少し力が入る。

テオも、それに応えるように握り返した。

言葉はなかった。

それでも、今はそれでよかった。

しばらく歩いたところで、エルザが思い出したように言う。

「……ディーに土産を買ってやりたい」

「菓子か?」

「そうだ」

もちろん、弟への土産だ。

それ以外の理由などない。

――たぶん。

テオは頷き、焼き菓子の屋台へ向かった。

*

その少し離れた物陰。

三人の男が、完全に不審者と化していた。

「……あいつ」

ライナーが眉間に皺を寄せる。

「俺の嫁と手ぇつなぐとか、二十年早ぇ!」

今にも飛び出しそうな勢いだった。

「地獄の訓練かましてやる……」

「嫁ではありません」

エドガーが訂正する。

「婿でもありません。あと、職権乱用です」

冷静な三連撃だった。

挿絵(By みてみん)

その隣では、ヴァルターが二人の様子を眺めながら頷いている。

「順調ですねぇ」

「どこがだ!」

「初回に比べれば、ずいぶん自然になりましたねぇ」

ライナーが勢いよく振り向いた。

「なんで知ってんだよ!?」

「見ていましたので」

「お前もかよ!!」

エドガーが眼鏡の位置を直す。

「今さらでしょう」

「お前ら何なんだよ!!」

ヴァルターは気にした様子もない。

「しかし、想定より進展が早いですねぇ」

「早すぎる!親を見習え!」

「両親は、むしろ進展が遅すぎました」

エドガーの返答は容赦がなかった。

*

やがて二人は賑やかな通りを離れ、人通りの少ない裏道へ入った。

石畳を踏む足音が響く中、前方から複数の男たちが近づいてくる。

左右からも、後ろからも。

逃げ道を塞ぐように現れた男たちは、着崩れた服に濁った目をしていた。

「いい格好してるじゃねぇか」

一人が下卑た笑みを浮かべる。

「少しくらい恵んでくれてもいいんじゃねぇか?」

エルザの表情が変わった。

反射的に前へ出ようとして、今日が丸腰であることを思い出す。

帯剣していない。

護身用の短剣もない。

その瞬間、テオが前へ出た。

「下がってろ」

視線は男たちから外さない。

一人が踏み込んでくる。

拳が迫るより早く、テオはその手首を流し、体勢を崩した。

そのまま地面へ叩きつける。

続いて二人目。

蹴りをかわし、腹へ一撃を叩き込む。

男が呻きながら崩れ落ちた。

だが、数が多い。

正面へ意識を向けた瞬間、別の男が横からエルザへ腕を伸ばした。

テオが振り向く。

間に合わない。

あと半歩。

その距離が、届かない。

だがエルザも、黙って掴まれるような人間ではなかった。

伸びてきた腕を払い、身体を捻る。

そのまま相手の懐へ踏み込もうとした、その時。

「誰の女に手ぇ出してやがる!!」

爆音のような怒声が路地に響いた。

次の瞬間、男が横から吹き飛んだ。

「……」

エルザが止まる。

ライナーだった。

完全にキレている。

殴る。

倒す。

さらに殴ろうとする。

「ライナー!!」

エルザが叫んだ。

「やめろ!ここは戦場じゃない!殺すな!!」

挿絵(By みてみん)

「……チッ」

振り上げられた拳が止まる。

どう見ても、あと一発は入れるつもりだった。

そこへエドガーが歩み寄った。

「はいはい。そこまでです」

ライナーを男から引き離しながら、淡々と付け加える。

「それと、ライナーの女ではありません」

「そこじゃねぇだろ!!」

「重要です」

「重要じゃねぇ!!」

少し遅れて、ヴァルターも姿を現した。

倒れた男たちを見回し、平然と言う。

「全員生きていますね。結構です」

「お前は何しに来たんだよ!」

「状況確認です」

「戦え!!」

「あなたが全部倒したでしょう」

「理不尽!!」

エルザは額を押さえた。

テオだけが、何も言わなかった。

*

騒ぎが収まったあとも、テオは自分の拳を握りしめていた。

エルザは無事だった。

そもそも、あの程度の相手ならエルザ自身でも対処できただろう。

分かっている。

それでも、頭から離れない。

あと半歩。

自分の手は、届かなかった。

(……守れなかった)

その事実だけが残った。

エルザは、そんなテオの変化には気づいていなかった。

彼女にとって大切なのは、誰も大きな怪我をしなかったことだった。

だがテオの中には、悔しさが残った。

そして、それは数日経っても消えなかった。

*

夜明け前の公爵家訓練所では、まだ誰もいない場内に、乾いた打撃音だけが響いていた。

テオは剣を持たず、素手で間合いを詰めては打ち、崩し、引き、再び踏み込む動きを繰り返している。

普段から無駄の少ない動きをする男だったが、今日はいつも以上に速度と精度を意識していた。

脳裏から離れないのは、数日前の裏通りでの出来事だった。

エルザへ伸びた男の手。

それを止めようとして、自分には届かなかった、あと半歩。

(……遅い)

もう一度踏み込む。

さっきより速く。

さらにもう一度。

呼吸が荒くなっても、テオは動きを止めなかった。

エルザは無事だったし、あの程度の相手なら、彼女自身でも十分に対処できただろう。

それくらいは分かっている。

それでも、自分が間に合わなかったという事実だけは消えなかった。

次は届きたい。

そのために、今の自分に足りないものを埋める。

ただ、それだけを考えながら、テオは何度も同じ動きを繰り返した。

*

数日後。

エルザは訓練場の端から、テオの姿を見ていた。

最近のテオは、以前より早く訓練所へ来るようになっていた。

訓練量も明らかに増えている。

それだけなら、特に気にすることでもなかった。

問題は、そのあとだった。

訓練を終えるとすぐにその場を離れ、以前ほどエルザと言葉を交わそうとしない。

避けられている。

そう感じるには十分だった。

(……何だ)

理由に心当たりがないわけではない。

おそらく、あの日のことだ。

けれど、それだけではどうしても納得できなかった。

気づけば、エルザはテオのもとへ歩いていた。

「テオ」

声をかけると、テオが振り向く。

「……何だ」

返事はいつも通りだった。

それでも、やはりどこか距離がある。

エルザはまっすぐ彼を見る。

「最近、様子がおかしい」

あまりにも直接的な言い方だったが、遠回しに尋ねるつもりはなかった。

テオはしばらく黙ったあと、わずかに視線を逸らした。

「……問題ない」

「問題あるだろう」

エルザは一歩近づいた。

「避けている」

その言葉に、テオの動きが止まる。

すぐには答えなかった。

何かを言おうとして、やめる。

もう一度口を開きかけ、結局また黙る。

やがて諦めたように息を吐いた。

「……守れなかった」

エルザの表情が変わる。

「お前を。あの時、俺は間に合わなかった」

テオは視線を落としたまま、拳を握った。

「結局、ライナー副団長が先に間に入った」

「テオ」

「もっと強ければ、俺が届いた」

そこでようやく、エルザにはこの数日、テオが何を考えていたのかが分かった。

そして同時に、少し腹が立った。

「……私は弱くない」

テオが顔を上げる。

「守られるだけの存在じゃない」

「分かってる」

「分かってない」

エルザはさらに一歩近づき、正面から彼を見た。

「お前は今、自分一人で私を守れなかったことを悔しがっている。でも、私はお前の後ろに隠してもらいたいわけじゃない」

テオは何も言わなかった。

「私も戦えるし、お前も戦える。だったら、それでいいだろう」

「……」

「どちらか一人が全部やる必要なんてない」

そう言ってから、エルザは少しだけ声を和らげた。

「お前が隣にいるなら、それでいい」

テオの瞳がわずかに揺れた。

すぐには返事がない。

けれど今度の沈黙は、逃げるためのものではなかった。

テオはエルザの言葉を、自分の中へ落とし込むように考えていた。

守るか、守られるか。

どちらか一方だけが前に立つ必要はない。

二人とも戦えるのなら、並んで立てばいい。

少し前、エルザがテオを見てようやく知ったその強さに、今度はテオが辿り着こうとしていた。

やがてテオは、肩から力を抜くように息を吐いた。

「……そうか」

「ああ」

「なら、次は」

テオはエルザの隣へ移動した。

「一緒に対処する」

エルザの口元が、ほんの少し緩む。

「当然だ」

二人はそのまま並んで立った。

前に出る者と、後ろで守られる者ではない。

互いに自分の足で立ち、必要な時には支え合う。

それでいいのだと、ようやく二人とも分かり始めていた。

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