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選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
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第20話:気に入らない理由

公爵家訓練所では、午後の日差しが傾き始めていた。

木剣のぶつかり合う音が規則正しく響く中、エルザは訓練場の端に立ち、周囲を見渡していた。

その視線が、ふと止まる。

テオだった。

同じ騎士見習いの少女と話をしている。

短く結んだ髪を揺らしながら、少女は楽しそうに笑っていた。

「さっきの動き、本当にすごかった!」

「まだ改善の余地はある」

テオはいつも通り淡々としている。

それでも相手の目を見て話しているし、会話も自然に続いていた。

少女は楽しそうで、テオもどことなく表情が柔らかい。

それを見た途端、エルザの胸がざわついた。

(……何をしている)

そんな考えが浮かんで、自分でも戸惑う。

ただ話しているだけだ。

何も問題はない。

そう思って目を逸らした。

だが、気になる。

もう一度見れば、二人はまだ話していた。

エルザの眉が寄る。

そして気づいた時には、二人の前まで歩いていた。

「テオ」

二人が振り向く。

少女は少し驚いた顔をしたが、テオはいつも通りだった。

「どうした?」

「……」

呼び止めたものの、用事などない。

それでも今さら引き返すわけにもいかず、エルザはとっさに言った。

「……次の組み合わせだ」

苦し紛れだった。

「分かった」

テオは素直に頷く。

少女が少し残念そうに笑った。

「またあとでね」

「時間があれば」

その返事を聞いた途端、また胸がざわついた。

エルザは踵を返し、いつもより速い足取りで歩き出す。

ほどなく、後ろから足音が追いついてきた。

「……怒っているのか?」

テオだった。

「怒っていない」

少し強めに答える。

「なら、なぜだ?」

真っ直ぐ尋ねられ、エルザは困った。

自分にも分からないのだ。

足を止め、視線を落とす。

「……知らない」

それが本音だった。

理由も分からない。

説明もできない。

「ただ……」

どうにか言葉を探す。

「気に入らないだけだ」

口にしてみても、あまりに曖昧だった。

子供じみているし、理屈にもなっていない。

テオは何も言わなかった。

ただ、エルザの言葉を待っている。

「……自分でも分からない」

人前では滅多に口にしない言葉だった。

テオは少し考えてから答えた。

「そういうものかもしれない」

「……そういうもの?」

「ああ。分からないなら、分かるまで考えればいい」

エルザは目を瞬いた。

あまりにも単純な答えだった。

けれど、不思議と腑に落ちた。

分からないことが悪いわけではない。

今すぐ答えを出さなくてもいい。

いつか分かればいい。

「……そうだな」

エルザは前を向いた。

「行くぞ」

「ああ」

二人は並んで歩き出した。

胸にあるものの正体は、まだ分からない。

けれど、もう逃げたいとは思わなかった。

むしろ今は、知りたいと思っていた。

*

翌朝。

公爵邸の自室で、エルザは鏡の前に立っていた。

いつもなら、迷うことなく髪をまとめる。

高い位置で結んだポニーテールは、訓練の邪魔にならないことだけを考えた髪型だった。

だが今日は、机の上に置かれた小さな箱が気になっていた。

昨日、メイドたちから渡されたものだ。

――まずは、こういうところからです。

箱を開くと、細いリボンが入っている。

華美なものではない。

それでも、今までの自分なら選ばなかったものだった。

エルザはしばらく眺めた。

(……別に)

誰にするでもない言い訳が浮かぶ。

(邪魔にはならなそうだ)

髪へ結んでみる。

鏡を見る。

ほとんど変わらない。

それでも、いつもの自分とは少し違った。

「……こんなものか」

落ち着かない。

けれど、外そうとは思わなかった。

*

訓練所は今日も変わらない。

木剣の音と掛け声が響く中、エルザもいつも通り訓練に参加していた。

ただ、周囲の騎士たちは何となく違和感を覚えていた。

(……あれ?)

(何か違うな)

誰も口にはしない。

というより、本人に言う勇気がない。

そんな中、休憩に入るとテオが近づいてきた。

「次はどうする?」

「……ああ、組み替えを――」

そこまで言ったところで、テオの視線が動いた。

髪へ。

ほんの一瞬だった。

それだけで、エルザの心臓が跳ねる。

「……それ」

「なんだ」

努めて平静に返す。

「似合う」

あまりにも自然に言われた。

エルザの思考が止まる。

「……は?」

「邪魔にもならなそうだし、いいと思う」

どうやら実用性まで含めた評価らしい。

それでも、最初に出てきた言葉は確かに「似合う」だった。

エルザは視線を逸らす。

耳が熱い。

「……そうか」

それだけ返すので精一杯だった。

テオはもう話を戻している。

「それで、組み替えは?」

「……ああ」

頷きながらも、頭の中では先ほどの言葉が繰り返されていた。

――似合う。

たったそれだけなのに、妙に嬉しい。

嫌ではない。

むしろ。

もう少し、聞きたい。

そんなことまで思ってしまった。

*

翌日。

訓練場の端で、騎士見習いの一人がエルザを眺めていた。

「……なんか変わったよな」

隣にいた男も頷く。

「ああ。前より話しかけやすくなったっていうか」

「正直、かなりアリだと思う」

別の男が腕を組む。

「俺は前から可愛いと思ってたけどな」

少しの沈黙。

「嘘つけ」

小さな笑いが起こった。

当のエルザは気づく様子もなく、訓練を続けている。

髪には小さな飾り。

以前より、ほんの少しだけ身なりを気にするようになった。

けれど剣は鈍っていない。

むしろ、以前より洗練されていた。

*

やがてエルザは、テオと向かい合った。

互いに木剣を構える。

合図と同時に、エルザが踏み込んだ。

鋭い一撃を、テオが受ける。

さらに二撃、三撃。

以前のように力だけで押し切ろうとはしない。

相手の力を受け、流し、そのまま次の攻撃へ繋げる。

必要な力だけを使い、無駄を削ぎ落とした剣。

数合打ち合ったところで、二人は距離を取った。

「……最近、いいな」

テオが何気なく言った。

エルザが止まる。

「……え?」

胸が浮き上がる。

だが。

「剣筋が柔軟になった。前より力みに頼らなくなってる」

「……」

「何か心境の変化でもあったのか?」

純粋な疑問だった。

行き場を失った期待とともに、エルザは視線を逸らす。

「……別に」

耳だけが赤い。

当然、テオは気づかない。

「そうか」

*

一連のやり取りを見ていた見習いたちは、ほぼ同時に息を吐いた。

「「「鈍感すぎる……」」」

見事な合唱だった。

少し離れた場所では、エドガーが腕を組んで二人を見ている。

「予想通りですね」

その隣でヴァルターも頷いた。

「通常運転ですねぇ」

ディートハルトが肩を落とし、エドガーを見上げる。

「……これは時間がかかりそうですね、先生」

「ええ」

エドガーは頷いた。

「ですが、悪くありません」

その口元が、ほんの少し緩んでいた。

*

手合わせが終わると、訓練場にはいつものざわめきが戻った。

ライナーが満足そうに腕を組む。

「いいじゃねぇか!」

今日も声が大きい。

「どんどん嫁らしくなってるな!」

周囲の動きが止まった。

そして。

「「「違う」」」

全方向から否定が飛んだ。

ライナーが目を瞬かせる。

「は?」

ヴァルターが指摘する。

「嫁ではなく婿ですねぇ」

エドガーが額を押さえた。

「違います。そこではありません」

ディートハルトもため息をつく。

「……論点が崩壊しています」

だが、ライナーは食い下がった。

「いや待て!エルザは公爵嫡女だろ!?だったら俺は婿だろ!?」

「そういう問題ではありません」

「修正不能ですねぇ」

「ひどい!!!!」

ライナーの絶叫が、今日も訓練場いっぱいに響き渡った。

*

訓練が終わる頃には、空は夕暮れの色に染まっていた。

片付けを終えたエルザが訓練所を出ると、少し先を歩いていたテオが足を止める。

「エルザ」

「なんだ」

テオは少し考えてから口を開いた。

「今度の休み、空いてるか?」

「……空いているが」

「街へ行こうと思ってる」

「そうか」

テオはそこで、わずかに視線を逸らした。

「……一緒に来るか?」

エルザは目を瞬いた。

いつものテオなら、用件はもっと簡潔に言う。

なのに今日は、ほんの少しだけ言葉を選んでいるように見えた。

エルザは黙った。

あまりにも自然な誘いだった。

特別な意味などないのかもしれない。

訓練用の道具でも見に行くのかもしれない。

単に、一人より二人の方が都合がいいだけかもしれない。

それでも。

「……行く」

返事だけは驚くほど早かった。

「なら、朝に迎えに行く」

「ああ」

それだけで話は終わった。

テオは再び歩き出し、エルザも隣に並ぶ。

しばらく歩いていると、ふと、二人の手が触れた。

エルザがわずかに指を引く。

その時、テオも足を緩めた。

視線が、一度だけ触れた手へ落ちる。

何かを考えるように黙り込み、それからエルザを見る。

「……嫌なら言ってくれ」

「何がだ」

テオは答えず、もう一度だけ手元へ視線を落とした。

そして、ためらいがちに指先を重ねる。

エルザの呼吸が止まった。

「……テオ」

「嫌か?」

「……嫌ではない」

その答えを聞いてから、テオはようやく手を握った。

挿絵(By みてみん)

それ以上、二人は何も言わなかった。

夕暮れの道を、ただ並んで歩く。

昨日までと同じ道。

けれど今日は、二人の手が繋がっていた。

*

その夜。

公爵邸のエルザの部屋から、メイドの絶叫が響いた。

「街へ!?二人でですか!?」

「声が大きい」

「それを先に言ってください!!」

「何がだ」

「明日の準備です!!」

「ただ街へ行くだけだぞ」

「ただ街へ行くだけだから重要なんです!!」

エルザには意味が分からない。

だが数分後には、衣装棚が全開になり、机の上には髪飾りがずらりと並べられていた。

「……何をしている」

「戦支度です」

「街へ行くだけだと言っているだろう」

「エルザ様」

メイドの一人が真剣な顔で振り返る。

「これは戦です」

「違う」

エルザは即答した。

しかし、誰も聞いていなかった。

「髪型どうします!?」

「服はこちらの方が!」

「待ってください、その髪飾りは可愛すぎます!」

「可愛すぎて何が悪いんですか!」

「……」

騒ぎの中心で、エルザは深く息を吐いた。

ただ街へ行くだけだ。

テオと二人で。

それだけなのに。

なぜか胸の奥は、明日の訓練を待つ時とはまったく違う落ち着かなさに満ちていた。

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