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選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
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第17話:それぞれの強さ

公爵家訓練所に、乾いた剣戟の音が響いていた。

靴底が砂を踏みしめる音と、鋼と鋼が打ち合う音が鋭く空気を裂いていく。

その中心に立っているのは、十四歳になったエルザだった。

構えは簡素で、無駄がない。

魔力を使っている気配もまったく感じられない。

それでも、彼女は強かった。

エルザが一歩踏み込む。

その動きは速い。騎士が反応するより先に間合いを潰し、振り下ろした剣が相手の剣を大きく弾き飛ばす。

そこからは一方的だった。

連撃を重ね、相手に防御する暇すら与えない。

最後の一撃が叩き込まれると、騎士は「ぐっ……!」と呻きながら膝をついた。

勝負あり。

エルザは静かに剣を下ろした。

呼吸はほとんど乱れておらず、額に浮かんだ汗もわずかだった。

周囲では、倒れた騎士たちを見ながらざわめきが広がっている。

「……魔力、使ってないよな?」

「全部、剣だけだぞ……」

「ありえねぇ……」

だが、ありえていた。

訓練場の中央に立つ少女が、その事実を証明している。

挿絵(By みてみん)

「……次期鉄血公爵は決まりだな」

誰かが呟くと、ライナーが豪快に笑った。

「いいぞ、いいぞ!!もっとやれ!!」

完全に楽しんでいる。

エルザはちらりとライナーへ視線を向けると、ほんの少しだけ口元を上げた。

「……まだいける」

その短い返答に、ライナーは満足そうに頷く。

「いいねぇ、その顔だ!」

だが、そこで余計なことを思いついたらしい。

「でもなぁ、ほどほどにしないと婿さん来ないぞ!」

訓練場の空気が、ぴたりと止まった。

エルザは少し考えるように黙ったあと、真顔で答えた。

「それも困ったな」

「……え?」

ライナーが固まる。

エルザは少し考え、それからライナーを見た。

「ライナー、お前が婿に来ればいいじゃないか」

あまりにも自然な口調だった。

だからこそ、破壊力があった。

訓練場から音が消え、風だけが静かに吹き抜ける。

ヴァルターが淡々と追撃した。

「これ以上ない最適解ですねぇ」

「え、え、はぁぁぁあ!?」

ライナーが完全に混乱した、その瞬間だった。

そのとき、背後から凄まじい殺気を感じた。

全員が振り向く。

アロイスが立っていた。

無言だった。

だが、完全に聞いている。

数秒の沈黙の後、低い声が響いた。

「エドガー」

「はい」

「……あいつを処分しろ」

即断だった。

「待て待て待て待て!!」

ライナーが必死に叫ぶ。

エドガーは冷静そのものだった。

「社会的にですか?物理的にですか?」

「物騒なこと言うな!!」

ライナーが叫ぶ。

しかし、アロイスは迷わなかった。

「物理的にだ」

「塵も残すな」

「理不尽!!」

ライナーの悲鳴が訓練場に響き渡る。

その様子を見ていたエルザは、不思議そうに首を傾げた。

「……いい案だと思ったんだがな」

本気だった。

ヴァルターは即座に答える。

「今のところ、賛同は得られそうにありません」

容赦がない。

少し離れた場所から一部始終を見ていたミレイユは、小さくため息をついた。

「……もう」

呆れた声だったが、その口元には笑みが浮かんでいた。

*

訓練が終わり、騎士たちが引き上げた後も、エルザはしばらく訓練場の中央に立っていた。

その姿を、少し離れた場所から見つめている小さな影がある。

ディートハルト。

八歳になった少年は、まだ幼さの残る顔で姉を見上げていた。

「……姉上は、すごいなぁ……」

ぽつりと呟く。

そこには純粋な憧れがあった。

けれど同時に、ほんの少しだけ寂しさも混じっている。

やがてディートハルトは自分の手へ視線を落とした。

細い指。

まだ剣を振るうには頼りない手だ。

無意識に唇を結ぶ。

その様子を、エドガーは少し離れた場所から静かに見ていた。

何も言わない。

ただ、少年が何に悩み始めているのかを理解していた。

*

公爵邸の図書室は、午後の静けさに包まれていた。

高い天井まで届く本棚には整然と書物が並び、窓から差し込む柔らかな日差しが床に淡い光を落としている。

その一角で、ディートハルトは椅子に座って本を開いていた。

けれど、読んではいなかった。

文字は目に入っているのに、頭には何も残らない。

同じ行を何度も追っていることに気づき、とうとう諦めるように本を閉じた。

ぱたり、と小さな音が響く。

「……はぁ」

ため息がこぼれた。

頭から離れないのは、先ほど見た姉の姿だった。

強かった。

圧倒的だった。

誰よりも速く、誰よりも強く、騎士たちを次々と打ち倒していく姿は、本当に格好よかった。

誇らしかった。

姉であることが嬉しかった。

だからこそ、胸の奥が少しだけ苦しかった。

「……悩んでいますか?」

静かな声がした。

顔を上げると、いつの間に入ってきたのか、エドガーが立っている。

相変わらず気配がない。

「……うん」

ディートハルトが素直に頷く。

エドガーは急かさず、ただ静かに待った。

しばらくして、ディートハルトがぽつりと口を開く。

「僕は、強くないから」

小さな声だった。

「姉上みたいに剣も使えないし……父上みたいにもなれない」

鉄血公爵。

誰もが恐れ、誰もが認める英雄。

その息子なのに、自分には何もない。

ディートハルトは俯いたまま、苦しそうに続けた。

「戦えないシュタルクは……いる意味あるのかな」

言ってしまってから、少しだけ後悔する。

情けないと思った。

けれどエドガーは、すぐには否定しなかった。

しばらく考えるように目を閉じ、それから静かに口を開く。

「……私は剣で戦う人間ではありません」

ディートハルトが顔を上げる。

「戦場で敵を斬り伏せることもできません。ですが、私は今もシュタルク家にいます」

それは事実だった。

エドガーは騎士ではない。

武人でもない。

それでも、シュタルク家にとって欠かせない存在だ。

「戦い方は、剣を持つことだけではありません」

穏やかな声だった。

「剣を持たないからこそ、見えるものもあります」

ディートハルトは黙って聞いている。

エドガーはそんな少年を見つめながら、静かに問いかけた。

「ディートハルト様にあるものは、何ですか?」

答えを教えるのではなく、自分で考えさせるための問いだった。

ディートハルトは視線を落とし、しばらく考える。

自分にあるもの。

自分だけのもの。

何だろう。

やがて、ゆっくりと口を開いた。

「僕には……」

一度、息を吸う。

「姉上を守りたい気持ちは、誰にも負けません」

真っ直ぐな答えだった。

迷いのない本音だった。

けれど、その直後に肩を落とす。

「……だけど、どうしたらいいのかわからない」

その言葉に、エドガーはわずかに目を細めた。

そして、静かに告げる。

「ディートハルト様は、魔力をお持ちです」

ディートハルトが固まった。

「……え?」

思わず顔を上げる。

エドガーは続けた。

「本来なら、もう少し成長してからお話しする予定でしたが……今ならいいでしょう」

そして尋ねる。

「試してみますか?」

ディートハルトの目が大きく見開かれた。

「僕……魔術師になれるの?」

そこには、はっきりと希望が滲んでいた。

エドガーは頷く。

「学べば」

短い返事だった。

けれど、それで十分だった。

ディートハルトの顔がぱっと明るくなる。

少し迷い、少し考えた後、それでも最後には決意したように顔を上げた。

「エドガーさん」

「はい」

「教えてくれる?」

まっすぐな瞳だった。

エドガーは即答する。

「もちろんです」

ディートハルトは嬉しそうに笑った。

そして、少しだけ照れながら言う。

「じゃあ……エドガー先生」

挿絵(By みてみん)

その瞬間。

(ズギュウゥゥゥン!)

エドガーの思考が停止した。

(……尊い)

危なかった。

本当に危なかった。

(なんですか、今の)

(反則では?)

(先生と呼びましたね……?)

心の中で盛大に崩壊している。

だが、表情は変わらない。

完璧な無表情だった。

「ええ」

どうにか平静を保ったまま、エドガーは頷いた。

「それでは、授業を始めましょう」

表情だけは完璧だった。

内側については、もう手遅れだった。

*

翌朝。

訓練区画には、まだ冷たい空気が残っていた。

石畳の中央に立つディートハルトの前には、エドガーがいる。

二人は十分な距離を取っていた。

教えるためであり、同時に、安易に助けないためでもある。

「では、始めましょう」

「はい」

ディートハルトは真剣な顔で頷き、両手を少し前へ出した。

深く息を吸い、意識を集中させる。

魔力を探す。

だが、何も起こらない。

沈黙だけが流れていった。

「……むずかしい」

ぽつりと漏らすディートハルトに、エドガーは動じることなく答える。

「焦る必要はありません。魔力は力ではなく、流れです」

理論は教える。

「掴むのではなく、感じてください」

だが、手は貸さない。

自分自身で辿り着かなければ意味がないからだ。

ディートハルトはもう一度目を閉じた。

呼吸を整え、何度も繰り返す。

それから数日、ディートハルトは毎日少しずつ練習を続けた。

だが、なかなか成果は出ない。

魔力を探そうと意識を集中させても、何も感じられない。

エドガーは理論を教え、助言はする。

けれど、答えそのものを与えることはなかった。

「……できない」

何度目かの練習を終えたある日、ディートハルトが俯いた。

その言葉に、エドガーの指先がわずかに動いた。

助けるべきか。

教えるべきか。

一瞬だけ迷う。

けれど――。

「続けてください」

そう言うだけだった。

ディートハルトは唇を噛み、それでも頷く。

「……はい」

諦めない。

もう一度、挑戦する。

夕方。

日が傾き始めた頃だった。

ディートハルトは、何度目かの集中に入った。

今までとは少し違っていた。

もう、探そうとはしない。

無理に掴もうともしない。

ただ、そこにあるものへ触れるように、静かに意識を向ける。

その瞬間――。

ふっと、何かが繋がった。

指先が温かくなる。

その周囲に、小さな光が揺れた。

本当に小さな灯火。

けれど、確かに存在している。

魔力だった。

ディートハルトの目が大きく見開かれる。

「……できた」

信じられない。

もう一度見る。

消えていない。

「できた!!」

歓声が上がった。

ディートハルトは振り返る。

「先生、見ました!?」

満面の笑みだった。

エドガーは一瞬だけ固まった。

あまりにも嬉しそうだったからだ。

けれど、すぐにいつもの平静を取り戻す。

「……お見事です」

静かな称賛。

それだけで、ディートハルトの笑顔はさらに輝いた。

「先生のお陰です!」

「ありがとうございます!」

真っ直ぐな感謝と、無垢な笑顔。

エドガー。

(ズキュゥゥゥン)

内心、致命傷。

(尊い……)

(成長した……)

(偉い……)

(素晴らしい……)

完全に限界だった。

それでも表情だけは、相変わらず無だった。

プロである。

少し離れた場所からその様子を見ていたライナーが、腕を組みながら呟いた。

「……あいつ」

エドガーを見つめる。

「変な顔するようになったな」

的確だった。

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